ヤマハ・EOSシリーズ シリーズのモデル

ヤマハ・EOSシリーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 09:12 UTC 版)

シリーズのモデル

YS200 

1988年7月1日発売[9]。EOSシリーズの第1弾。但し海外ではEOSシリーズとしてリリースされておらず、単にYS200として販売されている(後述のB200も同様)FM音源オンリーの機種。4オペレータ8アルゴリズム、最大同時発音数8音。FMシンセサイザーとしては、珍しくエフェクターとシーケンサーを搭載したミュージック・ワークステーション。YS200からキーボードを外したシーケンサー内蔵音源モジュールとしてTQ5が発売されていた。1988年度通産省選定グッドデザイン部門別大賞受賞[10]

YS100

1988年7月1日発売。YS200の廉価版として発売された機種。YS200との違いはシーケンサーおよびアフタータッチの有無である。

B200 

1988年10月発売。YS200と同等のシンセサイザー・シーケンサーを搭載しているが、それに加えEOS本体上部の左右に丸型スピーカーを搭載した機種。ボディやピッチベンド、モジュレーションホイールが丸みを帯びたデザインに変更されている。TM NETWORKの「CAROL」ツアーや小室哲哉ソロの「Digitalian is eating breakfast」ツアーでも使用されており、TMNへのリニューアル以降はB500がメインに演奏される印象があるが、リニューアル直後の夜のヒットスタジオ等で演奏された“TIME TO COUNT DOWN”では、B200がパフォーマンスで使用されていたことがあった。(ちなみにこの時は、上段にSY77と下段にB200の二段構え。背面にシンクラヴィアがセット)全国の小中学校においてよく使用されている。後にボディはそのままに音色を学校教育向けにプリセットし直したSDX2000が教育機関向けに発売された。

DS55

1988年12月発売[2]。シーケンサー無しの4オペレータ8アルゴリズム、最大同時発音数8音のFMシンセサイザー。オートパフォーマンス機能と呼ばれるアルペジエイターを搭載している。プリセット200音色、ユーザ100音色を持ち、デジタルディレイを搭載している。この機種はスピーカーは内蔵していない。乾電池駆動も可能である。

B500 

1990年12月発売。B200の後継として、フルモデルチェンジされた機種となる。この機種よりデザインを含めて、小室哲哉浅倉大介による積極的なプロデュースが開始される。また、このモデル以降“EOS”ロゴの背面プリントが定番となる。FM音源にPCMのAWM音源を追加した、SY22相当の音源によって、リアルなサウンドが再現出来るハイブリッドシンセ。ただしこのタイプの音源はDASS音源とも呼ばれ、当時のヤマハのポータトーン・PSRシリーズに採用されたものと同タイプ。FM音源とは言ってもアルゴリズムでエディットできる機構ではなく、エレピ音などを模した波形=1エレメントとして固定されてしまっており、B500とB700では、これを2系統と生音系のPCM波形2系統とを4エレメントミックスして1ボイスを構築する内容である。こうした背景を考察するとSY77/SY99等のいわゆるRCM音源のシンセの自由度と違い(こちらはアルゴリズムを用いエディット可能)、後発のPCMシンセ比べるとその自由度に大した差は無い。この機種よりリズムパターンが内蔵されドラムパートも再現できるようになり、TMNのコピーをこの一台で手軽に再現できる事から爆発的な大ヒットシンセとなった。TMNのアルバム『RHYTHM RED』で使われた音色をそのままサンプリングしたものを内蔵している。デモソングは『RHYTHM RED』から「SECRET RHYTHM」を採用。浅倉大介がプログラムしたと言われる。「Yeah! SECRET RHYTHM」のコーラスフレーズやレコーディングに使用したスネアドラムをそのままプリセット音色として収録。EOSシリーズ初となる、それまでのFM音源オンリーモデルには無かった、PCM音源ならではの音声サンプリング音色に話題を呼んだ。なお、「RHYTHM RED TMN TOUR」の際に「SECRET RHYTHM」が演奏された時には、木根尚登が横にセッティングされていたB500のプリセット音色を鳴らしていた。また、TM NETWORK(TMN)の別売り音色カードが豊富に発売された[11][12]

