国鉄485系電車 国鉄時代の改造車

国鉄485系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 09:25 UTC 版)

国鉄時代の改造車

特記する場合を除いて施工工場等は、当時の名称で表記する。

国鉄時代の改番を伴う改造車

クロ481形50番台

クロ481-51
クロ481-56
KE9形ジャンパ連結器装備後

1968年10月1日のダイヤ改正(ヨンサントオ)で東北特急は奥羽本線「やまばと」電車化に伴って6M3Tの9両編成に統一されることになり、クロ481形0番台5両の新製とともに仙台運転所所属のサロ481-19 - 25の7両が1968年6月から9月にかけて郡山工場で先頭車化改造され、クロ481-51 - 57となった[54]。485系列で初の改造番台であり、483系として新製されたサロ481形7両全車が改造されている[55]

先頭車化改造ではサロ481形の後位側に運転台が設置されたが、既存の台枠を活用してボンネット形の運転台を組み立てる工法が採用された[55]。ボンネット形での先頭車化改造は151系クロ150形に次いで2例目である[56]。新製車のクロ481形0番台と同じく全長は20,100 mm、定員は36名で、ボンネット内に電動発電機と空気圧縮機が設置されたが、外観上でクーラー・ベンチレーターの位置が多少異なる[55]

東北特急では偶数向きで使用された[57]。1975年に方向転換改造を施工した上で7両とも九州特急「かもめ」「みどり」用にへ転出したが、1981年に53が事故廃車、1982年12月に52が、1983年12月に54が廃車となった。

分割民営化で4両がJR九州に承継された。このうちクロ481-56は1991年に「有明」水前寺乗り入れ対応編成予備車として前面スカート部にジャンパ連結器を追設装備する改造が施工された[58]。1995年までに廃車となり消滅した。

  • サロ481-19 - 25 → クロ481-51 - 57

サハ489形50番台

1971年に登場した489系は北陸特急、山陽・九州特急にて11両編成で暫定運用されていたが、山陽新幹線岡山開業の1972年3月改正で電車特急となる「白山」で横軽区間に12両編成で本格投入されることにになった[59]。この際に付随車が不足するため、サハ481形を種車に横軽協調用設備を追加改造したサハ489形50番台が1972年11月に2両登場した[59]

種車は1970年製造のサハ481-1・2で、サハ489形0番台前期車と同じく冷房装置はキノコ型キセのAU12形を6基搭載する[59]

翌1973年には空気圧縮機を搭載したサハ489形250番台に改造されたため、サハ489形50番台は消滅した[59]

  • サハ481-1・2 → サハ489-51・52

サシ489形100番台

1972年3月改正での「白山」電車特急化用として、付随車とともに不足する食堂車を補うため、直流特急形の181系サシ181形100番台のうちサシ181-102・103の2両を489系に編入してサシ489形100番台に改造された[60]。1972年2月から3月にかけて長野工場(現在:長野総合車両センター)で施工されている。

181系は車体高さが低いため、枕梁を改造して台枠上面高さが485系列と揃えられたが、車体断面がわずかに異なっている[60]。台車は種車と同じベローズ式空気ばねのTR69C形である[60]。調理室側妻面に回送運転台を増設し、入換運転用の掴み棒も設置された[60]。内装関係の改造は未施工で、ベネシャンブラインドや「あずさ」充当記念で壁面に飾られた中央東線沿線の名峰レリーフ(サシ181-102は槍ヶ岳、103は白馬岳)も残された。

1985年の北陸特急への食堂車連結終了に伴い、1986年に廃車された[60]

  • サシ181-102・103 → サシ489-101・102

サハ489形200・250番台

横軽区間では台車の空気ばねをパンクさせて運転しており、両端先頭車の空気圧縮機のみでは空気ばねへ空気を再供給するのに時間を要していた。このためサハ489形に空気圧縮機(MH113B-C2000M)を増設する改造が実施され、サハ489形0番台4両を改造したサハ489形200番台が登場した[59]。1973年3月から5月にかけて吹田工場で改造されている。この改造は189系のサロ189形にもフィードバックされた。

サハ489形50番台2両も同様の理由で空気圧縮機が搭載され、サハ489形250番台となった[59]。1973年3月・4月に吹田工場で改造されている。

200番台は1985年に2両がクハ480形0番台に、残る2両が1986年にクハ481形750番台に改造されて消滅した[59]。250番台は1984年に251がサハ481-201に、252も同じ1984年にクハ480形クハ480-11に改造されて消滅した[59]

  • サハ489-1 - 4 → サハ489-201 - 204
  • サハ489-51・52 → サハ489-251・252

サロ481形1050番台

サロ481-1051

1978年10月改正での奥羽本線特急「つばさ」増発に伴って、不足するサロ481形とサシ481形を従来車からの転用で補うこととなった。このうちサロ481形は1975年に「つばさ」電車化用として車販準備室設置やMG・CPを搭載したサロ481-115・116・122・123・127・128を種車に土崎工場で1000番台対応の引き通し線に改造の上で、サロ481-1051 - 1056となった[61]。種車の6両は1976年に南福岡電車区へ転出したが、この改造で再び秋田運転区へ転入したものである。

