出津孝一
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出津孝一 | |
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2010年引退セレモニー
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県 |
生年月日 | 1964年6月3日(53歳) |
身長 | 167cm |
体重 | 57kg |
血液型 | B型 |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 | 服部正利(1984 - 1986)→ 田中良平(1986 - 1987)→ フリー(1987 - 1997)→ 西浦勝一(1997 - 1999)→ フリー(1999 - 2010)→ 岩元市三(2010 - 2010.10.31) |
初免許年 | 1984年 |
免許区分 | 障害 |
騎手引退日 | 2010年10月31日 |
重賞勝利 | 10勝 |
G1級勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 1780戦164勝 |
当初は平地競走でも騎乗していたが、体重増加により障害競走専門騎手となった。引退当時JRA騎手では唯一の障害競走専門騎手となっていた。
来歴
馬事公苑第32期生(最終年)を卒業後、1984年3月栗東・服部正利厩舎所属騎手としてデビュー、同期騎手に中舘英二、坂本勝美、木幡初広、鹿戸雄一、谷中公一などがいる。同年3月11日初勝利を記録、また1年目より障害競走にも騎乗し、2年目となる1985年1月に障害初勝利を挙げている。
1年目に平地のみで18勝を挙げた出津は、2年目以降その平地騎乗数を減らす一方、障害での騎乗数を伸ばし始める。その後も双方の競走免許を所持していたが、1988年9月を最後に平地への騎乗機会はなくなりのちに平地免許を返上、障害専門騎手に転向となった。
転向後は毎年50-70回の騎乗を維持し障害競走の中心騎手として活躍を続け、1987年京都大障害(春)にてハクホウダンディに騎乗して重賞初勝利を達成。1997年にはポレールに騎乗し中山大障害(春)を制覇、この年の勝ち鞍は3勝にとどまるも優秀障害騎手賞を受賞する。
2000年9月障害振興の一環としてフランスのオートゥイユ競馬場にて障害戦騎乗(16頭中11着)も果たしている[1]。
2004年には中山大障害をメルシータカオーで制し、この年の初勝利がJ・GI制覇となった。勝利騎手インタビューで「今年未勝利だったから(引退を)考えていた」「来年も何とかジョッキーを続けたいんですけどねえ」というコメントを残した。
出津はその後も現役を続けたが、このレースが最後の重賞勝利となり2010年10月31日付けで騎手を引退、岩元市三厩舎の調教助手へと転身した[2]。
おもな騎乗馬
- イブキライダー(1987年 阪神障害ステークス〈秋〉)
- ハクホウダンディ(1987年 京都大障害〈春〉)
- シンホリスキー(1994年 中京障害ステークス〈春〉)
- ネーハイジャパン(1996年 東京障害特別〈秋〉、1997年 京都大障害〈春〉)
- ネーハイタフネス(1996年 京都大障害〈春〉)
- ポレール(1997年 中山大障害〈春〉)
- ファンドリロバリー(2000年 阪神スプリングジャンプ)
- ユーセイシュタイン(2001年 京都ジャンプステークス)
- メルシータカオー(2004年 中山グランドジャンプ2着、中山大障害)
- メルシーエイタイム(2005年 中山大障害2着)
- ^ 「競馬ニホン」の中央競馬情報サービス
- ^ 出津 孝一騎手が引退 Archived 2011年1月1日, at the Wayback Machine.
固有名詞の分類
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