キリル文字 歴史

キリル文字

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 17:51 UTC 版)

歴史

前史・グラゴル文字の発明

グラゴル文字は、スラヴ人に布教を行ったキリスト教東方教会の総本山、正教会宣教師であるキュリロス(キリル)とメトディオス(メフォディ)が発明した文字である。

862年、西スラヴ人の王国であるモラヴィア王国ラスチスラフ王が東ローマ帝国にキリスト教の伝道師派遣を要請し、東ローマ皇帝はキリルとメフォディの兄弟をモラビア王国に派遣した。このときキリルとメフォディ兄弟はスラヴ人に正教を布教するため、スラブ語を表記するための文字を考案した。これがグラゴル文字で、このグラゴル文字がのちにキリル文字に発展した。

862年から863年ごろに考案されたグラゴル文字は史上初のスラヴ語表記の文字であり、スラブ世界で広く使用されるようになった。しかし、キリルとメフォディ兄弟の布教はキリスト教西方教会であるローマ教会から妨害され、885年のメフォディの死後、キリルとメフォディ兄弟の弟子であるオフリドのクリメントらは弾圧から逃れてブルガリア帝国へ移り、ボリス1世に庇護されながら布教活動を続けた[1]

キリル文字の誕生

グラゴル文字はスラヴ語の特徴をよくとらえたものであったが、いくつかの問題が存在した。形が複雑すぎて使用しにくかったことと、当時ブルガリアではすでにギリシア語を使う層が一定数おり、ブルガリア語をギリシア文字で表すことも行われていたことである[2]。そこでブルガリアに移った弟子たちはグラゴル文字を改良し、900年前後よりギリシア文字に近い形の新しい文字を開発した。キリル文字の開発にあたっては、基本的にはギリシア文字を採用し、ギリシア文字では表現できないものはグラゴル文字からの借用や新文字によって表現した[3]。しかし彼らはキュリロスをしのび、新しい文字をキュリロスの文字と呼んだ[4]。これがキリル文字である。この名称のため、後世にはキリルが作ったのがキリル文字と信じられるようになった。上記のように弾圧を受けたこともあって文字成立期の資料がほとんど発見されていなかったため、19世紀前半まではグラゴル文字とキリル文字のどちらが古いかは謎となっていたが、19世紀中ごろに古い音韻を残したグラゴル文字資料がいくつか発見され、グラゴル文字の方が早く成立したことが明らかとなった[5]

キリル文字の使用が始まった時期は明確ではないが、シメオン1世の統治下(893年 - 927年)と考えられている[3]。開発当初、キリル文字とグラゴル文字はブルガリア国内で併存しており、首都プレスラフを中心とする北東部ではキリル文字が、旧首都オフリドを中心とする西部においてはグラゴル文字が使用されていた[6]

伝播と変遷

教会での典礼用に開発されたキリル文字は、グラゴル文字と同様スラヴ語正教会圏に普及していき、徐々にグラゴル文字の後継言語となった[7]。シメオン時代にブルガリア統治下にあったセルビアにもキリル文字は伝播し、さらに988年にはキエフ大公ウラジーミル1世が正教会を受け入れたため、ロシア全土にキリル文字が伝播することとなった。

各国に伝わったキリル文字は、その後各地の実情に応じて修正が加えられていった。ロシアにおいては18世紀初頭にピョートル大帝が文字改革を行っていくつかの文字を廃止し、また字体がラテン文字に近づけられた[8]。さらに20世紀に入ると再び改革が行われることになり、1912年に改正改革案が発表され、1917年にはロシア臨時政府によって旧文字体系から4つの文字が除去された現行のロシア文字体系が施行された[9]。セルビアにおいても19世紀半ばにヴーク・カラジッチによって言文一致を旨とした改革が遂行され、不要な文字の除去とラテン文字のJの導入などが行われ、セルビア語キリル・アルファベットが成立した[10]1945年にはブルガリアにおいても文字改革が実施された[10]


注釈

  1. ^ a b ラテン文字も通常使用されている。
  2. ^ ボスニア語ではキリル文字も用いられる。
  3. ^ ギリシア文字、グルジア文字、アルメニア文字はいずれもキリル文字より歴史が古い。