全車がJR東日本に継承された。1989年に1051が格下げでサハ481形300番台に、翌1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りの3両は1994年に廃車となった[61]

  • サロ481-115・116・122・123・127・128 → サロ481-1051 - 1056

サシ481形80番台

1978年より信越特急「白山」の489系12両編成を6M6Tから電動車を増やした8M4Tに変更するのに伴って食堂車の連結が廃止され、サシ489形の余剰車が発生した[61]。一方、1978年10月改正では奥羽本線特急「つばさ」が増発されることになり、「白山」の食堂車廃止で余剰となったサハ489形0番台3両を485系に編入し、横軽協調運転装置撤去と485系1000番台相当の引き通し線追加等の改造を行ったサシ481形80番台が登場した[61]

1982年11月改正で「つばさ」への食堂車連結が廃止となり、1両が再び489系に改造された[61]。残る2両は北陸特急「雷鳥」増発用に転用されたが、1985年に和風グリーン車「だんらん」のサロ481形500番台に改造されて消滅した[61]

  • サシ489-10 - 12 → サシ481-81 - 83

サシ489形80番台

1982年11月改正では奥羽特急「つばさ」の食堂車連結が廃止されたが、信越特急「白山」では食堂車の連結が復活し、不足する食堂車を補うこととなった[60]。これにより元「つばさ」用食堂車としてサシ489形からサシ481形に改造された3両のうちの1両であるサシ481-83が489系に再編入されたが、新造時のサシ489-12とはならず、サシ481形時代と同番号のサシ489-83となった[60]

1985年の北陸特急への食堂車連結廃止で運用を離脱したが、JR東日本に継承されて同社唯一のサシ489形となり、1988年に客車寝台特急「北斗星」用の食堂車スシ24形(スシ24 506)に改造されて消滅した[60]。スシ24 506は2015年の「北斗星」運用終了後も保留車として2020年現在でも車籍を有する。

  • サシ481-83 → サシ489-83

サロ481形1500番台

1982年11月改正での上越新幹線開業で在来線特急「とき」の181系が運用を終了し、1982年 - 1983年にサロ181形1100番台6両を485系のサロ481形に編入する改造が盛岡・郡山・土崎の3工場で行われた。サロ181形1100番台は1978年10月改正で「とき」の3MG化に伴って登場したもので、将来の485系編入を前提に新製されたため、181系の編成では凹凸が目立っていた[61]

サロ181-1101 - 1106がサロ481-1501 - 1506に改造され、ジャンパ連結器の変更や幌の485系仕様への交換が行われた。行先表示器も使用されたが、181系時代に設置されたサボ受けが残された。1500番台新製車との関連は全くない。

改造落成後は青森運転所に配置されたが、1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区へ転出し、JR東日本に継承された[61]。1990年 - 1991年に1506を除く5両が「ひたち」モノクラス7両編成化によりクハ481形1100番台に再改造された。残る1506はジョイフルトレイン「ニューなのはな」のクロ484-5へ改造されて消滅した[61]

  • サロ181-1101 - 1106 → サロ481-1501 - 1506

サロ481形0番台134・135

1984年2月改正で九州特急から583系が撤退するのに伴い、昼行特急の短編成化と編成数増加によるグリーン車の不足を補うため、1982年11月改正で余剰となっていたサロ489形初期車2両がサロ481形に編入された。1983年にサロ489-6・8の2両が鹿児島車両管理所で横軽協調装置を撤去する改造を行い、基本番台新製車の続番であるサロ481-134・135となった。サロ481形0番台初期車と車体が同じなため、冷房装置はAU12形を搭載する[62]

2両ともJR九州に承継されたが、1990年に廃車されて消滅した[62]

  • サロ489-6・8 → サロ481-134・135

サハ481形200番台

九州特急「かもめ」の増結予備車確保のため、1983年3月に小倉工場でサハ489-251から横軽協調装置とCPを取り外しサハ481形へ復元した[59]

車番は元番号とはならず、新たに201が区分された。JR九州に承継されたが1990年に廃車。

  • サハ489-251 → サハ481-201

クハ481形600番台

クハ481-601
1987年 熊本
クハ481-603車内
九州鉄道記念館保存車

1983年に東北新幹線開業で保留車となったクロ481-3 - 5へ鹿児島車両管理所で施工された普通車化。国鉄時代に施工された本系列唯一の格下げ改造である。

  • 車掌室部分を客室化。
  • 種車の小窓が並ぶ窓配置のまま残されているが、窓割と座席間隔は一致しない。
  • 3両共に「ひげ」の溝が有ったが、当時「ひげ」が描かれていたのは602だけであった。(603は、展示の際に描かれたものである)
  • 座席は、当時「サロンエクスプレス東京」への改造で不要となった14系座席車の簡易リクライニングシートを転用。

