府中町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 09:26 UTC 版)
地理
太田川デルタの東端に位置し、南部は平坦であるが北部は丘陵地となっている。
名所・旧跡
以前、国府が置かれたことにより、それにゆかりのある旧跡が多い。
- 名所
- 水分峡森林公園水分峡(みくまりきょう)
- 旧跡
- 多家神社(たけじんじゃ) - 境内にある宝蔵は広島城から移設された建物で、県の重要文化財に選定されている。
- 今出川清水(出合清水) - 1984年に名水百選に選定された。
- 田所屋敷跡(田所明神社) - 平安時代から鎌倉時代の有力在庁官人の邸宅跡で、『田所文書』は県の重要文化財に選定されている。
- 道隆寺 - 『薬師如来坐像』は県の重要文化財に選定されている。
- 府中出張城
- 龍仙寺
- 総社跡
- 石井城跡 - 後醍醐天皇の“建武の新政”にて功績を立て、勤皇軍として湊川の戦いに決死の覚悟で挑み、尊皇家として名を馳せた在庁官人、石井末忠の居城跡。後に石井末忠は日本民族の中心を“万世一系の皇室”に求める「皇国史観」や天皇に忠義を尽くす「勤皇思想」の精神的指導力となった。城跡には石井末忠を顕彰する碑が建立されている。石井末忠が戦死した湊川(兵庫県神戸市)には、地名として石井町や石井橋などが由来として残っている。
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水分峡森林公園
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多家神社
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今出川清水
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田所明神社
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道隆寺
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龍仙寺
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総社跡
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石井城跡
隣接している行政区
1975年までに、隣接自治体が全て広島市と合併。1980年に広島市が政令指定都市に移行したことで、東区・南区・安芸区が隣接行政区になっており、広島市に四方を囲まれている。全国で唯一、周りを1つの市に囲まれている町である[注釈 2][8]。
周辺町村が広島市に合併するまでは、矢賀村(1929年4月1日合併、現・東区)、瀬野川町(1973年3月20日合併、現・安芸区)、安芸町(1974年11月1日合併、現・東区)、船越町(1975年3月20日合併、現・安芸区)に隣接していた。
広袤(こうぼう)
国土地理院によると[9][10]府中町の東西南北それぞれの端は以下の位置。北端は高尾山の北東約570m、東端は高尾山の東約1350m、南端は西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線向洋駅の東南東約489m青崎第3踏切付近、西端は西日本旅客鉄道(JR西日本)芸備線矢賀駅の南南西約427mである。また、2010年国勢調査結果に基く人口重心[11]は八幡2丁目13付近である。
注釈
出典
- ^ 上岡田古墳 | | ひとがきらめき まちが輝く 府中町
- ^ 総社跡 | | ひとがきらめき まちが輝く 府中町
- ^ 国庁屋敷・田所明神社と田所文書(広島県重要文化財) | | ひとがきらめき まちが輝く 府中町
- ^ 各年「国勢調査」および「広島県人口移動統計調査」
- ^ “市としての要件に関する条例”. 広島県法規集 (広島県) (2011年4月1日). 2024年4月18日閲覧。 市としての要件に関する条例
- ^ “統計でみる市区町村のすがた2023”. e-Stat 政府統計の総合窓口 (2023年6月20日). 2024年2月5日閲覧。
- ^ “町長の部屋”. 府中町 (2023年1月16日). 2024年4月18日閲覧。
- ^ a b 「日本列島飛び地の謎」(廣済堂出版)p50-p52
- ^ “日本の東西南北端点の経度緯度”. 国土地理院ホームページ. 2014年6月14日閲覧。
- ^ “広島県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)”. 国土地理院ホームページ. 2014年6月14日閲覧。
- ^ “我が国の人口重心 -平成22年国勢調査結果から-”. 総務省統計局ホームページ. 2014年6月14日閲覧。
- ^ 『全国市町村要覧 令和01年版』(第一法規) p.338
- ^ 広島市/府中町との最近の経緯一覧 - 広島市
- ^ 広島広域都市圏
- ^ “【速報】「被買収」4県議の辞職許可 河井夫妻事件で広島県議会”. 中国新聞. (2022年3月15日) 2022年3月15日閲覧。
- ^ 広電バス 広島市中心部エリア - 2号線(県庁~府中方面) - 広島電鉄
- ^ 29号線時刻表・運賃表/広島バス株式会社
- ^ 『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース』16・17ページ
固有名詞の分類
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