2012年ロンドン大会
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「オリンピックのサッカー競技・グレートブリテン代表」の記事における「2012年ロンドン大会」の解説
2012年のオリンピック開催地としてロンドンが決定したことにより、イギリスはホスト国としてサッカー競技にチームを送る権利を得た。イギリスオリンピック委員会はサッカー代表が参加するであろうと述べたが、スコットランドサッカー協会はホーム・ネイションズが統一チーム編成の可能性を討論する会合への出場さえも拒否し、ウェールズサッカー協会は交渉から撤退した。2007年10月、アイリッシュ・フットボール・アソシエーション(北アイルランド協会)もまた統一チームに参加しないことを発表し、参加を望む協会はFAのみとなった。 2005年にBOAによって行われた世論調査では、スコットランド人の多数(69%)が2012年オリンピックにおけるチーム結成を支持していると主張されている。全4ホーム・ネイションズの公式ファンクラブによって公表された共同声明では統一チームを作る計画に対する反対意見が表明されている。様々な有力政治家もまた2012年オリンピックにイギリス統一チームを参加させるべきかについて彼らの意見を述べている。英国首相ゴードン・ブラウンは2008年オリンピックの期間中に、それがホーム・ネイションズの自律性に影響することを認めながらも、イギリスチームを望み、それに対して働くつもりであると述べた。スコットランド自治政府首相(英語版)アレックス・サモンドはこれに続いてイギリスチームへの反対意見を表明し、ブラウンは「スコットランドのことにひどく疎い」に違いないと主張した。 この計画に対するスコットランドサッカー協会 (SFA) の反対意見は主にホーム・ネイションズが全ての大会に合同チームで参加することが強制されるのではないか、という恐れに根差していた。これはFIFAの規約で認められているホーム・ネイションズの特別な地位が失われることを意味している。FIFA会長(英語版)ゼップ・ブラッターは、2012年に合同チームを派遣することによって彼らの地位が影響を受けることはない、とイギリスの各協会に確約していた。SFAは、ブラッターの個人的な見解と許可は彼が退任すれば問題にならず、SFAの地位を危うくすることを望まないと主張し、立場を変えることを拒否した。 ブラッターは2008年3月に「イングランドの選手のみで構成されたチームを参加させるべき」と述べたことから意見を変えたように見え、統一チームによってイギリス4協会の独立した地位が傷付きかねないことを示唆した。 欧州サッカー連盟 (UEFA) 事務総長で、SFAの元事務総長でもあるデビッド・テイラーは2008年8月に、イギリスオリンピックチームは個々のホーム・ネイションズの存在を脅かすだろう、と述べた。テイラーはまた、ホーム・ネイションズの特有の地位は他のFIFAメンバーによって以前から攻撃を受けており、この地位を護るための保証が与えられないだろうとも述べている。日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ2008に併せて開かれた会議において、2012年オリンピックへのイギリスチームの参加の見込について、承認する権限を持つFIFA理事会によって議論された。 「 当理事会は、イギリスを代表する単一チームの2012年ロンドンオリンピックへの参加が、現在のイギリス4協会の個々の地位に影響しないことを確認した。オリンピックでは、イギリスは一つのチームでプレーしなければならない。ボールは今彼らの芝生にある...。我々は3月に何らかの解答が我々に提示されることを期待している。 」 イングランド人選手のみからなるチームがイギリス代表として参加することで、最終的に4協会間で合意に達した。北アイルランド、スコットランド、ウェールズのサッカー協会は、彼らは参加しないがイングランド単独での参加に反対しないことを記載した共同文書をFIFAに送付した。この合意は、全4協会から選手が選考されることを望みイングランド人選手のみを選ぶことは潜在的に差別的であると出張するイギリスオリンピック委員会から異議を申し立てられた。ジム・ボイス(英語版)はBOAによる選手選考には法的制約はないとコメントし、SFAはスコットランド人選手の参加を拒む法的根拠はないと認めていた。