3両ともJR九州に承継され1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属したが、601は1995年に廃車。602は1988年にクロ481-4へ復元後1993年に廃車。603は静態保存された。

  • クロ481-3 - 5 → クハ481-601 - 603

クハ481形500番台

クハ481-501
(元・クハ181-109)
クハ481-502
(元・クハ180-5)

1984年2月ダイヤ改正で九州地区特急列車増発による先頭車不足解消のため上越新幹線開業で保留車となっていたクハ181-109・クハ180-5に鹿児島車両管理所で施工した本系列化改造。

  • 車体は181系電車時代のままで屋根上前灯なし。他の本系列車両との床面高さや屋根の高さも異なる。
  • 検電アンテナは改造当初からクハ481形後期型車と同型のものを搭載した。
  • 502は種車となったクハ180-5同様に自動連結器カバー無し[注 28]
  • 塗色も落成当初は501の連結器カバーを赤一色に変更した以外はボンネットの赤帯やグレーのスカートなど181系時代のままであったが、のちに赤帯抹消・スカートのクリーム色化などを施工。
  • 当初九州島内専用を前提としてコスト削減のため交直切替スイッチの設置を省略したが、1986年11月改正で設定された「にちりん」の下関発着列車に充当された際に交直切替スイッチがないため小倉で運転打切というトラブルが発生したことからスイッチ取付の追加改造を施工。

落成後1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501は1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。

  • クハ181-109 → クハ481-501
  • クハ180-5 → クハ481-502

サロ481形500番台(「だんらん」)

サロ481-507

1985年3月改正で北陸線特急の食堂車連結が廃止されたが、食堂車廃止で余剰となったサシ481形を種車に9両がサロ481形500番台として和式グリーン車「だんらん」へ改造され、「雷鳥」へ投入された[63]。車内はビュッフェと畳敷き和室に改装され、塗装は国鉄特急色の窓下に金色の帯が入れられた[63]

  • 妻面の回送運転台ならびに調理室区画では男子小トイレとガーランド型通風器を撤去。
  • ダイニング区画を1位側・3側に衝立で1卓4名の7室に仕切られた敷きの和室に改装。床を嵩上げし各座敷には座敷机と座椅子を設置。2位側・4位側に650 mm幅の通路を設置し座敷との間には仕切板を、通路窓下には手すりを備えた。
  • 調理室区画は種車の食堂自動扉と冷水器を撤去した上でビュフェに全面改装。大型冷蔵庫をはじめとする一部機器は種車から流用されたが、新たに設置された厨房には流し・戸棚・物置・電気コンロ・電子レンジ・ジュースクーラー・コーヒーマシンなどを装備するほか、3位側業務用扉後位側に厨房用換気扇を設置。
  • 車体面では調理室区画の開閉可能窓を客室窓と同等の固定窓に変更。
  • 外吊式の業務用扉は残存させたが、乗客用扉ならびにトイレ・洗面所は装備しない。
  • 床下機器の大幅変更は実施しておらず自車給電用70 kVA MGも残存。

505・507が鷹取工場で。他車が吹田工場で改造施工。1985年3月ダイヤ改正で「雷鳥」へ4号車のサロ481形0番台に続く5号車へ連結されたが、1989年に一部列車の「スーパー雷鳥」化により運用離脱。502 - 505・508・509の6両は「スーパー雷鳥」用ラウンジ付きグリーン車サロ481形2000番台へ再改造されたが、残りの3両は運用離脱後向日町運転所で留置され1993年に廃車された。

  • サシ481-54・55・69・70・71・73・74・81・82 → サロ481-501 - 509

クモハ485形0番台

クモハ485-9
運転席側後部グリルは機器室通風用
クモハ485-1
助手席下側グリルは主電動機冷却風取入口

1985年3月改正で鹿児島本線特急「有明」が基本5両編成に短編成化されることになり、クモハ485形0番台とクロ480形0番台が先頭車化改造により登場した[64]。このうちクモハ485形0番台はモハ485形15両に先頭車化改造とMG・CP設置改造を行ったもので、改造は1984年 - 1985年にかけて鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場で施工された。

先頭車化改造ではモハ485形のトイレ・洗面所・デッキ部分を台枠ごと撤去して485系1000番台タイプの運転台ブロックを接合する工法が採用され、485系では初の制御電動車(クモハ)となった[65]。運転台のすぐ後ろに機器室を設けたため、定員は56名と少なくなった[65]。客用扉とデッキは機器室と客室の間に設置された[65]。タイフォンカバーはスリットタイプである[65]

短編成化後は通常5両、多客期7両となるため、編成の反対側先頭車のクロ480形のMG・CPだけでは容量不足の可能性があった[65]。このクモハの改造では床下水タンク跡に容量110 kVAのMGが、運転台助士席下にCPが設置されており、機器室にはMG起動装置やAVR(自動電圧調整器)、床下から移設した空気タンクなどが設置されている[65]

