徳川家家臣時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 08:55 UTC 版)
翌天正11年(1583年)3月に諏訪郡を所領として安堵されることとなった。天正18年(1590年)、家康が関東に移ると頼忠もこれに従い、武蔵国比企郡奈良梨、児玉郡蛭川、埼玉郡羽生に計1万2,000石の所領を与えられた。文禄元年(1592年)には上野国総社に所領を移される。この頃に家督を嫡男の頼水に譲った。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは江戸城の留守居役を務めた。
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