太田一也 太田一也の概要

太田一也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/12 00:08 UTC 版)

略歴

1967年、九州大学助手として長崎県島原市の「島原火山温泉研究所」(現・観測所)に赴任[2]普賢岳の構造の分析や、温泉火山ガスの研究調査を行った[2]小浜温泉雲仙温泉の違いに着目し、その泉質やガス成分の差異より、熱源となるマグマ溜まりからの距離によってこれらの変化が説明できるとした論文を発表。「噴火しない火山」に満足できず、桜島阿蘇山の観測隊にも参加していた[1][2]1973年には、それまで構造地形だと考えられていた長崎県橘湾カルデラ地形であるとする千々石カルデラの概念を提唱した。千々石カルデラの概念は当初疑問視され賛同意見が少なかったが、1990-1991年の雲仙普賢岳噴火後は太田の提唱を裏付ける観測結果が相次いだ[3]。1998年、九州大学理学部教授を退官。島原半島ジオパーク協議会の顧問も務めた[4]

普賢岳噴火について

1990年に普賢岳が噴火した際には「自分が研究してきた火山がやっと噴火した」と研究者として当初感じた率直な意見を語っている(当時の役職は九州大学理学部付属島原地震火山観測所所長)[2]1991年、普賢岳の火砕流土石流による被害が深刻化すると、仕事内容は研究調査よりも災害対策が主体となり、ヘリコプターによる上空からの視察は900回にも及んだ[2]。立ち入り禁止区域は、可能な限り広範囲にと主張し、避難生活の長期化や防災工事の遅れのために早期縮小と求める行政側としばした対立することが多かった[2]。1991年6月3日の大火砕流の際には、その8日前に島原市長に住民退避を進言し3000人の避難に結びついたが[5]、避難を無視して取材を続けた20人の報道関係者と、23人の非報道関係者が死亡した。非報道関係者の死者数の中には、報道関係者を監視・誘導するために配置された消防団員・警察官、報道関係者がチャーターしたタクシー運転手も多かった。太田はこれだけの死者を出した原因は報道陣の過熱した取材競争と、報道の自由と使命感の根底に潜む特権意識であるとし[6][7]、報道機関が退去していればこれらの人々の命も救われたはずであるとした[7]。単に観測結果を提供するのではなく、一歩踏み込んで行政の暴走を止めるのも大学研究者の役目になっているとも述べている[7]

経歴

  • 1958年3月:九州大学理学部石炭地質学科卒業
  • 1959年4月:貝島炭鉱(株)勤務
  • 1963年:貝島開発(株)勤務
  • 1967年10月:九州大学理学部助手
  • 1971年4月:九州大学理学部付属島原火山観測所発足、同助手に就任
  • 1973年5月:九州大学理学部助教授
  • 1985年1月:九州大学理学部教授
  • 1986年3月:九州大学理学部付属島原火山観測所所長
  • 1998年3月:九州大学を定年により退官、のち名誉教授

以上出典は[1]

著書

  • 「雲仙火山」(1984年3月、長崎県編集・出版)[1]
  • 「火山と災害」(1989年、九州大学公開講座22,九大出版会)[1]
  • 「普賢岳噴火の教訓」(1994年、文明と環境3,思文閣)[1]
  • 「雲仙岳噴火活動の実態」(1995年、自然災害と地域社会の防災,クバプロ)[1]
  • 「普賢岳鳴動す-太田一也聞書」吉田賢治著(1999年2月、西日本新聞)ISBN 978-4816704772 ほか。[1]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 読売人物データーベース 2015年
  2. ^ a b c d e f g <ひと> 九大島原地震火山観測所長 太田 一也さん 毎日新聞 1998年3月11日
  3. ^ 雲仙火山の温泉 とその地学的背景 太田一也 日本地熱学会誌 第28巻 第4号(2006) 337頁-346頁
  4. ^ 島原半島ジオパーク協議会
  5. ^ 2015年6月3日放送 7:00 - 7:45 NHK総合 NHKニュース おはよう日本 (ニュース)
  6. ^ 雲仙普賢岳噴火災害からの教訓--危機管理の視点から-- 太田一也 九州大学理学部附属島原地震火山観測所
  7. ^ a b c 普賢岳噴火時の砂防をめぐる警戒区域設定解除の攻防 sabo vol.106 2011年 4月 一般財団法人 砂防・地すべり技術センター


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