分割民営化時には全車JR九州に承継され、末期は特急「にちりん」として2011年まで定期運用された[65]。その後は保留車や波動用となったが、最後まで残存したクモハ485-5が2016年1月18日に廃車され、区分消滅した。

  • モハ485-97・98・100 - 102・104・105・109・111・113・116・118・120・134・145 → クモハ485-1 - 15

クロ480形0番台

クロ480形0番台
AU13E形冷房装置搭載車

1984 - 1985年に「有明」「にちりん」短編成化に伴いサロ481形を鹿児島車両管理所ならびに小倉工場で鹿児島方に連結される制御車化改造を施工した区分。クロ481形50番台とは異なりクハ481形300番台車に準じた運転台を台枠ごと接合したことから外観および定員などは大きく異なるほか、MGは床下に容量210 kVAタイプを、運転台下にC2000形 CPを搭載するほか、台車は種車から流用されており、1 - 14はTR69E、15のみTR69Hを装着する。

  • 1 - 4はAU12形5基搭載の初期車からの改造車だが、後年冷房容量増強のために後位にAU13E形を1基増設。
  • 5 - はAU13E形搭載車で改造時に1基撤去して4基搭載に変更したが、のちにAU13E形を1基運転台側に増設。

改造後は15両全車が鹿児島運転所へ配置。1986年に運用移管により南福岡電車区へ再転出。1987年の分割民営化によりJR九州に承継されたが、1987年中に11・12は半室普通車化再改造によりクロハ480-51・52へ改番。1988年3月13日ダイヤ改正で再び鹿児島運転所へ転出なったが、1991年5月 - 1992年3月にRED EXPRSS化ならびに座席配置の2+1列への変更を実施。さらに1992年7月にはクロハ480-52を1992年にクロ480-12へ復元し、2・4・6・8・10・12 - 15が南福岡配置となった。その後1993年2月に2・4と5・7を車両交換。以後南福岡配置車は「有明」「かもめ」、鹿児島配置車は「にちりん」で運用されたが、余剰老朽化により2000年までに廃車となった。

  • サロ481-40・43 - 45・53・56・58・64・67・76・78・83・87・103・130 → クロ480-1 - 15

クハ480形0番台

クハ480-3
貫通扉埋込み改造前

1985年の「くろしお」増発には経費節減のため新幹線開業などで余剰となった本系列の転用が決定したが、4両と短編成のため制御車不足が問題となった。これにはサハ481・489形を種車にMG・CPは未搭載とした制御車化改造での対応となり、1984年 - 1985年に長野・広島・幡生の各工場と新津車両管理所(→新津車両製作所→現在:総合車両製作所新津事業所)での施工により落成した形式である。

  • 運転台はクハ481形200番台に準じた貫通型とされたが、分割・併合運転を頻繁に行うため一枚貫通扉の簡単な構造とした。
  • 貫通幌があるクハ481形200番台との正面併結が前提であるため貫通幌設置時の美観を考慮しない構造である[注 29]
  • 落成当初、貫通扉特急マークは標準的な立体型の物を一部車両は装着したが、貫通路構成時に通行に支障を来たすため短期間で平面型の物に交換された[注 30]

冷房装置は種車により異なり、クハ480-1 - 3と9 - 11はAU12形5基、4 - 8はAU13E形5基である[62]。クハ480-9 - 11はサハ489形200・250番台の改造車で、種車のMG・CPは短編成では不要なため撤去された。

1986年に「くろしお」が381系に再度統一されることになり、全11両のうち1 - 4・7・9 - 11が「みどり」「にちりん」用として南福岡電車区へ、5・6・8が「北近畿」用として福知山運転所(現在:福知山電車区)へ転出した。福知山転出の3両は1986年に8・6がクハ481-801・802へ、1987年に5がクハ481-851へ改造[注 31]。801・851は1990年にクハ183形へ再改造された。南福岡転出の8両は貫通扉埋込み時に立体型特急マークに変更されたが、2000年までに全車廃車された[62]

  • サハ481-12 - 19 → クハ480-1 - 8
  • サハ489-201・204・252 → クハ480-9 - 11

クハ481形700番台

クハ481-701

1985年3月改正での北陸特急「しらさぎ」「加越」「北越」の7両編成統一により不足する先頭車を補うため、サハ489-11を種車に先頭車化改造を行いクハ481-701が登場した[66]。改造施工は松任工場である。

先頭車化改造では後位の客室を切断して485系1000番台タイプの運転台ユニットが接合され、空気圧縮機は床下から運転台助士席下へ移設し、床下には210 kVAのMGが新設された[66]。冷房装置はAU13E形であるが、運転台すぐ後ろの1基がやや後方に寄っている[66]

分割民営化時にはJR西日本に承継された。2001年に金沢から京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A編成に組成。2010年の「雷鳥」運用を最後に2011年に廃車された[66]

