マルッティ・アハティサーリ マルッティ・アハティサーリの概要

マルッティ・アハティサーリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 15:17 UTC 版)

マルッティ・アハティサーリ
Martti Oiva Kalevi Ahtisaari
生年月日 (1937-06-23) 1937年6月23日
出生地  フィンランドヴィープリ
(現 ロシアヴィボルグ)
没年月日 (2023-10-16) 2023年10月16日(86歳没)
死没地  フィンランドヘルシンキ
所属政党 フィンランド社会民主党
配偶者 Eeva Irmeli Ahtisaari

在任期間 1994年3月1日 - 2000年3月1日
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ノーベル賞受賞者
受賞年:2008年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:インドネシア・アチェ武装勢力の紛争解決への尽力に対して

来歴

1937年[1]、現ロシアヴィボルグ(旧フィンランド領ビイプリ[1])生まれ。教員養成大学卒業後、1965年外務省。外交官として駐タンザニア大使ナミビア担当国連事務総長特別代表などを歴任。1993年フィンランド社会民主党の党首となり、1994年スウェーデン人民党エリサベト・レーンに勝利して大統領に当選する。2000年まで1期6年同職を務めた。

大統領退任後は、国連特使としてコソボ地位問題インドネシアアチェ和平合意など、世界各地の紛争解決に尽力した。この功績から2008年ノーベル平和賞を受賞した[2]。また同年、法政大学より名誉博士の学位を授与された。

2023年10月16日、ヘルシンキで死去[2][1]。86歳没[1]

参考文献

  • カトゥリ・メリカリオ 著、脇阪紀行 訳『平和構築の仕事ーフィンランド前大統領アハティサーリとアチェ和平交渉』明石書店、2007年11月30日。 

関連項目

  • ヘルシンキ和平合意 - アハティサーリの仲介で締結されたインドネシアと自由アチェ運動の和平合意。アチェ和平合意。
  • クライシス・マネジメント・イニシアティブ英語版 (CMI) - 退任後に設立したNGO。
公職
先代
マウノ・コイヴィスト
フィンランド共和国大統領
第10代 : 1994年 - 2000年
次代
タルヤ・ハロネン

  1. ^ a b c d フィンランド元大統領のマルッティ・アハティサーリ氏が死去、86歳…08年ノーベル平和賞」『読売新聞オンライン』、2023年10月16日。2023年10月21日閲覧。
  2. ^ a b ノーベル平和賞受賞のアハティサーリ氏死去”. 共同通信 (2023年10月16日). 2023年10月16日閲覧。


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