カンザス州の歴史 1850年代初期および準州の組織化

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カンザス州の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/29 23:41 UTC 版)

1850年代初期および準州の組織化

カンザスにおける先住民族を定住させる広大な計画にも拘わらず、1850年までにアメリカ白人が不法にその土地に侵入し、その地域全体を開拓のために開放することを声高く要求した。やがて来る事件の前兆として、間もなくライリー砦を含む幾つかのアメリカ陸軍の砦が幾つかインディアン準州深く造られ、様々な西方へ向かう道の旅人を護衛した。

シャイアン族アパラチー族はこの時もカンザス西部(現在はコロラド州)の土地について合衆国と交渉を続けており、1851年9月17日に条約に調印した[12]が、先住民族に「恒久的に」約束した土地を取り上げる機運が既に作られつつあった。

ワイアンドット族はその土地と自治権が危険に曝されていることを認識し、1852年1853年にインディアン準州内の自分達の区画に領土政府を創ろうとした。1853年、13人の代議員からなる集会を招集し、その領土の憲法が作られた。ウィリアム・ウォーカーという名のワイアンドット族がこの憲法に従って暫定首長に選ばれ、代議員1人が連邦議会に派遣された。しかし、カンザスは公式の準州ではなかったので、その代議員は連邦議会に受け入れられなかった(時間の経過と共に、ワイアンドット族によるこの動きは小さなものとなり、多くの種族は後にオクラホマ州となる土地に移った。)。

カンザス・ネブラスカ法

連邦議会は1852年カンザス準州を創設する手続きを始めた。この年、第32連邦議会の第1会期にミズーリ州とアイオワ州より西にある地域の準州組織化について請願書が提出された。この時は何の行動も起こされなかった。しかし、次の会期のときの1852年12月13日に、ミズーリ州選出の代議員がプラット、すなわちミズーリ州とアイオワ州の西にある土地全てで、西はロッキー山脈にまで広がる領土の組織化法案を下院に提出した。法案は下院領土委員会に掛けられ、1853年2月10日には下院で成立した。しかし、南部州出身の上院議員は上院での法案成立を滞らせ、奴隷制に関わる法案から予想される結果とミズーリ妥協が議論された。この法案と他の競合提案に関して熱した議論が1年間続き、最終的にネブラスカ準州とカンザス準州を設立するカンザス・ネブラスカ法1854年5月30日に法として成立した。

譲渡された先住民族の領土

一方1853年の夏までに、カンザス東部は間もなくアメリカ白人開拓者に解放されることが明らかになった。連邦議会はインディアン問題担当局のコミッショナー、ジョージ・W・メニーペニーを、先住民族と新しい条約の交渉のために派遣し、4分の1世紀足らず前に先住民達に「永久に」割り当てられた土地を1つ残らず合衆国政府に戻すよう求めた[13]。準州内東部のほとんど全ての種族が、1854年のカンザス準州法が成立する前にその土地の大部分を手放し、結果的に南の、後にオクラホマ州となる地域に移住した。

「ワン・コールド・フロム・ア・ディスタンス」(遠くから呼ばれる男)という名のチッペワ族

法案の通過する直前3ヶ月で、条約はワシントンD.C.でレナペ族、オトー族、キカプー族、カスカスキア族、ショーニー族、ソーク族、フォックス族およびその他の種族との間に穏やかに結ばれ、それによってミズーリ州との州境から100ないし200マイル(160 kmないし320 km)内にあるカンザス東部の大部分は突如として白人開拓者に解放された(カンザ族の保留地は既に1846年の条約で減らされていた)[14]1854年3月15日、オトー族とミズーリ州のインディアンはミシシッピ川の西にある土地で、ビッグブルー川沿いの帯状の土地を除いて全てを合衆国に渡した[15]。1854年、5月6日と10日、ショーニー族は6,100,000エーカー (25,000 km2)を手放し、自分達には200,000エーカー (809 km2)のみを残すことになった。同じく5月6日、レナペ族は条約で定義された居留地を除いて全ての土地を合衆国に譲渡した。5月17日、アイオワ族も同様にその土地を手放し、小さな居留地のみを保持した。5月18日、キカプー族も準州の西部にある150,000エーカー (607 km2)を除いてその土地を渡した。3月30日にはカスカスキア族、ピオリア族、ピアンクショー族およびウィー族の土地も譲渡され、5月18日にはソーク族とフォックス族も手放した。

カンザス準州における先住民族の土地を減らす最後の段階が間もなく訪れ、各種族の全ての土地を取り上げ、その代わりに個人あるいは家族に(単独保有で)小さな区画を渡した。例えば、1854年にチッペワ族(スワンクリークとブラックリバーの集団)はフランクリン郡に8,320エーカー (34 km2)の土地に住んでいたが、1859年にはそれがチッペワ族個別の家族に分けられた。


  1. ^ Kansa treaty http://digital.library.okstate.edu/Kappler/Vol2/treaties/kan0222.htm
  2. ^ Osage treaty http://digital.library.okstate.edu/kappler/vol2/treaties/osa0217.htm
  3. ^ Shawanoe treaty http://digital.library.okstate.edu/Kappler/Vol2/treaties/sha0262.htm
  4. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  5. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  6. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  7. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  8. ^ The Treaty with the Oto and Missouri Tribes of 1833
  9. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  10. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  11. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  12. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  13. ^ Indian Affairs: Laws and Treaties, Vol. II, Treaties. Compiled and edited by Charles J. Kappler. Washington : Government Printing Office, 1904. (cf. [The treaty with the ...] チェロキー族インディアン、およびアーカンソー準州領域内に現在住む者、ミシシッピ川より東の州にその友人や兄弟が住む者、さらに西部の兄弟と一緒になりたいと願う者に、恒久的な家を与える。これは合衆国の最も厳粛な保障のもとにあり、「永久に彼等の」ものであり、有り続ける。この家は将来の如何なる時にも、その周りに境界を延ばして邪魔をしたり、準州または州の司法権を及ぼしたり、あるいは現存する準州または州の境界を如何なる方法でも拡張して圧迫されることは決してない。)
  14. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  15. ^ INDIAN AFFAIRS: LAWS AND TREATIES. Vol. 2, Treaties
  16. ^ William G. Cutler's History of the State of Kansas. State History Part 21, Indian Troubles in Kansas (1864 - 1870).
  17. ^ Charles William Sloan, Jr., ""Kansas Battles the Invisible Empire: The Legal Ouster of the KKK From Kansas, 1922-1927," Kansas Historical Quarterly Fall, 1974 (Vol. 40, No. 3), pp 393-409] (ed. explains in detail how the KKK worked in Kansas.)





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