B700

1993年4月20日発売[13]。音色の内蔵メモリーがB500の約2倍に増強され、ボディーカラーも石目調のパールホワイトに変更された[14]、B500からのマイナーチェンジ機種。発売された時期が小室がtrfのプロデュースを始めた頃と重なり、音色やリズムパターンがレイブやテクノなどを意識したものに差し替えられた。デモソングはtrfからのミックステイクである。trfの8thシングル『CRAZY GONNA CRAZY』のプロモーションビデオで、DJ KOOが使用[15]シャ乱Qのシングル『空を見なよ』のプロモーションビデオでは、たいせーが使用、また元AKB48星野みちる(当時Michiru)も2010年11月10日リリースの『I♡YOUの五文字』のプロモーションビデオで使用[16]していた。小室は“Yamaha & Steinberg EXPO 2011”のステージ上のトークで「僕の中でのひとつの完成形」「(内蔵のPCM音源素材に関して)いろんなトコ(機材)から音(音色)を持ってきた」と発言。初めて買ったシンセサイザーが当機であるヒャダインとのジョイントコラボを果たした“TOYOTA 白黒歌合戦”でのイベントトーク時に「初期のglobeで使った」とも発言している。2013年12月4日にはiTunes Store限定で、当機のみで作曲・編曲された小室哲哉 VS ヒャダインの「22世紀への架け橋」が配信された。プロアマ問わず、さまざまなユーザーから、現在も一定の評価を受けているモデルである。

B900 

1995年5月発売。フルモデルチェンジされた結果、FM音源部が廃されPCM系のAWM2音源オンリーになる。QY300上位互換のシーケンサーと、SFXバンクを除いてXGに対応したMU50相当の音源部を持つ。最大同時発音数32。QS300にスピーカーを取り付けた機種とも考えられる。EOSシリーズとしては初めてフロッピーディスクドライブが搭載される。これに関してB900シリーズは工場出荷時の状態に戻す際に、購入時に添付されるフロッピーディスクが必要であり、ファクトリープリセットを呼び出すコマンドは本体に内蔵されていない。2020年現在、ヤマハからこのフロッピーディスク及び同等のデータの供給を受けることができない状態である。ボディーカラーは小室哲哉のディレクションにより、シャンパンシルバーを採用。[17]この機種も全国の小中学校においてよく使用され、後に音色を学校教育向けにプリセットし直した(音源部はQS300とSFX音色を含めて完全互換)SDX3000が発売された。ちなみに、後継機種はMO6S(SDX4000)となっている。このモデルから「MUSIC PRODUCTION SYNTHESIZER」となった[17]

B900EX

1996年12月8日発売[18][19]。B900のマイナーチェンジ機種。B900のボディーカラーをダークブルーメタリックに変更し、デモソングの差し替えを行っている。パソコンとの連携を考慮し、接続ケーブルを同梱している(MIDIアダプターケーブル(MDC-01)を付属。使用する際はPCのジョイスティック端子に接続)。発売当初のキャッチフレーズは“THE NET-WORK STATION”[20]

B2000 

1998年4月1日発売[21]。フルモデルチェンジされ、SU10相当のサンプリング機能や、鍵盤を押すと分散和音を自動演奏するアルペジエイター、音色を変化させられるノブを搭載し、最大同時発音数を64にしたEOSの最高峰とも言える機種。スピーカーを格納するボックス(エンクロージャー)の中にシリーズ史上唯一、吸音材が施されている。プレイのサイズはヤマハシンセサイザー中、最大のものを装備し、シーケンサーはQY700直系のものを搭載しており、1台で作曲・編曲やオケ作りがしやすくできている。しかしQY700と違い、電源を切ってしまうとシーケンサーのデータは保存されずに消えてしまうため、フロッピーディスク等にデータをセーブして電源を落とさなければならない。また、『TK PIANO』とネーミングされたピアノ音色があるが、これは前述のローランド・JD-800のプリセットピアノの音をサンプリングしたと言われている(ヤマハがそれを行ったかどうかは不明)。ただしアマチュアが小室サウンドを模倣するために用いる音色としては、JD-800の代用として十分運用できるクオリティである。様々な機能を詰め込んだプロ用のシンセサイザーと変わらないフラグシップモデル並みの価格設定だった。XG対応。MIDIサンプル・ダンプ・スタンダードを受信できてSU10との連携した使用方法も考えられる。ボディカラーはクールメタリックグレー[22]。2007年1月に生産完了したが9年にも及ぶロングセラーとなった。発売当初は小室哲哉がイメージキャラクターを務めて“TK WORKSTATION”と称され「globe tour 1998 "Love again"」でも使用されていたが、1999年5月から浅倉へイメージキャラクターを変更。それに伴い“DA WORKSTATION”とキャッチフレーズも変更され、当時浅倉が組んでいたユニットIcemanのLIVE会場に展示されたり、LIVEでも予備のマシンとしてステージにセッティングされていたが、実際にLIVEで使用されることはなかった[23]。なお、浅倉にイメージキャラクターが変更された後に購入したものについても、「TK Piano」や「TK Hit」などの小室を冠した音色名はそのままで変更はなく、付属のコミックガイドも小室が表紙のままだった。小室のリクエストでオクターブのアップダウンキーや、音色をコントロールするノブが用意された[24]。B700の頃から小室からヤマハにサンプリング機能を入れてほしいと言われており、本機種でそれが日の目を見ることになった[24]。前機種B900と違い、初期化ディスクが無い場合は電源OFFの状態で10キーの7、8、9を同時に押したまま電源ONで工場出荷時に戻る隠しコマンドがある。