出典

  1. ^ 「キリール文字の誕生 スラヴ文化の礎を築いた人たち」p218 原求作 上智大学出版 2014年3月10日第1版第1刷
  2. ^ 「キリール文字の誕生 スラヴ文化の礎を築いた人たち」p248 原求作 上智大学出版 2014年3月10日第1版第1刷
  3. ^ a b c 「ロシア・中欧・バルカン世界のことばと文化」(世界のことばと文化シリーズ)p45 桑野隆・長與進編著 早稲田大学国際言語文化研究所 成文堂 2010年6月10日初版第1刷
  4. ^ 「ロシア・中欧・バルカン世界のことばと文化」(世界のことばと文化シリーズ)p41 桑野隆・長與進編著 早稲田大学国際言語文化研究所 成文堂 2010年6月10日初版第1刷
  5. ^ 「キリール文字の誕生 スラヴ文化の礎を築いた人たち」p240-242 原求作 上智大学出版 2014年3月10日第1版第1刷
  6. ^ 「キリール文字の誕生 スラヴ文化の礎を築いた人たち」p248-249 原求作 上智大学出版 2014年3月10日第1版第1刷
  7. ^ 「ビジュアル版 世界の文字の歴史文化図鑑 ヒエログリフからマルチメディアまで」p273 アンヌ=マリー・クリスタン編 柊風舎 2012年4月15日第1刷
  8. ^ 「ロシア・中欧・バルカン世界のことばと文化」(世界のことばと文化シリーズ)p48-50 桑野隆・長與進編著 早稲田大学国際言語文化研究所 成文堂 2010年6月10日初版第1刷
  9. ^ 「ロシア・中欧・バルカン世界のことばと文化」(世界のことばと文化シリーズ)p51-52 桑野隆・長與進編著 早稲田大学国際言語文化研究所 成文堂 2010年6月10日初版第1刷
  10. ^ a b 「ビジュアル版 世界の文字の歴史文化図鑑 ヒエログリフからマルチメディアまで」p278 アンヌ=マリー・クリスタン編 柊風舎 2012年4月15日第1刷
  11. ^ a b 「バルカンを知るための66章 第2版」p272 柴宜弘編著 明石書店 2016年1月31日第2版第1刷
  12. ^ a b 「中央アジアを知るための60章」p104 宇山智彦編著 明石書店 2003年3月10日初版第1刷
  13. ^ 「図説 アジア文字入門」p105 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所編 河出書房新社 2005年4月30日初版発行
  14. ^ 「世界の文字を楽しむ小事典」p169 町田和彦編 大修館書店 2011年11月15日初版第1刷
  15. ^ 「世界の文字を楽しむ小事典」p170 町田和彦編 大修館書店 2011年11月15日初版第1刷
  16. ^ a b NIKKEI ASIAN REVIEWから】カザフスタン/ローマ字移行 ロシアに背「欧米追従」一部に批判『日経産業新聞』2017年7月20日アジア・グローバル面
  17. ^ 「世界の文字を楽しむ小事典」p171 町田和彦編 大修館書店 2011年11月15日初版第1刷
  18. ^ “カザフスタンが表記文字を変更、ロシア文字からローマ字へ”. Reuters. (2017年10月30日). https://www.reuters.com/article/kazakhstan-idJPKBN1CZ04T 2021年7月3日閲覧。 
  19. ^ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170621-00000081-jij-asia 「ローマ字化、是か非か=旧ソ連のカザフで論議」時事通信 2017年6月21日 2017年6月21日閲覧[リンク切れ]
  20. ^ “カザフスタン】 これからはカザフ語のみで貨幣発行へ”. TRT日本語. (2019年2月24日). http://www.trt.net.tr/japanese/shi-jie/2019/02/24/20190224-001-1151288 2019年2月25日閲覧。 
  21. ^ 『図説 世界の文字とことば』 町田和彦編 25頁。河出書房新社 2009年12月30日初版発行 ISBN 978-4309762210
  22. ^ Mongolia abandons Soviet past by restoring alphabet | World | The Times”. 2020年6月22日閲覧。
  23. ^ 「ロシア・中欧・バルカン世界のことばと文化」(世界のことばと文化シリーズ)p236-237 桑野隆・長與進編著 早稲田大学国際言語文化研究所 成文堂 2010年6月10日初版第1刷
  24. ^ 「世界の文字を楽しむ小事典」p24 町田和彦編 大修館書店 2011年11月15日初版第1刷






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