大辻伺郎 来歴

大辻伺郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/20 01:16 UTC 版)

来歴

東京市(現・東京都)生まれ。1952年(昭和27年)4月9日、父の大辻司郎がもく星号墜落事故で死去した。これを機に高校を休学し、板前として柳橋の料亭歌舞伎座の地下食堂で働いた。後に役者の道を志し早稲田大学文学部演劇科に同級生より2年遅れで入学し、劇団自由舞台に参加。スタニスラフスキー・システムを学ぶも、1955年に中退し伊志井寛に師事。新派では通行人の端役ながら役作りに工夫を凝らし賞をもらっている。その後市川崑に認められ、1960年大映に入社。テレビドラマ映画を中心に活躍。脇役や準主役が多いものの抜群の存在感で注目を集めた。その演技力は幅広く、気弱な男から悪の首領、主役を食うほどのヒーロー、時には老婆までを見事に演じ分け「怪優」と呼ばれた。

1963年(昭和38年)のテレビドラマ『赤いダイヤ』(TBS)では一攫千金か無一文か、綱渡りする相場師の生き方を熱演し、NHKアナウンサーから女優に転じた野際陽子とともに評判となった[2]。また映画では大映東映を中心に多くの名作に出演した。

1972年(昭和47年)、第1回ベストドレッサー賞(芸能部門)を受賞。

1973年(昭和48年)5月21日港区虎ノ門のホテルオークラ(現・ホテルオークラ東京本館)の客室で首吊り自殺した。享年39(満38歳没)。自殺当日は『非情のライセンス』(NET)の撮影が東映東京撮影所で行われる予定だったが、東映は急遽代役を立てて収録済みの大辻の場面の撮り直しも行った。自殺理由は明らかになっていないが借金があったと言われている。

最後の作品となったのは、5月10日に収録された『夫婦日記』第6話「タコ焼き夫婦」で、5月26日に放送された[3]。墓所は多磨霊園


  1. ^ 大辻伺郎 コトバンク
  2. ^ 翌年、大辻の役を藤田まことに代えて東映が映画化した
  3. ^ 『読売新聞』1973年5月26日付朝刊、11面、テレビ欄。
  4. ^ 大辻の母も同病院に献体届を提出していたため、墓誌に名前が刻まれているのは大辻の父方の祖父母と父・司郎の3名だけである。






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