B2000W

1998年12月発売。B2000のボディーカラーをクールメタリックグレーからパールホワイトに変更し、デモソングを差し替えた機種。限定発売[22]。“KOMURO TONE”とキャッチフレーズを冠しつつも、小室がシリーズのキャラクターを務めた最後の機種である。

BX(ビーテン)

2001年9月発売。DTM用シンセサイザーS03の筐体を流用し、音源部はキーボードに、シーケンサーはPCと役割分担をさせた機種。スピーカー、そしてB2000 / B2000Wにあったサンプリング機能は内蔵していない。B2000後期から引き続きイメージキャラクターとして浅倉大介を起用。同梱のシーケンサーソフトはXGWorksをBX用にカスタマイズしたDAWorks。ボディーカラーは白、そして文字の部分がオレンジ[25]。2005年にディスコンとなった。歴代EOSシリーズの中でも最軽量かつ安価な価格帯に抑えられているが、やはりBX単体だけでは機能が制限される事もあってか、発売から3年後の2004年に浅倉自身がキーボードマガジンに寄せたレビューでは『現在「初心者向け」と勧められるシンセサイザーがないと述べ、スピーカー内蔵でタイムラグなしで音楽を始められる現在版EOS B500が出れば楽しい』と述べている。
S03との差分USB端子、デジタルアウト、スマートメディアスロット、ロータリーエンコーダ、プレイバックシーケンサーを搭載し、それにDAworks(XGworks)がついてくる。

  1. ^ キーボードマガジン 2012 SUMMER No.377 P.28
  2. ^ a b c キーボードマガジン 2012 SUMMER No.377 P.29
  3. ^ 立東社刊 KB Special 1994年7月号P.28~35。KB Special 1994年8月号P.4~5、P.41~42
  4. ^ https://www.soundhouse.co.jp/en/news/detail?NewsNo=4261
  5. ^ https://icon.jp/archives/2517
  6. ^ https://iflyer.tv/article/2014/11/19/motifxf6001/
  7. ^ https://avex-management.jp/news/190107_6161
  8. ^ シンセフェスタ2021が東京銀座でリアル&オンライン開催。小室哲哉さん、神前暁さん、土橋安騎夫さんなども出演”. 2022年1月24日閲覧。
  9. ^ 日経産業新聞1988年6月4日4ページ「シンセサイザー=ヤマハ(新製品)」
  10. ^ https://jp.yamaha.com/files/62779_EOS_e63602638357a631f2faa4eeb12fe4e9.pdf
  11. ^ https://jp.yamaha.com/files/63104_1992_a64900a85b70098c4c8a1858b9a05d59.pdf
  12. ^ https://jp.yamaha.com/files/63083_b500_253ba77cd1a27537db29b36076049d17.pdf
  13. ^ 日経産業新聞1993年3月26日19ページ「ヤマハ、弾けない人もOK、シンセサイザー。」
  14. ^ https://jp.yamaha.com/files/63090_b700_93bf019666ff832ed20bb468249c64cf.pdf
  15. ^ avex networkによるYouTube公式動画
  16. ^ Victor EntertainmentによるYouTube公式動画
  17. ^ a b https://jp.yamaha.com/files/63100_b900_557415757aaa994cde50ad20496a3a8c.pdf
  18. ^ 日本経済新聞1996年11月15日朝刊17ページ「自宅で小室サウンド、シンセサイザー」
  19. ^ https://web.archive.org/web/19970607205935/http://www.yamaha.co.jp/news/96111401.html
  20. ^ https://jp.yamaha.com/files/63215_b900ex_d8a31dc48b67a736d82261e2a4b1443f.pdf
  21. ^ 日本経済新聞1998年2月6日朝刊17ページ「ヤマハ、人気アーティストとシンセサイザー開発。」
  22. ^ a b c https://jp.yamaha.com/files/63217_b2000w_498fef6b217df07412de70c35f7c158c.pdf
  23. ^ https://jp.yamaha.com/files/63216_b2000_e94459c5696dccbe9b94601e1b67c7a1.pdf
  24. ^ a b キーボードマガジン 2012 SUMMER No.377 P.32
  25. ^ https://jp.yamaha.com/files/63557_bx_e118c3ba819de477f1e88064abe87174.pdf
  26. ^ キーボードマガジン 2012 SUMMER No.377 P.33





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