  • サハ489-11 →クハ481-701

クハ481形750番台

クハ481-752
クハ481-753

1986年11月のダイヤ改正で福知山線山陰本線電化による大阪 - 城崎間特急「北近畿」の新設、北陸特急「雷鳥」の増発によりクハ481形が必要となることから、1986年に幡生車両所(現在:下関総合車両所)でサハ489形200番台2両・0番台中期車1両をクハ481形へ先頭車化改造し750番台に区分された[66][注 32]

改造内容は700番台と同様であるが、MG出力は160 kVAとなり、床下の空気圧縮機は存置された[66]。冷房装置は「北近畿」用の751・752は種車がサハ489-202・203のためAU12形5基、「雷鳥」用の753は種車がサハ489-5のためAU13E形5基を搭載する[66]

国鉄分割民営化では751・752がJR西日本、753がJR東日本に継承された[66]。JR西日本の751・752は183系のクハ183-751・752へ再改造、JR東日本の753は2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」のクハ484-702へ再改造され消滅した[66]

  • サハ489-202・203・5 →クハ481-751 - 753

クハ481形800・850番台

クハ481-801

1986年の福知山線特急「北近畿」新設用として、元「くろしお」用の1枚貫通扉車クハ480形クハ480-8・6・5の3両に空気圧縮機とMGを搭載したクハ481形800番台801・802が1986年に、850番台851が1987年に登場した[67]。番台区分はMG容量の違いによるもので、800番台が210 kVA、850番台が160 kVAである[68]。改造施工は801・802が大宮工場、851が吹田工場である。

車体は両番台とも種車のクハ480形とほぼ同一で、冷房装置はAU13E形5基、定員は64名である[66]。空気圧縮機はいずれも床下に搭載する[66]。前面のタイフォン部分にはお椀型のカバーが設置された[68]

JR西日本に継承され、1990年にはクハ481-802が183系のクハ183-801に、クハ481-851がクハ183-851にそれぞれ改造された。クハ481-801は1991年に金沢へ転出し「スーパー雷鳥」付属編成の自由席車となった[69]が、2001年に京都総合運転所へ転出して2010年3月まで「雷鳥」で使用された[66][70]。2010年8月20日付で廃車され廃区分番台となった。

  • クハ480-8・6 →クハ481-801・802
  • クハ480-5 →クハ481-851

クモハ485形100番台

1986年11月改正で特急「有明」に3両編成の博多 - 熊本間区間列車が設定されることになり、モハ485形中期・後期車の5両が1986年に先頭車化改造されてクモハ485形100番台となった[71]。改造所は鹿児島車両管理所・小倉工場である。

先頭車化改造の内容は1985年実施のクモハ485形0番台に準じているが、短編成のためMG・CPの設置は省略された[71]。機器室も省略され、客用扉とデッキは連結面側に移設された[71]。定員は64名である[71]

全車がJR九州に継承された。102 - 105・108は「ハウステンボス」へ転用の際にAU13E形冷房装置が1基増設された[71]。末期は日豊本線「きりしま」「ひゅうが」で運用されたが、最後まで残存した102が2015年1月5日に廃車され、区分消滅した[72]

  • モハ485-202・231・240 - 245 → クモハ485-101 - 108

クロハ481形200番台(九州地区)

クロハ481形は特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。

1986年 - 1987年に熊本発着「有明」3両編成化によりクモハ485形100番台と編成組成することから、小倉工場でクハ481形200番台8両に改造施工。200番台区分だが、施工は0番台よりも先の国鉄末期時代であり、全車JR九州に継承。

グリーン室座席は、当初新幹線0系の廃車発生品3列×3席を流用したが、分割民営化後の1989年に201を除いて0番台と同数の新型シート3列×5席に交換。全車がJR九州に承継されたが2012年までに廃車となった。

  • クハ481-236・242・244・248・249・250・252・259 → クロハ481-201 - 208

クロハ481形200・300番台(北近畿地区)

クロハ481形200番台
「北近畿」用改造車
クロハ481-301

1986 - 1987年に福知山線特急「北近畿」用として吹田工場で改造施工されたグループ。200番台は種車がクハ481形200番台、300番台がクハ481形300番台による区分であり、国鉄時代に改造施工が開始されたため九州地区向けとされた201 - 208に続く209から付番された。

グリーン席座席配置は2+2で普通席との仕切部窓を縮小するなど九州地区向け仕様車との差異がある。

1989年に301がクハ481-309へ、1991年に213がクハ481-201へ復元されたほか、クロハ183形800番台に改造された。

  • クハ481-209 - 212・201・204・205 → クロハ481-209 - 215
  • クハ481-309・354 → クロハ481-301・302

クモハ485形1000番台

クモハ485-1008

1986年11月1日改正で奥羽本線・田沢湖線特急「たざわ」が短編成化されるのに伴い、モハ485形1500番台9両を先頭車化改造したクモハ485形1000番台が1986年7月 - 10月にかけて登場した。改造施工は土崎工場である。

