サーブ 90 スカンディア 販売促進飛行

サーブ 90 スカンディア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/12 17:19 UTC 版)

販売促進飛行

1947年に試作機は足早にデンマークオランダベルギースイスへ訪問飛行をした。1948年5月にはオスロ経由でニューカッスルへの日帰り飛行を行った。これらの飛行では試作機はテスト機材のみを搭載していた。それまでは購入予定客がいない本来の販売促進飛行ではなかったので、キャビンを乗客を迎えられるように整えた上で、ヨーロッパを巡る本当の販売促進飛行を実施することに決定した。

113時間ヨーロッパ一周

試作機は1948年8月9日に出発しヨーロッパ11カ国を訪問して、SE-BCAは1948年11月11日にリンシェーピングに帰ってきた。最初の中継地はストックホルムで続いてノルウェー(オスロ)、アイルランドダブリン)、英国プレストウィック、ガトウィック、ジャージィー)、デンマークコペンハーゲン)、ベルギー(ブラッセル)、オランダ(オランダ)、スイス(ジュネーヴチューリッヒ)、ポルトガルリスボンオポルト)、スペインマドリッド)、フランスパリ)そして最後にフィンランドを訪問した。総飛行時間は113時間で離陸回数は123回、総飛行距離は37,200 kmで1,200名の乗客を運んだ。オランダではオランダ王室のベルンハルト王子が操縦桿を握った。

あらゆる街でスカンディアは航空会社の代表や地元新聞に歓迎されたが、販売結果には結びつかなかった。1948年から1949年にかけて、多くの航空会社がリンシェーピングに視察に訪れた。これらの航空会社にはDNL、フレッド・オルセン(Fred Olsen)、DDLアエロ・オイ(Aero Oy)、スイスエア、FAMA、Aerol、アルゼンチナス(Argentinas)、KLM、エアサービス(Air Service)、サベナガルーダが含まれていた。

3大陸横断

1949年8月16日に2回目の販売促進飛行を開始した。各々400リットルの追加燃料タンク6個を搭載しSE-BCAは3つの大陸を巡るツアーを開始した。これはこの機の姿がスウェーデンで見られた最後であった。

ツアーの最初はパリへ行きそこで追加燃料タンクを外し、8月23日にSE-BCAはアジス・アベバエチオピア)に到着した。翌日皇帝ハイレ・セラシエが販売促進ツアーに同行した。今回のツアーには、当時エチオピア空軍のコンサルタントをしていたカール・グスタフ・フォン・ローゼンも参加した。アテネカイロポートスーダンルクソールも途中で訪問した。このツアーでは摂氏50度という厳しい温度条件(高温では空気密度が下がりエンジン出力が低下する)も経験したが機には何の問題も無かった。機がパリに戻ったときに追加燃料タンクが再び取り付けられた。

9月4日にSE-BCAはプラット・アンド・ホイットニー社の本拠地であるコネチカット州ハートフォードに向けてパリを出発した。途中グリーンランドアイスランドプレストウィックを経由して3日掛かりでハートフォードに到着した。そこでは追加燃料タンクが外され、再度内装が取り付けられた。全米を巡る大規模な販売促進プログラムが組まれ、ニューヨークワシントンシカゴマイアミロサンゼルスヒューストンに降り立った。ロサンゼルスではハワード・ヒューズがスカンディアの操縦桿を握り、その設計を賞賛した。9月14日にスカンディアはハートフォードに戻ってきた。




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