仮面の告白 作品評価・研究

仮面の告白

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/12 07:13 UTC 版)

作品評価・研究

田坂昂は、主人公が惹かれる〈悲劇的なもの〉が、糞尿がその象徴である〈大地〉からの〈根の母の悪意ある愛〉が呼びかけたものであることに着目し、そこから想起されるニーチェが『悲劇の誕生』で説いた「悲劇論」(ギリシア悲劇の根源にすえた〈ディオニュソス的なもの〉の世界)との類縁を指摘しながら、それが「濃厚な写し絵」のように特に現れているのが、第1章の終りの夏祭の神輿の場面だとし[4]、作中の、〈かれらの目は地上のものを見てゐるとも思はれなかつた〉という部分の、かれら(神輿かつぎの若衆たち)の状態を、日常の現実界から断ち切られている「ディオニュソス的状態の狂喜」であるとし、「自然からの家出息子である人間」が本来帰るべき「存在の母たち」への道に帰ってゆくときに成就されるのが、このような「個体の破壊と根源存在との合一」だと解説している[4]

また田坂昂は、三島がエピグラフで採用したドストエフスキーの句の主題(「理性の目と感情の目の全き対立。悪行(ソドム)の中の」)も、「〈根の母の悪意ある愛〉の叫び声のなかに顕現する美」、「〈大地〉からの呼び声に誘なわれて顕現する美」、「汚穢と神聖とが一心同体であるところの美」ではないかとし[4]、〈美〉とは「〈悲劇的なもの〉のなかに住まうもの」以上の、「〈悲劇的なもの〉そのもの」であり、〈大地〉〈自然〉からの「〈悲劇的なもの〉へ誘い」は、同時に「〈美〉へ誘い」であるゆえ、〈美〉の問題は、「根源的な存在の形而上学となる」と考察しながら[4]、それを意味するニーチェの言葉、〈世界の存在は美的現象としてのみ是認される〉の根源にあるものは、〈ディオニュソス的なもの〉であり、そのことは、「三島氏の美学の根源がニーチェ的悲劇論となにか共通するものにゆきつくことを意味している」と解説し[4]、以下のように論じている。

「私」の欠乏感の磁針の方向はたえず、「悲劇的なもの」へ向かっており、「私」はこの意味での欠乏の自覚におけるエロス的人間といえるであろう。「私」に救済がありうるとしても、それは超人間的次元でのそれであるほかはない。この意味での救済論としての悲劇諭が濃くも淡くも作品をつらぬいているイデーであろう。 — 田坂昂「『仮面の告白』――三島文学の磁石」[4]

そして田坂は、性的倒錯の告白として書かれた『仮面の告白』を一個の象徴・比喩的表現として読むと、「性的な意味を越えて存在論的意味」が浮かび上がり、「作品をつらぬく背骨は一個の存在の形而上学といえる」とまとめている[4]

伊藤勝彦は、神西清が『仮面の告白』の構成について、「前半はerectioejaculatioに満ちていて、男性的なみずみずしさに満ちているのに反し、後半、〈私〉が女の世界へ出ていってからは、作品としての無力と衰弱を示している」[31]と評していることに対し、この半ば定説化している神西論のこの部分は「間違った解釈だ」と異議を唱え[37]、「前半の昂揚があり、後半の沈静があるからこそ、この作品全体のバランスというか調和が成りたっている」とし[37]、「ぼくには後半が実に興味深く思えるのだ。だからこそ、『仮面の告白』こそが三島の最高の傑作だと思うのである」と評している[37]

杉本和弘は、これまであまり言及されてこなかった作品後半(第3章、第4章)に着目し、第3章が他の章よりも、日付や曜日まで記され、イニシャルの地名が具体的で類推可能な点に触れ、「他の章の朧化された時間の流れと場所」に比べ、「時間的にも場所的にも、くっきりとした輪郭」を持ち浮かんでくる第3章は、「園子との物語が大部分を占めているにしても、園子との物語も含む戦時下の幸福だった〈私〉の物語」と解釈でき[38]、それは、「夢想がそのまま現実であるような一種の高揚した気分の中で、戦時下という時代とともに生きていた、いわば、〈私の人生〉を生きていた〈私〉の物語」だと言えるため、それが第3章の長い理由の一つではないかと考察している[38]

そして杉本は、「第四章における、園子との交際の復活とその結果についての叙述は、第三章での園子との交際の物語は何であったのかと問い直しを迫るようなところがある」とし[38]、第4章で、女性との性的関係の不能が確定したことの「悲痛」と、その「慰藉の欲求」を語る中、「園子に似た女性を見たことと、その後の園子との再会と交際の復活が叙述」され、第3章においては、「園子の体の女性らしい部分に向けられた欲望的とも言える視線を示す叙述」あることを指摘しながら[38]、以下のように考察している。

第四章の園子との物語は、第三章での、戦時下の「私」が非日常的、夢想的な気分の中にあったとされながらも、園子との交際が異様に熱を帯びたものとして叙述されていたことを、改めて浮かび上がらせてしまうところがあるように思う。言い換えれば、第四章における、慰藉として求められた園子との交際の物語は、第三章に描かれた園子との交際が、ある意味で非常に幸福なものであったことを逆照射するのである。この「告白」は、一方で、園子との交際に代表される戦時下の時代を幸福な時代として追懐し、愛惜する物語にもなっていると思うのである。 — 杉本和弘「『仮面の告白』論――園子との物語をめぐって――」[38]

注釈

  1. ^ 第一回は椎名麟三の『永遠なる序章』、第二回は中村真一郎の『シオンの娘等』、第三回は望月義の『ダライノール』、第四回は谷本敏雄の『暗峡』であった[9]
  2. ^ 白書フランス語版』(Livre blanc)は、ジャン・コクトー匿名で刊行した性の告白本である[19]