先頭車化改造では運転台ユニットが接合され、短編成のためMG・CPの搭載は省略されたが、冬季豪雪地帯での故障対策として非常用電源と充電装置が搭載された[71]。客用扉とデッキは乗務員扉のすぐ後ろに設けられ、定員は68名である[71]

9両全車がJR東日本に継承され、1988年3月13日付で青森から秋田へ転出した。1001・1009は1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」のモロ485形へ改造され、一般車は「かもしか」運用を最後に2011年に廃車となり消滅した[71]

  • モハ485-1017・1048・1019・1072・1080・1079・1073・1023・1076 → クモハ485-1001 - 1009

クロハ481形1000番台(国鉄・秋田地区)

クロハ481-1003
グリーン定員12席グループ

田沢湖線特急「たざわ」は1985年3月14日改正以降はモノクラス6両編成で運転されていたが、1986年11月1日改正では輸送力適正化による短編成化と同時にグリーン席が設置されることになった[73]。1986年4月から10月にかけてクハ481形1000番台偶数車9両が半室グリーン車に改造され、クロハ481形1000番台となった。施工所は土崎工場である。最初期落成車はクロハ480形とされたが[74][要ページ番号]、早期に本形式へ改められた。

定員はグリーン室12名・普通室44名である[73]。グリーン席は発生品のR-27形が2 + 2列・1,210 mm間隔で3組配置されたが、窓は普通席時代のままのためピッチと窓割りは合っていない[73]

1001 - 1009の全車がJR東日本に継承され、JR東日本でも続番で1993年までに21両が改造された。1008・1009はJR化後の改造車に合わせてグリーン席16名・普通席36名に再改造された(グリーン席はレッグレストを装備する試作的要素の高いシートに交換)。

1001・1004・1008は3000番台にリニューアル改造された。なお、1001は方向転換とクハ481形復元を同時施工した。1005・1006は「はくたか」9両編成用としてリニューアル時に格下げされてクハ481形3000番台となった[73]。新潟配置車はグリーン室部分冷房装置をAU13E形からAU112形への交換施工もある。

秋田に残留した1002・1003・1007は2010年の「かもしか」廃止に伴い2011年に廃車となった[73]。2013年に新潟の1009が廃車となり、国鉄時代に改造のグループは消滅した[73]

  • クハ481-1018・1024・1012・1032・1026・1034・1036・1008・1014 → クロハ481-1001 - 1009

国鉄時代の改番を伴わない改造工事

クハ481形の改造

クハ481-9・12・22

国鉄時代に簡易リクライニングシートへ交換。

クハ481-25・26・27・30

国鉄時代に郡山工場で下部前照灯をシールドビーム化。

モハ484形耐塩害対策施工車

羽越本線ならびに奥羽本線秋田 - 青森間の日本海に近い電化区間では、冬期の強い北西風による塩害で屋根上特別高圧機器に塩分が付着すると絶縁性能低下による短絡が懸念されたことから、同区間で運用される青森・秋田・新潟配置となる車両には碍子に緑色のシリコン樹脂塗料を付着させて対応した。

黒磯駅通過用列車選別装置搭載工事

東北本線黒磯駅は、1959年の電化開業時は地上切切換方式の交直接続設備を有しており、1965年の483系運転開始時は同駅に必ず停車しパンタグラフを降下、地上側で電源切替後にパンタグラフを再上昇させ発車する形態を採用した。しかし1968年10月1日ダイヤ改正では一部の特急列車が通過となったことから[注 33]、下り1番線と上り5番線に従来の地上切換設備を残存させたまま新たに車上切換が可能なデッドセクションを追設した。本設備は同時に信号動作も行う方式としたために通過運用に充当される青森・秋田・仙台配置のクハ481形・クロ481形には列車選別装置を搭載する工事が施工された。なお、北陸・山陽・九州線向けの先頭車両についても、1968年度以降の製造車は将来の東日本地区への転配属を考慮して準備工事とした。

同改正後の電車特急は、同駅通過・停車問わず車上切換を行うことにより停車列車でも地上切換に比較すると停車時間を短縮できることから、基本的に1993年までは本装置を使用して運転された。

ロール式ヘッドマーク改造車

ヘッドマークの盗難防止ならびに交換作業省力化の観点から1970年代初頭に吹田工場で向日町運転所所属のクハ481-2 - 7・9 - 11・15 - 18・37・38へ施工された改造で、ヘッドマーク内側の照明部分に電気指令式方向幕システムを搭載した。

  • 従来からのヘッドマークも装着可能で、故障時にはヘッドマーク正面向って右側に取付けられたクランクハンドルの差込口で手動操作も可能とした。
  • 構造上ヘッドマークが奥まった位置となることから晴天の日中などは判読しにくい難点があった。
  • 1975年の九州転出後は使用停止となったが、システムならびにクランク差込口は残された[注 34]
ロールマークで確認されている列車名
  • 「つばめ」「はと」「しおじ」「うずしお」「みどり」「なは」「日向」「雷鳥」「しらさぎ」「北越」「はくたか」「有明」「白山」「かもめ」「にちりん」

