名古屋高速道路
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1994年(平成6年)12月16日地域高規格道路の計画路線に指定された[4]。
概要
名古屋高速は東西軸1路線、南北軸2路線に加え、南北軸2路線間を連絡する分岐線2本をその基本構成とする。それらの各路線末端部では、名古屋市とその周辺部を出入する高速道路または幹線道路と接続している。また、すべての路線が名古屋環状2号線と接続することで、放射道路と環状道路の連携が行われている[5]。なお、2013年(平成25年)11月23日の4号東海線 六番北 - 木場間の供用開始により、名古屋高速道路は計画された81.2 kmの建設を終了し、全線の供用を開始した[6]。これによって名古屋高速道路公社は建設団体から維持、管理団体へ移行した[7][8]。
名古屋高速は首都高速や阪神高速と比較して運営開始が約15年遅れ、さらにその後の工期の遅延もあって物価の低い時期に建設する機会を逸したことで建設費用の高騰を招いた[7][2]。そのうえ首都高速や阪神高速は公害問題がクローズアップされる以前に開通したが、その後追いの形で事業化した名古屋高速の場合、首都や阪神で顕在化した公害問題をまともに被ることになった[9]。
このため建設反対の住民運動が各地で沸き起こり、この流れが環境に配慮する道路構造の採用へと舵を切らせ、結果的に一部区間の道路構造を高架式からトンネル式に変更したことでコストアップを誘発した[2]。また、首都や阪神では1964年(昭和39年)のオリンピックや1970年(昭和45年)の大阪万博など、国家の威信をかけたイベントが開催されたことで交通インフラ建設推進の原動力ともなったことから、都市高速についても十分にその恩恵を享受した[9]。しかるに名古屋の場合は、1981年(昭和56年)における国際オリンピック委員会の開催地選考で韓国に敗れたことでオリンピック招致に失敗し、成功すれば得られたはずの国家による資金投入も住民協力も得られずじまいとなり、都市高速建設遅延を挽回する機会をも逸した[9]。
これらの不運が重なって、全線開業時点における名古屋高速道路公社の負債総額は約1兆7,000億円と膨大な金額にのぼり[10]、これを完済するために通行料金は全国の都市高速の中では最高金額の770円で設定した[11]。もっとも、借金の返済期限を延長して通行料金の低価格据え置きを求める意見もあったが、公社としては延長した末に将来の金利変動や通行量減少に遭遇するリスクを勘案し、たとえ高額の通行料金収受による世間の批判に晒されてでも延長なしによる完済方針を堅持することにした[2]。しかし、2012年(平成24年)に発生した笹子トンネル事故を契機に道路施設の老朽化対策として大規模改修の必要が生じ[12][注釈 1]、これには2年分の料金収入に匹敵する多額の費用が見込まれることから、通行料金の値上げを回避するために償還期間を延長するよう名古屋市と愛知県に同意を求め、了承された[13]。この結果、有料期間は6年延長され2045年12月までとされた[14]。償還期間終了後、名古屋高速道路は無料開放され、道路管理を公社から愛知県と名古屋市に移管することになっている[14][13]。なお、日本一高いと言われた名古屋高速の通行料金であったが、2021年(令和3年)5月の名古屋第二環状自動車道(名二環)全線開通に併せて料金体系が変更され[15]、それまでの均一料金制から走行距離に応じた対距離料金制に移行した[16]。
道路は基本的に、既存の広幅員の平面街路を利用し[17]、その上に高架式で建設されている。名古屋では土地区画整理事業が進行した区域が多く、その状況下で都市高速の用地を新たに確保することは困難を伴うことから、用地買収を最小限に抑えるためにも既存街路を利用することとされた[18]。
路線
