市川團十郎 (9代目) 甦る團十郎

市川團十郎 (9代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 13:07 UTC 版)

甦る團十郎

九代目の鎌倉権五郎像

九代目の死から59年を経た1962年昭和37年)、七代目松本幸四郎の長男で市川宗家に養子に入っていた九代目市川海老蔵が十一代目市川團十郎を襲名(十代目團十郎は、宗家に婿養子で入った後、歌舞伎役者市川三升となった福三郎に対し没後追贈されていた)、ここに團十郎の大名跡が復活するが、十一代目は襲名後わずか3年で癌に倒れてしまう。その長男・十代目市川海老蔵が十二代目市川團十郎を襲名したのは、それからさらに20年を経た1985年(昭和60年)のことだった。

一方、九代目の死から16年経った1919年大正8年)、浅草浅草寺境内に『暫』の鎌倉権五郎をつとめる九代目の銅像が建てられた。明治23年、浅草座で芝居をしていた浅草生まれの澤村訥子が歌舞伎座出演をすると知ると「緞帳芝居の役者が出るとは沽券に関わる」としてオミットした故事を知る人は眉を顰める向きもあった。この銅像は第二次世界大戦中の昭和19年(1944年)に金属供出で失われたが、それから42年を経た1986年(昭和61年)、十二代目團十郎の襲名を機に復元され、旧地に建て直されている。

1950年(昭和25年)文化人切手

九代目の肉声

九代目の肉声を記録した音盤の類は、今日現存しない。ただ、エジソン蓄音器が初めて浅草・奥山の花屋敷で見世物に出された1890年明治23年)7月、同月22日付けの読売新聞に「此の蓄音器には西洋音楽を吹き込みあるが(中略)團十郎、菊五郎等の名優は此の頃同所へ行きて何か芝居の物語りを吹込む由」という記事があり、團菊両優が好奇心で奥山へ蓄音器見物に行き、即席に演目は不明ながら、歌舞伎のセリフを初期の蝋管レコードに吹き込み、それが公開されたことは確かなようである。さらにその9年後の1899年明治32年)、「紅葉狩」の映画が撮影された年の4月、歌舞伎座の本興行で「勧進帳」を演じ終えたばかりの團十郎が、翌5月、菊五郎始め「勧進帳」で共演した主な役者を築地の自宅に集め、一幕をそっくり蓄音器に録音したという記録がある[14]。これには後日談があり、吹込みから24年後、團菊左とも既にこの世にない1923年大正12年)3月26日付けの都新聞に、市川家にまだ残っていたその蝋管レコードを、日本蓄音器商会(ニッチク=日本コロムビアの前身)が改めて当時最新のSPレコードに吹き込み直しているという記事が掲載された。ただ、それ以後の続報は一切なく、原盤がどうなったのかも不明のままである[15]

なお、演劇評論家の渡辺保によれば、自身がかつて所有していた初代三遊亭圓右による九代目の声色のSPレコード(「白浪五人男」の日本駄右衛門)を聞いた印象として、「決して美声ではなく」、「ドスの利いた低音で声量があり」、「堂々たる幅のあるせりふ」であったという[16]

九代目と神道

九代目までは市川家は不動明王を代々信仰していたが、実弟の八世市川海老蔵の紹介により、神習教管長の芳村正秉と出会ったことにより、神道へ改宗。以降、市川家はすべて神式で祭事を執り行うことになった[17]。九代目團十郎には、死後、『玉垣道守彦命(たまがきみちもりひこのみこと)』の諡号が与えられた。


  1. ^ 今紀文と呼ばれた細木香以が後援者の一人であった[3]
  1. ^ ます夫人の述懐。
  2. ^ 川尻清潭『九代目市川團十郎回想録』。
  3. ^ 野崎左文『増補私の見た明治文壇1』平凡社、2007年、136p頁。 
  4. ^ 井口政治『團菊物語』三杏書院、1944年。
  5. ^ 「団十郎大借金身代限願ひ出」東京さきがけ明治10年8月11日『新聞集成明治編年史. 第三卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、483頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  7. ^ 団十郎洋行を希望 演劇改良問題を気に病み『新聞集成明治編年史』6巻、林泉社、1936-1940
  8. ^ 食満南北『作者部屋から』1944年
  9. ^ 戸板康二『六代目菊五郎』 演劇出版社刊、1956年
  10. ^ 菊五郎は2月18日没。
  11. ^ 市川翠扇『市川団十郎と私』 六芸書房刊、1966年
  12. ^ 長原止水「死後の團十郎」『歌舞伎』第41巻、1903年10月。 
  13. ^ 伊原青々園『團菊以後』、小坂井澄『九代目団十郎と五代目菊五郎』ほか。
  14. ^ 東京朝日新聞」1899年5月10日付け朝刊記事「勧進帳と蓄音器」
  15. ^ 倉田喜弘『日本レコード文化史』、岩波現代文庫 2006
  16. ^ 『歌舞伎 研究と批評7』 歌舞伎学会編、リブロポート刊 1991、15p
  17. ^ 金沢泰隆『市川團十郎』(有)青蛙房、2013年新装版(1962年初版)、187-188頁





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