交響曲第6番 (チャイコフスキー)
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日本語における副題
副題の日本語訳に関しては諸説がある。曰く、チャイコフスキーがスコアの表紙に書き込んだ副題はロシア語で「情熱的」「熱情」などを意味する "патетическая"(パテティーチェスカヤ)である故に「悲愴」は間違いである、というものであるが、チャイコフスキーはユルゲンソンへの手紙などでは一貫してフランス語で「悲愴」あるいは「悲壮」を意味する"Pathétique" (パテティーク)という副題を用いていた[6] ため、一概に誤りとは言えない。ベートーヴェンの『悲愴』ソナタも、作曲者自身によって付けられた副題はフランス語の "Pathétique" である。もっとも、その両者とも語源はギリシャ語の "Pathos"(パトス)であり、 "Passion"(受難曲) も同ギリシャ語に由来するものなので、ニュアンスとしては関連性がある。
いずれにしても、命名した時にはチャイコフスキー本人はあくまでもこの曲のイメージのみで発想したもので、死ぬ気や遺言などとして作曲したつもりもまったくなかった、とする研究もある[7]。
編成
木管 | 金管 | 打 | 弦 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
Fl. | 3(3番はピッコロ持ち替え) | Hr. | 4 | Timp. | ● | Vn.1 | ● |
Ob. | 2 | Trp. | 2 | 他 | バスドラム,シンバル,タムタム(任意) | Vn.2 | ● |
Cl. | 2 | Trb. | 3 | Va. | ● | ||
Fg. | 2 | Tub. | 1 | Vc. | ● | ||
他 | 他 | Cb. | ● |
ファゴットパートの一部をバスクラリネットに置き換える演奏上の慣例
第1楽章の一部(160小節の後半、譜例と試聴用サウンドファイル参照)で、ファゴットパートの4つの音をファゴットではなく編成外のバスクラリネットに演奏させることがしばしば行われる[8][9][10]。バスクラリネットに置き換える理由としては、この部分に pppppp (ピアニッシシシシシモ)という極端な強弱記号が付されており、そのように小さな音で演奏するのはファゴットよりもバスクラリネットの方が適していること[8][9][10]、またこの部分が同小節前半までのクラリネットの旋律を受け継ぐ形となっており、同族楽器のバスクラリネットで受け継ぐ方がファゴットで受け継ぐよりも音色的に旋律のつながりが良いこと[9][10]が挙げられる。
しかしチャイコフスキーはオーケストレーションの手腕を高く評価された作曲家であり、前作の『くるみ割り人形』ではバスクラリネットを使用している[10]ことから、交響曲第6番のこの場面であえてバスクラリネットでなくファゴットを指定したのには、その極端な音量指定を含め、音楽的な理由があるとも考えられる[10]。この160小節目が提示部の終わりに相当することから、序奏の冒頭と提示部の終わりを同じファゴットに演奏させて音色的な統一感を持たせることを意図した楽器指定なのではないかとの見解[9]や、この曲においてクラリネットとファゴットはそれぞれ孤独と絶望を象徴しており、孤独が絶望に転じるという意味を持たせた旋律の受け継ぎなのではないかとの解釈[10]などが存在する。
なおチャイコフスキーは1886年発表のマンフレッド交響曲ではバスクラリネットを起用しているが、番号が付与された交響曲6作品では、バスクラリネットだけでなく、イングリッシュホルンやコントラファゴットも一貫して用いていない[12]。チャイコフスキー自身は作曲中の2月14日、甥のウラディミール・ダヴィドフへ宛てた手紙(ただし手紙にはユリウス暦8月3日という間違った日付が書かれている)において、「私はこの作品に満足しているが、まだ楽器の扱いについて不満な点が残っており思い通りにならない」と書いている[13]。
ファゴットの4つの音のバスクラリネットへの置き換えを最初に行ったのは指揮者のハンス・リヒターだとされる[9][14]。バスクラリネット以外の楽器に置き換える場合もあり、例えば指揮者の上岡敏之はコントラバスに演奏させている[15]。
曲の構成
4つの楽章からなるが、その配列は原則とは異なっていて「急 - 舞 - 舞 - 緩」という独創的な構成による。
第1楽章の序奏における上行する3音(E - Fis - G)が、作品全体に循環動機として使われている。これは、そのままの形で登場するだけでなく、第1楽章の第2主題や、終楽章の第1主題・第2主題において逆行形で登場し、旋律主題を導き出すのに使われている。
演奏時間は約46分。(名曲解説全集:音楽之友社による)
第1楽章
音楽・音声外部リンク | |
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第1楽章を試聴する | |
ポーランド国立放送響 - アントニ・ヴィト指揮。ナクソス・ジャパン公式YouTube。 | |
CYSO's-SO - Allen Tinkham指揮。Chicago Youth Symphony Orchestras (CYSO)公式YouTube。 |
Adagio - Allegro non troppo - Andante - Moderato mosso - Andante - Moderato assai - Allegro vivo - Andante come prima - Andante mosso
本人が語ったようなレクイエム的な暗さで序奏部が始まる。序奏部は主部の第1主題に基づいたものである。やがて第1主題が弦(ヴィオラとチェロの合奏だが、両パートの奏者の半分のみでどこか弱弱しい)によって現れる。この部分は彼のリズムに関する天才性がうかがえる。木管と弦の間で第1主題が行き来しながら発展した後、休止を挟んで第2主題部へ入る。提示部の第2主題部はそれだけで3部形式の構造を取っており、その第1句は五音音階による民族的なものであるが、甘美で切ない印象を与える。3連符を巧みに使ったやはり淋しい主題の第2句をはさみ、再び第1句が戻り、pppppp という極端な弱音指定で、静かに提示部が終わる。
