中山周三 中山周三の概要

中山周三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/03 19:34 UTC 版)

人物・来歴

札幌一中を経て[2]國學院大學高等師範に入学後[1]北原白秋桐の花』や[2]釈迢空の歌との出会いで作歌を始める[1]。卒業後、1936年昭和11年)に「歌と観照」に入会し、岡山巌に師事する[1][2]札幌商業学校に就職し結婚[2]。12月に応召を受けて満州に渡るが、1941年(昭和16年)に帰国して、札幌商業学校に復職[2]。その後、母校札幌一中や、札幌東高校で教職に就く。1946年(昭和21年)「原始林」創刊に参加し[1]、後に山下秀之助に師事して共同で作歌を始めた[1]

1953年(昭和28年)からは田辺杜詩花没後の後継として同誌編集発行の代表となる[1][2]北海タイムス十勝毎日新聞歌壇選者につづき、1958年(昭和33年)から東京に転出した山下の後継で北海道新聞歌壇選者ともなった[1][2]1987年(昭和62年)まで藤女子大学教授を務め[1]、北海道歌人会の創立にも携わった[1]1988年(昭和63年)北海道文化賞受賞[1]

渡辺淳一は札幌一中時代の教え子であり、その短歌を「原始林」に掲載して渡辺が文学への関心を抱くきっかけを作るなど、文学の師の一人[3][4]。「原始林」に連載した「札幌歌壇史資料ノオト」「北海道歌書採録」「北海道歌壇史ノオト」は北海道文学史、歌壇史研究上看過することのできない業績と評される[2]

著書

  • 『天際 歌集』(原始林叢書 短歌雑誌社, 1952
  • 『陸橋 歌集』(原始林叢書 柏葉書院, 1970
  • 『風鐸 中山周三歌集』(現代短歌全集 短歌新聞社, 1988.6
  • 『北街』短歌新聞社, 2000.6
  • 『寒暖』短歌新聞社, 2000.6
  • 『送迎』短歌新聞社, 2000.6
編纂
  • 『山下秀之助全歌集』編. 柏葉書院, 1975

脚注


  1. ^ a b c d e f g h i j k l コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h 北海道文学大事典』北海道文学館、1985年10月30日、264-265頁。 
  3. ^ 渡辺淳一『いくつになっても 陽だまりの家』
  4. ^ 第198回 玉村豊男の『病気自慢』、新芥川賞の二作、シャトー・ロッシュベル、淳ちゃん先生のこと(承前・その17) | 左右社”. sayusha.com. 2022年1月19日閲覧。


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