2011年10月、FAはスチュアート・ピアースがヘッドコーチに就任すると発表した。オリンピック本大会前に先立って2012年に、チームは2試合の親善試合を行った。 2011年11月、400メートルハードル世界チャンピオンのデイビッド・グリーン(英語版)はチームGBに反対であると話した。グリーンは、オリンピックはサッカーの頂点を決める大会ではないため、オリンピックにサッカー競技は含まれるべきでないと感じていると述べた。彼はまた、サッカーチームの報道がその他の競技者に対する興味を覆い隠すことの恐れを表明している。グリーンは自分の考えはほとんどのアスリートに共有されているだろうと主張した。 最終的な統一チームメンバーはイギリス本土4協会のうち、イングランドとウェールズの2協会の選手のみ選ばれ、スコットランドと北アイルランドの2協会の選手は選出されないことが2012年6月29日、判明。同年7月2日に、ロンドン五輪に出場する本登録の選手18名が発表された。イングランドから13名、ウェールズから5名選ばれた(ちなみに、女子は、男子とは異なり、イングランドから16名、スコットランドから2名選出)。ロンドンオリンピックは、イギリス男子代表12回目の出場で、イギリス女子代表は初出場となる。イギリス統一男子五輪代表のスチュアート・ピアース監督本人は、イングランドだけでなくスコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4協会所属選手全てが選考の対象としていた。ロンドンオリンピックは、イギリス代表12回目の出場となった。
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2012年ロンドン大会
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「U-23サッカー日本代表」の記事における「2012年ロンドン大会」の解説
ロンドン大会のメンバー。監督は関塚隆。 No.Pos.選手名生年月日(年齢)出場数ゴール在籍クラブ1 GK 権田修一 (1989-03-03)1989年3月3日(23歳) 6 0 FC東京 2 DF 徳永悠平* (1983-09-25)1983年9月25日(28歳) 5 0 FC東京 3 MF 扇原貴宏 (1991-10-05)1991年10月5日(20歳) 5 0 セレッソ大阪 4 DF 酒井宏樹 (1990-04-12)1990年4月12日(22歳) 4 0 ハノーファー96 5 DF 吉田麻也* (1988-08-24)1988年8月24日(23歳) 6 1 VVVフェンロー 6 MF 村松大輔 (1989-12-16)1989年12月16日(22歳) 1 0 清水エスパルス 7 FW 大津祐樹 (1990-03-24)1990年3月24日(22歳) 6 3 ボルシアMG 8 DF 山村和也 (1989-12-02)1989年12月2日(22歳) 3 0 鹿島アントラーズ 9 FW 杉本健勇 (1992-11-18)1992年11月18日(19歳) 4 0 東京ヴェルディ 10 MF 東慶悟 (1990-07-20)1990年7月20日(22歳) 6 0 大宮アルディージャ 11 FW 永井謙佑 (1989-03-05)1989年3月5日(23歳) 6 2 名古屋グランパス 12 DF 酒井高徳 (1991-03-14)1991年3月14日(21歳) 4 0 VfBシュトゥットガルト 13 DF 鈴木大輔 (1990-01-29)1990年1月29日(22歳) 6 0 アルビレックス新潟 14 MF 宇佐美貴史 (1992-05-06)1992年5月6日(20歳) 4 0 ホッフェンハイム 15 FW 齋藤学 (1990-04-04)1990年4月4日(22歳) 5 0 横浜F・マリノス 16 MF 山口螢 (1990-10-06)1990年10月6日(21歳) 6 0 セレッソ大阪 17 MF 清武弘嗣 (1989-11-12)1989年11月12日(22歳) 6 0 1.FCニュルンベルク 18 GK 安藤駿介 (1990-08-10)1990年8月10日(21歳) 0 0 川崎フロンターレ *はオーバーエイジ。
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