大和久満
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 07:00 UTC 版)
やまと ひさみつ 大和 久満 | |
---|---|
本名 | 高橋久満 |
別名義 | 芳村伊十七、芳賀稔(はがみのる) |
生年月日 | 1938年12月6日 |
没年月日 | 2013年1月2日(74歳没) |
出生地 | 兵庫県姫路市 |
職業 |
江戸長唄三味線 大和楽三味線 大和楽二代目家元 |
活動期間 | 1946年 -2013年 |
活動内容 | 長唄、大和楽 |
著名な家族 | 長女・大和櫻笙(大和楽三味線)。 |
公式サイト | 大和楽ホームページ |
主な作品 | |
「月慈童」 「四季の花」 「花吹雪」 「かしく道成寺」 「四季の花」 「北斎浮世絵の旅」 「早春」 「すしや」 「鶯宿梅」 「源氏物語」 「序の舞」 | |
受賞 | |
1964年 「軒端の雨」長唄協会作曲コンクール入賞 |
経歴
- 1938年(昭和13年) 兵庫県姫路市に生まれる。
- 1946年(昭和21年) 8歳から三味線の稽古を始める。
- 1954年(昭和29年) 3年間、芳村伊十郎 の内弟子となる。
- 1956年(昭和31年) 17歳で芳村伊十七の名を許される
- 1959年(昭和34年) 「創作邦楽研究会」同人となり、今藤長十郎、清元梅吉 (四世)、常磐津英寿(人間国宝)らと創作活動を始める。
- 1969年(昭和44年) 大和楽『月慈童』の作曲が縁となり、初代家元大和美世葵に望まれて、立三味線及び作曲家として、大和楽に入る。この前後で創設者の大倉聡松、岸上きみ、宮川寿朗の名人が相次いで亡くなり、低迷状態が続いていた。
- 1970年(昭和45年) 大和久満の名を許され、大和楽理事長に就任する。
- 1977年(昭和52年) テレビ東京『美の美』で2週にわたり、「枕絵」の作曲・演奏をする。
- 1977年(昭和52年) ベルギー国営放送で『日本の美』を紹介、作曲・演奏を担当する。
- 1986年(昭和61年) 名古屋西川流「名古屋をどり」において松山善三とコンビを組み、新作舞踊劇の作曲を担当する(松山とのコンビは1997年(平成9年)までであったが、久満の作曲担当はその後も継続した)。
- 1987年(昭和62年) 大和楽二代目家元襲名。
- 1988年(昭和63年) テレビ東京『芸と人~大和楽の若き家元』に出演。
- 1989年(平成元年) 尾上菊五郎劇団結成40周年記念「二月大歌舞伎」(歌舞伎座)『源氏物語絵巻』(大和久満作曲)に大和楽として歌舞伎公演に初出演する。
- 1990年(平成2年) 明仁天皇即位の儀「安の儀」において長唄立三味線を勤める。
- 1991年(平成3年) 花柳錦勇主催「若樹会」において、黒田清子(紀宮様)が大和楽『團十郎娘』『江島生島』に御出演。地方演奏を勤める
(1986年(昭和61年)の初舞台『鶯宿梅』の折も演奏を勤める)。 - 1991年(平成3年) NHK『芸能花舞台』のテーマ音楽を作曲・演奏する(1997年(平成9年)まで使われる)。
- 1991年(平成3年) NHK『名曲アルバム』に三味線音楽として初出演する(芳村伊十七)。
- 2004年(平成16年) 大和楽創設70周年記念演奏会を国立劇場にて開催、新曲『楊貴妃』発表。
- 2007年(平成19年) 芳村伊十七芸歴50周年記念長唄演奏会を国立劇場にて開催。
- 2009年(平成21年)
- 大和楽創設75周年記念演奏会を国立劇場で開催。
- 五代目 中村富十郎主催の「矢車会」の長唄のタテ三味線で出演。
- 大和楽二代目家元を創設80周年を目途に引退することを表明。三代目家元は長女櫻笙が継承予定。
- NHK『芸能花舞台』に出演。岸上きみ作曲「河」を演奏。
- 2012年(平成24年) 三代目家元の襲名は2014年(平成26年)の大和楽創設80周年での披露を予定していたが、自身の体調を考慮し、急遽家元継承式のみを前倒しで行なう。
- 2013年(平成25年) 1月2日、永眠[1]。
長唄三味線の第一人者として多方面で活躍する傍ら、大和楽家元としてもその手腕を発揮した。演奏・作曲ともに役者・舞踊家からの委嘱が多く、美しい音色と高級な曲想が人々の心を捉える。
受賞
- 1964年(昭和39年) 「軒端の雨」長唄協会作曲コンクール入賞。
- 1979年(昭和54年) グリーンリボン演技賞受賞。
- 2003年(平成15年) 第33回エリクソンモービル音楽賞(邦楽部門)受賞。
- ^ 長唄・大和楽三味線方の芳村伊十七さん死去 朝日新聞 - archive.today(2013年4月24日アーカイブ分)
固有名詞の分類
- 大和久満のページへのリンク