岬にての物語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/08 07:29 UTC 版)
作品評価・研究
渡邊一夫は、『岬にての物語』初出当時の文芸時評において、「三島氏のふしぎなくらゐ幻想に充ちた字句の用ひかたも、その配列も、実に美しいものを持つてゐた」として、時折ランボーの詩を思わせると高評価している[14]。
野口武彦は、『岬にての物語』を「戦争期に培われた三島氏の作家心情、その美学の主導動機をじつにストレートに語った小説」だとして[15]、三島の投影である主人公の体験に、「まぎれもないロマン派的情動の初心」を見てとり、「〈死〉―〈夏〉―〈海〉」という三島文学の主題が、その後の作品に連なっていくことを指摘している[15]。
田坂昂は、〈美〉と〈海〉と〈死〉という要素を鑑みながら『岬にての物語』を考察し、主人公が〈神々の笑ひ〉の中に見い出した〈一つの真実〉が、『花ざかりの森』で言及される〈秀麗な奔馬の美〉と同義であるとしている[16]。
渡辺広士は『岬にての物語』の、「自己省察から飛翔への移行」(現実から夢想への移行)の構成は、「すでに少年の習作ではなく、物語として見事に組み立てられている」とし[17]、その導入部における自己分析の明晰さを可能にしているのは、「〈私の本来のものなる飛翔〉への信頼というプリズム」だと解説している[17]。そして「その〈憂愁のこもつた典雅な風光〉にふさわしい古典的な文体」で海や岬の自然が描かれ、作中の少女には、同じ三島作の『苧菟と瑪耶』の瑪耶と同じように、永遠のマリヤの面影があるとし[17]、〈青年と少女の頬笑みには甚く相似たものがあつた〉というくだりには、「兄と妹の愛」が暗示されているという神秘化があると考察している[17]。
売野雅勇は、『美徳のよろめき』以来、三島作品に馴染んできたと語りつつ、「主人公たちの耳にも聴こえる音楽」といえば、『岬にての物語』の「一音だけ鳴らない音がある壊れたオルガンを思い出す」として、「聴こえない音楽を聴くことが、三島由紀夫の作品を読む最大の快楽のひとつになっている。言葉の音楽である」としている[18][18]。
村松剛は、『岬にての物語』で主人公が遭遇する事件が、ガブリエーレ・ダンヌンツィオの『死の勝利』を思わせ、少女が百合の花を摘む場面も似ていることを指摘し、三島の蔵書にも『死の勝利』があることから、三島が執筆する上でその作品への意識があったと考察している[4]。
三島の『岬にての物語』の少女は清純そのものであり、相手の男も少女と「眼の涼しさを争」う青年であり、肉慾はここにはかげもない。『岬にての物語』は、いわば南国の富裕階級の倦怠感と肉慾とを捨象した『死の勝利』だった。媚薬もマルク王も介在しない『トリスタンとイゾルデ』、という形容も可能かも知れない。 — 村松剛「三島由紀夫の世界」[4]
筒井康隆もまた村松の指摘を踏襲し、『岬にての物語』がダンヌンツィオの『死の勝利』の文体、描写、ディテールなどの影響を受けているとして、両者がどちらも、男女の情死を扱い、心中方法も断崖から海への投身である共通点を挙げている[19]。しかし、『死の勝利』の方は無理心中であり、「世紀末の懐疑主義や頽廃」的な作品なのに対し、『岬にての物語』の方は、「極めてロマンチックなもの」で、三島自身がモデルである少年の眼で、美しい若い男女の情死行を、「日常のようになごやかに眺めている」と解説している[19]。
注釈
出典
- ^ 「8月の日記から――21日のアリバイ」(読売新聞夕刊 1961年8月21日号)。「八月二十一日のアリバイ」と改題され『私の遍歴時代』(講談社、1964年4月)に収録。31巻 2003, pp. 613–615に所収
- ^ a b c d 山中剛史「岬にての物語」(事典 2000, pp. 363–365)
- ^ 「第三章」(梓 1996, pp. 48–102)
- ^ a b c 「I 青春――恋の破局」(村松 1990, pp. 78–97)
- ^ a b 井上隆史「作品目録――昭和21年」(42巻 2005, p. 387)
- ^ a b c d e 田中美代子「解題――岬にての物語」(16巻 2002, pp. 750–752)
- ^ a b 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
- ^ a b c 「蕗谷虹児氏の少女像」(限定版『岬にての物語』牧羊社、1968年11月)。35巻 2003, p. 250に所収
- ^ a b c d e f 川島勝「三島由紀夫の豪華本」(9巻 2001月報)
- ^ a b 「跋に代へて(未刊短編集)」(1946年夏に執筆)。26巻 2003, pp. 587–589に所収
- ^ 「あとがき」(『三島由紀夫作品集5』新潮社、1954年1月)。28巻 2003, pp. 115–119に所収
- ^ 「私の遍歴時代」(東京新聞夕刊 1963年1月10日-5月23日号)。『私の遍歴時代』(講談社、1964年4月)、遍歴 1995, pp. 90–151、32巻 2003, pp. 271–323に所収
- ^ 「本の美学」(川島 1996, pp. 171–190)
- ^ 渡邊一夫「文芸時評・門前読経」(東京新聞 1946年12月1日号)。事典 2000, p. 364
- ^ a b 「第三章 早く来過ぎた遅参者――『盗賊』をめぐって――」(野口 1968, pp. 63–94)
- ^ 「II 遍歴時代の作品から――『仮面の告白』以前 3『岬にての物語』、『軽王子と衣通姫』と禁じられたもの」(田坂 1977, pp. 127–144)
- ^ a b c d 渡辺広士「解説」(岬・文庫 1978, pp. 325–330)
- ^ a b c 売野雅勇「言葉の音楽」(5巻 2001月報)
- ^ a b 筒井康隆「ダンヌンツィオに夢中」(文學界 1989年1月号)。『ダンヌンツィオに夢中』(中央公論社、1989年7月)、筒井 1999, pp. 15–64に所収
- 岬にての物語のページへのリンク