打って変わってffの全合奏でいきなり始まる展開部はアレグロ・ヴィーヴォで強烈で劇的な展開を示す。第1主題を中心に扱い、その上に第2主題第1句の音階を重ねていきクライマックスを形成していく。一端静まると、弦に第1主題の断片が現れ再現部を導入し、第1主題がトゥッティで厳しく再現される。再現部に入っても展開部の劇的な楽想は維持されたままで、木管と弦が第1主題の変奏を競り合いながら、そのままクライマックスの頂点に達する。ここで苦悩を強めた絶望的な経過部が押しとどめる様に寄せてきて、第1主題に基づいた全曲のクライマックスとも言うべき部分となり、ティンパニ・ロールが轟く中、トロンボーンにより強烈な嘆きが示される。やがてロ長調で第2主題が現れるが再現は第1句のみで、そのまま儚いコーダが現れるがもはや気分を壊さず、全てを諦観したような雰囲気の中で曲は結ばれる。
演奏時間は16分から17分(ムラヴィンスキー、マゼール、ネーメ・ヤルヴィ等)のものから25分以上(チェリビダッケ)のものまであるが、ほとんどの演奏が18分から20分である。
第2楽章
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Allegro con grazia
4分の5拍子という混合拍子によるワルツ。スラブの音楽によく見られる拍子で、優雅でありながらも不安定な暗さと慰めのようなメロディーが交差する。中間部はロ短調に転調し、一層暗さに支配され、終楽章のフィナーレと同様の主題が現れる。
演奏時間は8分から9分程度。
第3楽章
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Allegro molto vivace
8分の12拍子のスケルツォ的な楽想の中から4分の4拍子の行進曲が次第に力強く現れ、最後は力強く高揚して終わる。弟のモデストは、彼の音楽の発展史を描いていると語っている。
演奏時間は8分から10分。
第4楽章
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Finale. Adagio lamentoso - Andante - Andante non tanto
- 後述するように、自筆譜におけるチャイコフスキーの速度指定は Andante lamentoso
- ソナタ形式的な構成を持つ複合三部形式、ロ短調
4分の3拍子。冒頭の主題は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが主旋律を1音ごとに交互に弾くという独創的なオーケストレーションが行われており、第2ヴァイオリンが右側に配置される両翼配置の場合、旋律が交互にステレオ効果で聴こえてくる音響上の試みである。なお、再現部では第1ヴァイオリンにのみ任され、提示部のためらいがちな性格を排除しているのも興味深い。音楽は次第に高潮し、情熱的なクライマックスを形作り、その後ピアニッシモでタムタムがなり、再現部の後は次第に諦観的となり、やがて曲は消えるように終わる。
演奏時間は9分から11分。晩年のレナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックを指揮した盤のように、17分以上かけている非常に遅い演奏もある。
注釈
- ^ これは、題名を決める際に「悲劇的」ではなく「悲愴」を採用したことも伏線となっている
出典
- ^ 神崎正英 音楽雑記帖 - チャイコフスキー《悲愴》のタイトル
- ^ https://en.tchaikovsky-research.net/pages/Letter_5062
- ^ チャイコフスキイ 文学遺産と同時代人の回想, O・サハロワ編, 群像社, 1991年, 162頁
- ^ https://en.tchaikovsky-research.net/pages/Letter_5038
- ^ チャイコフスキイ 文学遺産と同時代人の回想, O・サハロワ編, 群像社, 1991年
- ^ 当時のロシアの知識人にとって、フランス語は教養の一環として当然学ぶものであり、チャイコフスキーも例外ではない。
- ^ 『新チャイコフスキー考』NHK出版 1993年刊。
- ^ a b Norman Del Mar (1983). Anatomy of the Orchestra. University of California Press. p. 180. ISBN 978-0520050624
- ^ a b c d e Michael Steinberg (1995). The Symphony: A Listener's Guide. Oxford University Press. p. 640. ISBN 978-0195061772
- ^ a b c d e f 佐伯茂樹「《悲愴》の最弱音がファゴットである理由」『名曲の「常識」「非常識」 オーケストラのなかの管楽器考現学』音楽之友社、2002年、180-185頁。ISBN 4-276-21062-3。
- ^ P.I.Tchaikovsky. Symphony No.6. Breitkopf und Härtel. p. 19 (Published in ca. 1945. Online version at IMSLP)
- ^ チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調 作品74《悲愴》 全音楽譜出版社、 P16。
- ^ Letter 4998|https://en.tchaikovsky-research.net/pages/Letter_4998
- ^ Christopher Fifield (2016). Hans Richter. Boydell & Brewer. p. 300. ISBN 978-1783270217
- ^ https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/tchaikovsky-symphony-6-commentary/page-2
- ^ 近年の同曲のCDではこの楽章の表記を、上記曲の構成などのようにアンダンテを付け足しで記しているものが多いが、これは出版譜における16小節および37小節から、また90小節からの速度表記を示したものである。
- ^ この編曲版の自筆譜は失われている。
- ^ 先述の通りピアノ版の自筆譜が失われていることと、コニュス兄弟の筆跡との比較ができていないため。
- ^ ナープラヴニークは『弦楽セレナード』の初演を行うなど、チャイコフスキーの作品を何度も取り上げた指揮者であり、同時に作曲家として彼の作品には様々なアドバイスを送っている友人だった。『悲愴』については、少なくともプログラムに題名が載っていなかった初演の時点で、既にそのタイトルを知っていたことが判っている。
- ^ a b c d e f 消されている(恐らく作曲者自身によって)
- ^ この指示は現在は71小節に移動
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