カンザス州の歴史 カンザス州の歴史の概要

カンザス州の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/29 23:41 UTC 版)

1850年代にヨーロッパ系アメリカ人の開拓に開放されると、南北戦争に繋がる紛争の最初の戦場になった。南北戦争後、古西部の拠点町として牛の交易を行った。鉄道によって東部や、ヨーロッパからおよび「エクソダスター」と呼ばれる解放奴隷の移民が大挙して起こった。カンザスはその歴史の大半で小麦やその他の穀物に基づく田園経済であり、これを石油や鉄道が補った。1945年以降農業人口は急速に減少し、ウィチタの航空産業を初めとする製造業の重要性が増してきた。

前史

パレオ・インディアンと古期の人々

これまでに解明された考古学および地質学的形跡を総合すれば、旧石器時代マンモスを狩猟の対象とした一族が旧石器時代終わり頃のいずれかの時点(紀元前1万年頃までと考えられる)で、様々な手段で北アメリカ大陸北西部に入ってきた。紀元前7000年頃、北アメリカに入ったアジア系移民がカンザスにも到達した。当初カンザスに入った人々は決してカンザスを捨てることはなく、後から入ってきた人によってその数が増えていった。これら新参の人々はマンモス、ラクダ、地上性ナマケモノおよびに遭遇した。これらの生物種はそれ以前に大型動物を狩る洗練された人々に遭うことは無かったので、その結果は「更新世の過剰殺りく」となり、紀元前8000年頃までに北アメリカの大型氷河期動物のほとんど全ての種は急速にまた組織的に個体数を減少した。ある意味で、マンモスを追った狩人はグレートプレーンズ北部で最初の経済繁栄サイクルを経験しており、資源が枯渇するか破壊されるまで容赦なく使い果たした。

大型動物の狩人が居なくなると、その後の古期の人々は専門家というよりも多方面の才能を持つ人となって生き残り、平原を季節移動して食料を集めた。この人々は狩猟を諦めた訳ではなく、野生の食用植物や小さな動物を対象とした。その道具も様々に変化し、潰したり切ったりする作業が普通になっていたことは、種、果物および野菜が食料の大きな部分を占めていたことを示すものでもある。また土器を作る社会も出現していた。

農業の導入

古期の大半、人々は基本的にその自然環境を変えることはできなかった。この地域以外にいた集団、特にメソアメリカでは、農業のような大きな革新的なものをアメリカ中に紹介していた。約3000年前に古期の集団には食料採集者から食料生産者に変わった者がいた。彼らは半定住農業生活に伴う多くの文化的側面、すなわち貯蔵施設、より恒久的な住居、大きな集落、および墓地をすら持っていた。エル・クアルトレーヨ遺跡は最北のインディアン・プエブロ集落である。この集落は古期の遺物が見つかったカンザスでは唯一のプエブロである。

早くから農業が現れていたにも拘わらず古期後期の人々は自然環境に対する制御はほとんどできていなかった。さらに土器の発明や灌漑が進んだ後でも、野生の食糧資源が食料の重要な構成物のままであった。古期最大の社会にあっても、農業の導入は完全に狩猟採集生活を捨てさせることにはならなかった。

ヨーロッパ人の訪れおよび土地の種族

1541年、スペインのコンキスタドール、フランシスコ・バスケス・デ・コロナドがカンザスを訪れ、リンズボーグの「コロナド高地」近くまで引き返したと言われている。コロナドの遠征隊はプレーンズ・インディアンに馬を紹介し、急速にその生活様式と範囲を変えた。この変化に続いて、カンザ族(時としてコー族)やオーセージ族(元はウーサシュ族)が1600年代にカンザスに到着した(カンザ族は1673年以来この地に住み着いたと主張した)。18世紀の終わりまでに、これら2種族はカンザスの東部で支配的な種族となり、カンザ族はカンザス川の北に、オーセージ族はアーカンザス川の南に住んだ。同時にポーニー族(時としてパニーサ族)が、カンザ族やオーセージ族の西や北の平原に支配的な種族となった。この地にはアメリカバイソンの大群がいた。ヨーロッパ人は1719年に北部ポーニー族を訪れた。オーリンズ砦のフランス軍指揮官エティエンヌ・ド・ブールモンが1724年にカンザス川を訪れ、河口のカンザ族主要集落の近くに交易拠点を設立した。同じ頃、スー族の中のオトー族もカンザス北東隅周辺の様々な地域に住んだ。


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  3. ^ Shawanoe treaty http://digital.library.okstate.edu/Kappler/Vol2/treaties/sha0262.htm
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  8. ^ The Treaty with the Oto and Missouri Tribes of 1833
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  13. ^ Indian Affairs: Laws and Treaties, Vol. II, Treaties. Compiled and edited by Charles J. Kappler. Washington : Government Printing Office, 1904. (cf. [The treaty with the ...] チェロキー族インディアン、およびアーカンソー準州領域内に現在住む者、ミシシッピ川より東の州にその友人や兄弟が住む者、さらに西部の兄弟と一緒になりたいと願う者に、恒久的な家を与える。これは合衆国の最も厳粛な保障のもとにあり、「永久に彼等の」ものであり、有り続ける。この家は将来の如何なる時にも、その周りに境界を延ばして邪魔をしたり、準州または州の司法権を及ぼしたり、あるいは現存する準州または州の境界を如何なる方法でも拡張して圧迫されることは決してない。)
  14. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  15. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  16. ^ William G. Cutler's History of the State of Kansas. State History Part 21, Indian Troubles in Kansas (1864 - 1870).
  17. ^ Charles William Sloan, Jr., ""Kansas Battles the Invisible Empire: The Legal Ouster of the KKK From Kansas, 1922-1927," Kansas Historical Quarterly Fall, 1974 (Vol. 40, No. 3), pp 393-409] (ed. explains in detail how the KKK worked in Kansas.)





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