出典

  1. ^ 「第三回 性の自己決定『仮面の告白』」(徹 2010, pp. 36–49)
  2. ^ a b 松本徹「仮面の告白」(事典 2000, pp. 68–73)
  3. ^ a b c 「戦後派ならぬ戦後派三島由紀夫」(本多・中 2005, pp. 97–141)
  4. ^ a b c d e f g h 「I 『仮面の告白』――三島文学の磁石」(田坂 1977, pp. 13–96)
  5. ^ 井上隆史「作品目録――昭和24年」(42巻 2005, pp. 391–393)
  6. ^ a b 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
  7. ^ a b c d 「あとがき――仮面の告白」(『三島由紀夫作品集1』新潮社、1953年7月)。28巻 2003, pp. 98–100に所収
  8. ^ 坂本一亀「『仮面の告白』のこと」(現代の眼 1965年4月号。文藝 1971年2月号に再掲載)。新読本 1990, pp. 42–46に所収
  9. ^ a b c d e 田中美代子「解題――仮面の告白」(1巻 2000, pp. 680–681)
  10. ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目――仮面の告白」(事典 2000, pp. 708–709)
  11. ^ a b c d e 「作者の言葉(「仮面の告白」)」(1949年1月13日執筆)。付録として、復刻版『仮面の告白』(河出書房新社、1996年6月)に全文掲載。27巻 2003, pp. 176–177に所収
  12. ^ 「第三章 問題性の高い作家」(佐藤 2006, pp. 73–109)
  13. ^ a b 坂本一亀宛ての書簡」(昭和23年11月2日付)。38巻 2004, pp. 507–508に所収
  14. ^ a b c d e f 「『仮面の告白』ノート」(『仮面の告白』月報 河出書房、1949年7月)。27巻 2003, pp. 190–191に所収
  15. ^ 山内 2001
  16. ^ a b 「川端康成宛ての書簡」(昭和23年11月2日付)。川端書簡 2000, pp. 59–61、38巻 2004, pp. 264–266に所収
  17. ^ a b 「年譜――昭和23年11月25日」(42巻 2005
  18. ^ 「II 自己改造をめざして――『仮面の告白』から『金閣寺』へ 『仮面』の創造」(村松 1990, pp. 123–149)
  19. ^ a b 井上隆史「新資料から推理する自決に至る精神の軌跡 今、三島を問い直す意味―『仮面の告白』再読―」(続・中条 2005, pp. 18–54)。「『仮面の告白』再読」として井上 2006, pp. 13–44に所収
  20. ^ a b c d 「第三章 意志的情熱」(猪瀬 1999, pp. 217–320)
  21. ^ a b c 式場隆三郎宛ての書簡」(昭和24年7月19日付)。38巻 2004, pp. 513–514に所収
  22. ^ a b 大岡昇平との対談「犬猿問答――自作の秘密を繞って」(文學界 1951年6月)。40巻 2004, pp. 62–81
  23. ^ a b c 井上隆史「同性愛」(事典 2000, pp. 533–534)
  24. ^ a b 「国語研究 作家訪問」(NHKラジオ、1964年5月29日)。『昭和の巨星 肉声の記録――大岡昇平・坂口安吾・三島由紀夫』(NHKサービスセンター、1996年)に収録
  25. ^ 「蜷川親善宛ての書簡」(1949年)。日録 1996, p. 120、猪瀬 1999, p. 262
  26. ^ a b 「扮装狂」(1944年10月の回覧学芸冊子『曼荼羅』創刊号に掲載予定だった随筆)。没後30 2000, pp. 68–73に掲載。26巻 2003, pp. 445–453に所収
  27. ^ 「わが思春期」(明星 1957年1月号-9月号)。遍歴 1995, pp. 7–89、29巻 2003, pp. 339–408に所収
  28. ^ 「第一部 土曜通信」(三谷 1999, pp. 11–133)
  29. ^ a b c d 「その仮面」(矢代 1985, pp. 99–114)
  30. ^ 瀬沼茂樹「油がのつた四人の作家」(日本読書新聞 1949年11月30日号)。佐藤 2006, p. 72に抜粋掲載
  31. ^ a b 神西清「仮面と告白と―三島由紀夫氏の近作」(人間 1949年10月号)。佐藤 2006, pp. 71–72、本多・中 2005, pp. 119–120に抜粋掲載
  32. ^ 北原武夫林房雄中野好夫「創作合評」(群像 1949年11月号)。佐藤 2006, p. 72、事典 2000, p. 70に抜粋掲載
  33. ^ a b c 花田清輝聖セバスチャンの顔」(文藝 1950年1月号に掲載)。『花田清輝全集 第4巻』(講談社、1977年)所収。群像18 & 1990-09, pp. 110–117、研究・長谷川 2020, pp. 67–76に所収
  34. ^ 無著名(図書新聞 1949年7月23日号)。論集II 2001, p. 211、武内 2007, p. 112に抜粋掲載
  35. ^ 荒正人「異常心理でない」(図書新聞 1949年7月23日号)。論集II 2001, p. 211、武内 2007, p. 112に抜粋掲載
  36. ^ 青野季吉「現代史としての文学」(中央公論 1950年1月号)。論集II 2001, pp. 211–212に抜粋掲載
  37. ^ a b c 「第三章 三島由紀夫と森有正 2 文学者の幼児性」(伊藤 2006, pp. 103–110)
  38. ^ a b c d e 杉本和弘「『仮面の告白』論――園子との物語をめぐって――」(論集II 2001, pp. 204–220)






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