DKW
DKW (1931 - 1939)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 04:32 UTC 版)
「スプリット・シングル (内燃機関)」の記事における「DKW (1931 - 1939)」の解説
1931年にイング・ツェラーにより製造され、オートバイレースにて用いられたスプリット・シングルエンジンは、戦前の小排気量オートバイレースにおいて、DKWに支配的な地位をもたらす事に貢献した。DKWのスプリット・シングルは戦後のプフが採用したものと同様の、V形状ピギーバックタイプのコンロッドを使用していたが、最大の特徴は燃焼を司るスプリット・シングルの他に、掃気用のシリンダーが別に用意された1気筒3ピストン方式を採用していた点にある。この方式はクランクケースによる一時圧縮が不要となり、潤滑系統を4ストロークエンジンと同様にできる利点があるが、DKWは潤滑方式というよりも掃気シリンダーによる過給効果を期待し、この形式の開発を戦前期に非常に盛んに行った。戦前のオートバイレースのレギュレーションでは、過給機の装着禁止が明文化されていなかった為に、DKWはクランクケース圧縮と掃気シリンダーを併用したものや、掃気シリンダーの代わりに対向ピストンエンジンの掃気装置に類似したベーンポンプ(ベーン式スーパーチャージャー)を装着したものなどを設計している。この時期のDKW製スプリット・シングルの代表例がDKW・SS350で、180度対向配置の掃気シリンダーでの過給で32馬力を発揮した。他に250ccのSS250でも同様のコンセプトが採用されたが、両者とも激しい放熱に耐える為に冷却方式は水冷が選択された。第二次世界大戦の勃発でロードレースから一時撤退する1939年末時点では、並列2気筒4ピストン型のUS250は40馬力、US350は48馬力にまで達していたという。しかし、DKWはプフのようにスプリット・シングルを市販車両に展開する事は無く、戦後は簡素な構造ながらも高性能な、ウォルター・カーデンの排気チャンバーを採用した従来型単気筒レーサーの開発に注力した為、スプリット・シングルの系譜は戦前までで途絶えている。
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