仙台運転所先頭車タイフォン移設工事

クロ481-101(右)
タイフォン移設工事施工車
タイフォン上部に手擦が残存

仙台運転所に配置されたクハ481-19 - 30・101ならびにクロ481-1 - 5・51 - 57・101のタイフォンは元々スカート部設置で次の3タイプが存在した。

  • カバーなし
  • 中折れ式カバー装着
  • 回転式タイフォンカバー装着

しかし東北地区では冬期の積雪ならびに氷着による動作不良防止やタイフォン保護の観点から、1970年代前半にボンネット部への移設が施工された。

  • 屋根上前灯カバーもホイッスル部スリットから雪の浸入による溜帯防止のためカバー後方を切欠いた。そのために向日町配置車との区別が可能になった。

100番台ではクハ481・クロ481-101が唯一スカート部へのタイフォンを設置して落成したが、1973年に他車と同じ位置へ改造された。このため名残としてタイフォン上部に手すりが残存する。

サシ481形引き通し線改造車

1000番台は3MG化が行われトラブル発生時には運転席から給電区分変更できるなどの設計変更が行われ、編成組成するサシ481形では在来車に引通線増設などでの対応になった。このため全車1000番台で構成される秋田運転区に転入した際に土崎工場で施工された改造である。サシ489形からの改造車を除き車番変更は未実施。サシ481形から改造のグループでは1976年に57 - 59・61 - 63の6両、1978年 - 1979年に65 - 67・75・76で施工されている[75]

57 - 59・61 - 63は「つばさ」電車化時に暫定投入された長崎・佐世保線用200番台車編成の組込車から改造された。1978年10月2日のダイヤ改正で「つばさ」が増発となり、同年中に65 - 67の3両が改造施工された。さらに1979年7月1日ダイヤ改正では同年に金沢運転所予備車1両(75)と編成変更で余剰となった仙台運転所所属車1両(76)へ追加改造を施工した。このほかサシ489形の編入車3両(81 - 83)も用意された。

1982年に「つばさ」の食堂車が廃止された一方で、「雷鳥」増発により向日町へ57 - 59が、「白山」に食堂車が復活した金沢へ61 - 63・65 - 67・75・76が転出したが、いずれも1985年3月14日のダイヤ改正で食堂車が外され、全車1986年2月 - 3月に廃車された。1986年3月31日付で廃車となった車両のうち、67・75・76は分割民営化直前の1987年2月から3月にかけて車籍復活ならびに「北斗星」用24系食堂車スシ24 501 - 503へ改造されJR北海道が承継した。

サシ481形 1000番台対応引通線改造車
車両番号 新製配置 秋田転属 向日町/金沢転属 廃車日 スシ24改造
サシ481-57 向日町 1975.9.16 1982.11.14 向日町 1986.3.31  
サシ481-58 1986.2.27
サシ481-59
サシ481-61 1982.7.4 金沢 1986.3.31
サシ481-62
サシ481-63 1982.8.27 金沢
サシ481-65 向日町 1978.8.6 1982.8.30 金沢 1986.3.31  
サシ481-66 1982.8.27 金沢
サシ481-67 1982.8.30 金沢 スシ24 501
1987.2.2 松任工場
サシ481-75 金沢 1979.5.15 1982.9.8 金沢 スシ24 502
1987.3.23 吹田工場
サシ481-76 仙台 スシ24 503
1987.3.20 新津車両所

ビデオカー改造車

「ビデオ特急」表示

1980年よりサービス向上の一環としてビデオ上映を実施することから、鹿児島車両管理所配置のクハ481-33・35・37・39へビデオ装置の設置改造が実施された[75]。車内は床面を雛壇式化、運転台仕切に50インチスクリーンを設置し、車外の客用扉周囲に「ビデオ特急」のステッカーを貼り付けた[75]。スクリーン設置に伴いスクリーン側の座席を8席分撤去したため定員は48名となった。

主に「有明」で運用されたが、1985年に上映中止となり、ビデオ機器も後に撤去された[75]。雛壇式の床構造はそのままであった。

国鉄時代の他系列への改造車

短編成化による付随車の制御車化改造ならびに余剰となったグリーン車の転用が圧倒的に多く、24系客車化では不足した食堂車の転用が主になる。

181系への改造

1978年10月改正で上越特急「とき」用181系の3MG化に伴う編成変更が行われることになり、MG・CP付きグリーン車は485系タイプの車体でサロ181形1000番台が新製されたが、MP・CPのないグリーン車は新製両数を抑えるため既存車の改造とされ、サロ481形初期車3両がサロ181形1050番台に改造された[76]。ジャンパ連結器や幌枠、渡り板も181系仕様に変更されている[54]

編成構成は183系と共通化された。1982年の上越新幹線開業に伴って181系としての運用は終了したが、このうち2両が113系グリーン車に再改造された[76]

  • サロ481-26 - 28 → サロ181-1051 - 1053

183系・189系への改造(国鉄)

