国鉄DF50形ディーゼル機関車
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運用の変遷
初期故障はあったもののやがて性能的にも安定し、非電化の主要幹線に投入されて主に旅客列車用として運用されたが、貨物列車などの蒸気機関車牽引列車の置き換えには性能的に不足していたため、1962年(昭和37年)には1,000馬力級エンジン2基を搭載した純国産の幹線用ディーゼル機関車DD51形が登場した。
DD51形への置き換えや電化の進展により、DF50形はやがて亀山機関区・米子機関区・高松運転所・高知機関区・宮崎機関区に集中配置される様になり、山陰本線・紀勢本線・予讃本線・土讃線・日豊本線で使用されたが、1976年より廃車が開始された。
米子機関区配置機は、MAN形エンジンを積んだ500番台で統一され、山陰本線・福知山線全線で使用されていたが、DD51形への置き換えにより1978年10月までに運用終了した。
亀山機関区配置機はズルツァー型の0番台が集中配置され、紀勢本線・関西本線東部および阪和線で使用されていたが、1978年10月の新宮電化により紀伊勝浦以東の運用になった。運用縮小されたものの寝台特急「紀伊」は引き続き担当し、DF50形として最後の優等列車牽引となったが、1979年6月には上り列車のみDD51形に置き換えられ、下り4003列車の亀山 - 紀伊勝浦間およびその回送である回4003列車の紀伊勝浦 - 新宮間についても、亀山機関区配置機の運行終了直前の1980年(昭和55年)2月にDD51形に置き換え、3月にはすべての運用が消滅した。
宮崎機関区配置機は、優等列車牽引が多い為MAN型の500番台で統一され、日豊本線で使用された。北部からの電化進展に伴って1974年以降は運用域は年々狭まったものの、「富士」や「彗星」などの寝台特急運用を引き続き担当し、1979年(昭和54年)の全線電化直前まで非電化区間の牽引を務めた。
最後まで主力車として残った四国では、ズルツァー型の0番台とMAN型の500番台が混在していたが、1981年(昭和56年)10月に定期旅客運用をDE10形に譲り、500番台が全廃された。その後は0番台が貨物列車用として運用されていたが、1983年(昭和58年)9月にDE10形に置き換えられる事になり、同月25日に運転された、臨時急行列車「サヨナラDF50土佐路号」をDF50 1+DF50 65の重連で牽引したのを最後に運用を終了した。最終貨物列車を牽引した34号機が1985年(昭和60年)1月21日付で廃車されたのを最後に、DF50形は全車廃車された。
なお、1号機はのちに車籍復活を果たしている。
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1971年にお召し列車を牽引した際、ステンレス帯になったDF50 26 (1981年、高松駅)
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DF50 65+DF50 1牽引43系・35系客車 臨時急行列車「ごくろうさまDF50秘境号」(1983年8月20日、阿波川口駅)
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DF50 1+DF50 65牽引50系客車 臨時急行列車「サヨナラDF50土佐路号」(1983年9月25日、阿波川口駅付近)
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DF50 18+DF50 43牽引 石灰石運搬貨物列車 (1983年、土佐石灰工業大平山鉱山専用線)
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DF50 43+DF50 18牽引 石灰石運搬貨物列車 (1983年、土佐石灰工業大平山鉱山専用線)
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寝台特急「紀伊」 新宮駅へ回送中 新宮 - 三輪崎間 1979年
注釈
- ^ 製造段階で寒冷地対策を施した33号機が1959年2月3 - 13日に北海道・夕張、追分地区で寒冷地対策試験を施行した[6]。
- ^ 日本以外の国ではイタリアの電気機関車が同じ理由で1940年のE636形からB-B-B配置が基本になっている[7]。
- ^ 信越本線 碓氷峠越え用のEF62は軽量化のためC-C軸配置を採用したが、唯一の例外である。
- ^ そのため晩年は専ら北陸本線米原 - 田村の交直接続区間での貨物列車牽引に使用された。
- ^ 0番台の電動機出力は600 kWであり、1950年代に製造された72系電車とほぼ同じだった。
- ^ 同機のナンバーと製造銘板は現地解体時に取り外され、JR四国多度津工場PRルームに保管されている。
出典
- ^ 沖田祐作 編『機関車表 国鉄編II 電気機関車・内燃機関車の部』(ネコ・パブリッシング RailMagazine 2008年10月号 (No.301) 付録CD-ROM)
- ^ a b c d e f 服部朗宏「DF50型機関車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』68巻8号 pp.25 2018年
- ^ 野本浩「DF50型機関車開発の背景と効果」『鉄道ピクトリアル』68巻8号 pp.13 2018年
- ^ a b c 服部朗宏「DF50型機関車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』68巻8号 pp.24 2018年
- ^ a b c 衣笠敦雄「ディーゼル車両の歩みとDF50の誕生」『鉄道ピクトリアル』31巻6号 p.12 1981年
- ^ 西尾源太郎「車両 内燃動力車 3.16 ディーゼル機関車の寒冷地試験」『交通技術』 14巻、増刊(162号)、交通協力会、1959年8月、33-34頁。doi:10.11501/2248511 。
- ^ フランコ・タネル『ヴィジュアル歴史図鑑 世界の鉄道』黒田眞知・田中敦・岩田斎肇訳 株式会社河出書房新社 2014年 ISBN 978-4-309-22609-5 p.229
- ^ 岩成政和「戦後ディーゼル機関車発達史の論点、争点、疑問点」『鉄道ピクトリアル』64巻7号 pp.50 - 52 2014年
- ^ 野元秀昭「戦後の電気式ディーゼル機関車」『鉄道ピクトリアル』31巻6号 p.47 1981年
- ^ a b c d e f 寺内良和 「鉄道車両系列シリーズ (13) DF50型ディーセル機関車」『鉄道ジャーナル』1979年12月号 (No.154) pp.79 - 86
- ^ 竹村伸一「最近のディーゼル電気機関車制御方式について 製品紹介」『日立評論』別冊20号、日立評論社、1957年11月25日、29-37頁 。
- ^ 衣笠敦雄「ディーゼル車両の歩みとDF50の誕生」『鉄道ピクトリアル』31巻6号 p.13 1981年
- ^ 野元秀昭「戦後の電気式ディーゼル機関車」『鉄道ピクトリアル』31巻6号 p.48 1981年
- ^ 石井幸孝『DD51物語』p.191 JTBパブリッシング 2004年
- ^ 石井幸孝『DD51物語』p.102 JTBパブリッシング 2004年
- ^ 「4 運輸と交通 機関車と電車 日本の鉄道 表2 機関車の性能比較」『原色現代科学大事典 10-機械』学研、1969年、140頁。doi:10.11501/2422337 。
- ^ 石井幸孝『DD51物語』p.103 JTBパブリッシング 2004年
- ^ a b c 服部朗宏「DF50型機関車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』68巻8号 pp.38 2018年
- ^ 資料:『レールガイ』1977年11月号
- ^ DF50 18が津山に向けて陸送される RMニュース 鉄道ホビダス 2015年3月11日
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、126頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
固有名詞の分類
国鉄・JRの車両形式 |
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