道路法上は名古屋市道または愛知県道である[19][注釈 2]。先述した東西軸1路線と南北軸2路線、南北軸2路線間をつなぐ分岐線2路線で構成され、これを案内のわかりやすさから、以下の「路線呼称」と「ルートマーク(路線番号・記号)」で表記している。路線番号は都心環状線東片端JCT接続の1号を皮切りに時計回りで2→3→4→5→6と付番している。
- 都心環状線(都心環状線部・右回り〈時計周り〉で一方通行である。)
- 1号楠線(東片端JCT〈東区〉 - 楠JCT〈北区〉)
- 2号東山線(新洲崎JCT〈中村区〉 - 高針JCT〈名東区〉)
- 3号大高線(鶴舞南JCT〈昭和区〉 - 名古屋南JCT〈緑区〉)
- 4号東海線(山王JCT〈中川区〉 - 東海JCT〈東海市〉)
- 5号万場線(新洲崎JCT〈中村区〉 - 名古屋西JCT〈中川区〉)
- 6号清須線(明道町JCT〈西区〉 - 清洲JCT〈清須市〉)
- 11号小牧線(楠JCT〈北区〉 - 小牧IC・小牧北出入口〈小牧市〉)
- 16号一宮線(清洲JCT〈清須市〉 - 一宮中入口〈一宮市〉)
一般向けの案内とは異なる道路法および公社定款上の名称は以下の内容である[20]。〈 〉内が公社定款上の名称である。道路法における名称には、名古屋市域内で路線が完結する場合は「名古屋市道」を冠し、市域外を通過する場合は「愛知県道」を冠する[21]。路線区間は地名に替えて出入口またはJCTで表記した。
- 名古屋市道高速1号〈高速1号〉(名古屋西JCT - 四谷)
- 名古屋市道高速1号四谷高針線〈高速1号四谷高針線〉(四谷 - 高針JCT)
- 名古屋市道高速2号〈高速2号〉(楠JCT - 名古屋南JCT)
- 名古屋市道高速分岐2号〈高速分岐2号〉(明道町JCT - 東片端JCT)
- 名古屋市道高速分岐3号〈高速分岐3号〉(山王JCT - 鶴舞南JCT)
- 愛知県道高速名古屋朝日線〈高速3号高速名古屋朝日線〉(名駅入口付近 - 清洲JCT)
- 愛知県道高速名古屋新宝線〈高速3号高速名古屋新宝線〉(名駅入口付近 - 東海JCT)
- 愛知県道高速名古屋小牧線〈高速名古屋小牧線〉(楠JCT - 小牧北)
- 愛知県道高速清須一宮線〈高速清須一宮線〉(清洲JCT - 一宮中)
注釈
- ^ 2号東山線の東山トンネルは天井板崩落以前の笹子トンネルと同じ構造であることからリスク回避のため天井板撤去が決定している。詳細は東山トンネルを参照。
- ^ 名古屋市の市域外を通過する道路は愛知県道として、名古屋市道と区別した(『名古屋高速道路公社二十年史』pp.48 - 49)。
- ^ 公団は国の出資により有料道路事業を営む法人で、日本道路公団は国の全額出資によっているが、首都高速道路公団と阪神高速道路公団は国と地方公共団体の折半出資によって事業が遂行される(『 名古屋高速道路公社20年史』26頁)。
- ^ 杉戸は無所属から市長選に望んだ。理由は一党一派に属さない市民本位の立場をアピールするためであったが、その支援団体たる「フレッシュ名古屋市民会議」は主として自民党を支持票とした。よって、無公認とは言いながら実態は自民党推薦と同義であった(『中日新聞』朝刊、1973年3月23日、3面)。
- ^ 本山も杉戸同様の無所属で「あかるい革新名古屋市政をつくる会」から推薦を受けている。その支持票は共産党と社会党および愛労評であるが、勢力では共産と愛労評に分があるとされた(『中日新聞』朝刊、1973年3月23日、3面)。
- ^ 本山は市長引退間際の新聞社のインタビューで、都市高速建設の決断が後手に回ったことを評して周囲から「モタ山」と呼ばれていたことを述べている(『中日新聞』朝刊、1985年4月27日、16面)。
- ^ 29.52円/km(大都市近郊区間の料金)+250円(ターミナルチャージ)+消費税10%。
出典
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- 1 名古屋高速道路とは
- 2 名古屋高速道路の概要
- 3 歴史
- 4 最高速度
- 5 脚注
- 6 外部リンク
固有名詞の分類
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