1978年10月改正では183系による「とき」が増発されたが、新製両数を抑えるためサロ481形に引き通し線設置などの改造を行って4両がサロ183形1050番台に改造された[54]。また、信越特急「あさま」系統の増発に対応するためサロ481形3両がサロ189形50番台に改造された[54]

  • サロ481-90・98・112・133 → サロ183-1051 - 1054
  • サロ481-110・111・113 → サロ189-51 - 53

1982年11月改正での「あさま」増発では東北特急で余剰となった485系が転用されることになり、モハ485・484形のユニットがモハ189・188形に編入された。車体は189系と同タイプのものが新製され[54]、主制御器なども189系と同タイプとなった[77]

  • モハ485-199・203 - 205 → モハ189-501 - 504
  • モハ484-301・305 - 307 → モハ188-501 - 504
クハ182-101

1985年3月改正以降は183系・189系の特急列車の短編成高頻度運転化が図られることになり、必要となる先頭車がサハ481・489形の先頭車化改造で補われた。幕張電車区の183系による中央線特急「あずさ」は1985年3月改正で長野運転所へ移管されることになり、サハ489形2両をクハ183形100番台に、サハ481形2両をクハ182形に改造した[78]。クハ183形1000番台タイプの運転台を接合し、運転台直後にもデッキと客用扉が増設された[78] />。先頭車化改造車はいずれも既存の客用扉のステップは存置された[79]

  • サハ489-7・9 → クハ183-101・102
  • サハ481-110・111 → クハ182-1・2

1986年11月改正では「あずさ」の短編成化が行われ、サハ481形の先頭車化改造車としてクハ183・182形100番台、サハ489形からクハ183形150番台への改造車が登場した。このうちクハ183形150番台は183系1000番台タイプではなく485系1000番台タイプの運転台が接合されたため、全長が250 mm長くなっている[79]

  • サハ481-107・105・114 → クハ183-103 - 105
  • サハ481-117・103・112・104・102 → クハ182-101 - 105
  • サハ489-8・6 → クハ183-151・152

同じ1986年11月改正で「あさま」が短編成化された際はサハ481形4両がクハ188形100・600番台各2両に改造された[79]

  • サハ481-113・106 → クハ188-101・102
  • サハ481-101・115 → クハ188-601・602

国鉄分割民営化ではJR東日本に承継された。サロ183-1052・1053は1988年にグレードアップ改造と同時にサロ481-98・112へ復元施工された。サロ183-1051・1054は1989年にサハ481-305・304へ改造、サロ189-51 - 53は1989年にサハ481-306 - 308へ改造された。

113系グリーン車への改造

サロ110-1357

近郊形電車113系のサロ110形0番台・1000番台およびサロ111形の老朽置き換えのため、余剰となっていたサロ481・489形を近郊型のサロ110形に編入したグループが1983年から1985年にかけて登場した[77]。分割民営化後は各番台とも全車JR東日本が継承した。

東海道本線東京口では1983年にサロ489形を113系に編入したサロ110形350番台が登場し、客用扉の増設やステップの埋め込みなどの改造が行われた[77]。このほか、サロ481形より改造されたサロ181形1050番台からも2両がサロ110形300番台へ編入されている。

1985年には横須賀・総武快速線のサロ110形1000番台置き換えのためサロ489形・サロ481形を113系1000番台に編入したサロ110形1350番台が登場した[76]

  • (サロ481-26・27 → )サロ181-1051・1052 → サロ110-302・303
  • サロ489-1 - 5・10 - 12・7・9・17・18 → サロ110-351 - 362
  • サロ489-19 - 22・24 → サロ110-1351 - 1355
  • サロ481-93・95・96 → サロ110-1356 - 1358

スシ24形500番台への改造(国鉄)

1988年3月の津軽海峡線開業により上野 - 札幌間寝台特急「北斗星」の運行が開始されるのに先立ち、国鉄時代の1987年にサシ481形3両が24系客車のスシ24形に改造され、スシ24 501 - 503となった。密着自動連結器への交換・ブレーキ装置のCL化・引通回路・車体色の変更が施工されたが、車体の基本構造や台車、屋根上機器などは485系のままであった。

スシ24 501 - 503は1985年の廃車後も留置されていたサシ481-67・75・76・の3両を車籍復活の上で改造された[80]。塗装は青20号に変更され、耐寒耐雪構造強化・青函トンネル通過に伴う出火対策・回送運転台撤去が行われた。当初は北海道内の団体列車に使用され[81]、国鉄分割民営化でJR北海道に承継された。

1988年の「北斗星」運行開始時にはダイニング内装のグレードアップと食堂座席定員を40名から28名へ変更などの改造が施工された。「北斗星」向けには1989年までにJR東日本で504 - 507が、JR北海道で508が増備されている。

2008年の「北斗星」減便でJR北海道車による運用が廃止され、508を含むJR北海道車は全車廃車となった。この4両はミャンマー国鉄に譲渡されている[81]

  • サシ481-67・75・76 → スシ24 501 - 503







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