しみず‐エスパルス〔しみづ‐〕【清水エスパルス】
清水エスパルス
清水エスパルス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 02:11 UTC 版)
清水エスパルス(しみずエスパルス、英: Shimizu S-Pulse)は、日本の静岡県静岡市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。Jリーグ創設当初からのチーム、オリジナル10の1つ。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “プロフィール:静岡エスパルス”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年9月6日閲覧。
- ^ “S-PULSE REBRANDING PROJECT LAUNCH”. 清水エスパルス. 2023年12月30日閲覧。
- ^ a b c d e “クラブ概要”. 清水エスパルス. 2014年4月5日閲覧。
- ^ “2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2018年8月7日閲覧。
- ^ a b c 株式会社エスパルス 第25期決算公告
- ^ a b c 株式会社エスパルス 第28期決算公告
- ^ a b “スタジアムイベント”. 清水エスパルス. 2013年4月12日閲覧。
- ^ a b “マスコット紹介”. 清水エスパルス公式サイト. 2013年4月12日閲覧。
- ^ “静岡蹴球物語/3 清水の礎築いた堀田さんの指導 選手育成の制度確立”. 毎日新聞静岡地域版. 2017年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。(2016年1月4日). 2016年1月9日閲覧。
- ^ “全日本少年サッカー大会出身Jリーガーは!? 歴史を学ぼう”. サカイク公式サイト (2011年8月11日). 2015年12月26日閲覧。
- ^ “全国高校サッカー選手権歴代優勝校”. 日刊スポーツ公式サイト. 2015年12月26日閲覧。
- ^ “IAIスタジアムの生い立ち”. IAIスタジアム日本平ガイド. 2015年12月26日閲覧。
- ^ 常松鉄雄 (2016年1月6日). “かなわなかった、カズの清水入団 J発足時の関係者語る”. 朝日新聞デジタル. オリジナルの2016年2月10日時点におけるアーカイブ。 2016年1月9日閲覧。
- ^ 大住良之 (2012年6月27日). “Jリーグを創った男・佐々木一樹 第2回”. Sportsnavi. 2015年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月26日閲覧。
- ^ “クラブ | クラブ概要”. 清水エスパルス公式WEBサイト. 2023年12月30日閲覧。
- ^ “次世代に伝えるスポーツ物語 サッカー・「清水三羽烏」”. 日本トップリーグ連携機構. 2012年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月9日閲覧。
- ^ “川淵三郎が明かす「Jリーグ史上最大の危機」。99年フリューゲルス消滅の前後、多くのクラブが資金難に。初代チェアマンはどう乗り越えたのか?”. 週プレニュース (2023年5月26日). 2023年6月3日閲覧。
- ^ “クラブ沿革 1992 初の檜舞台で眩い輝き放つ”. 清水エスパルス. 2011年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月4日閲覧。
- ^ 新会社「エスパルス」スタート 営業権譲渡を契約 朝日新聞、1998年1月15日、2014年4月8日閲覧
- ^ “アントニーニョ監督辞任/後任に石崎コーチ昇格”. 四国新聞社. 2016年1月11日閲覧。
- ^ “落日の王国 清水初のJ2降格という悲劇を招いた歪んだチームマネジメント”. SOCCER MAGAZINE ZONE (2015年10月17日). 2015年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月22日閲覧。
- ^ “<清水陥落>(2)赤字出せず選手放出 新制度、編成に足かせ”. 静岡新聞. (2015年10月20日). オリジナルの2015年10月20日時点におけるアーカイブ。 2015年10月22日閲覧。
- ^ 清水がオランダで慈善試合 義援金は約7億円 スポーツナビ 2011.4.14
- ^ “<残留への軌跡>(上) ゴトビ体制の崩壊”. 静岡新聞. (2014年12月8日) 2015年10月24日閲覧。
- ^ “清水、ピッチ内外で迷走した末のJ2降格…左伴社長「重みを受け止めている」”. サッカーキング. (2015年10月18日) 2015年10月24日閲覧。
- ^ 『アフシン・ゴトビ監督 解任のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2014年7月30日 。2015年10月24日閲覧。
- ^ “大榎克己監督 辞任のお知らせ”. 清水エスパルス (2015年8月1日). 2015年8月1日閲覧。
- ^ “田坂和昭 監督辞任のお知らせ”. 清水エスパルス (2015年11月19日). 2015年12月12日閲覧。
- ^ “J2降格の清水、田坂監督の辞任発表 後任は未定”. 日刊スポーツ (2015年11月19日). 2015年12月12日閲覧。
- ^ 『2018明治安田生命J1リーグ 第18節 横浜F・マリノス vs 清水エスパルス 代替開催日決定のお知らせ』(プレスリリース)J.LEAGUE.jp、2018年7月29日 。2019年2月6日閲覧。
- ^ “クラブ史上初の「10」欠番、清水が新体制発表会見”. 日刊スポーツ (2019年1月11日). 2019年5月30日閲覧。
- ^ 同じ県のチームでトップディビジョン「J1からJ2」が同時に降格した事例は、2009年の千葉県勢の柏レイソルとジェフユナイテッド市原・千葉以来となる。
- ^ “チアゴ・サンタナが清水史上初のJ1得点王獲得も…。得点数は史上最少の「14」”. フットボールチャンネル (2022年11月5日). 2023年2月26日閲覧。
- ^ 【清水】スペイン1部マジョルカと業務提携調印式 人的交流、組織運営ノウハウを相互提供. 日刊スポーツ(2021年12月11日). 2022年12月14日閲覧
- ^ “清水エスパルスMF松岡大起、ブラジル2部グレミオ・ノヴォリゾンチーノへ移籍(MEGABRASIL)”. Yahoo!ニュース. 2023年4月3日閲覧。
- ^ a b “⚽リカルド監督を解任へ J2清水エスパルス、7戦未勝利と低迷”. あなたの静岡新聞. (2023年4月3日) 2023年4月5日閲覧。
- ^ 『ゼ リカルド監督 契約解除のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2023年4月3日 。2023年4月3日閲覧。
- ^ 『秋葉 忠宏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2023年4月3日 。2023年4月3日閲覧。
- ^ “清水、昇格圏2位から転落危機…藤枝の「付け焼き刃」守備ブロックを崩せなかった理由”. 2023年10月2日閲覧。
- ^ “鈴木克馬氏 スタジアムDJ退任のお知らせ”. 清水エスパルス公式WEBサイト. 2023年12月14日閲覧。
- ^ “依田 光正 コーチ就任のお知らせ”. 清水エスパルス公式WEBサイト. 2023年12月28日閲覧。
- ^ 10000名様を国立競技場に無料でご招待! 清水エスパルス30周年記念マッチ・清水エスパルス対横浜F・マリノス
- ^ 【S-PULSE 国立マッチ2023】【7/16(日)千葉戦】【国立競技場でJリーグを観戦しよう!】『Jリーグ10,000人ご招待』実施のお知らせ
- ^ “清水蛇塚グラウンド維持管理”. グリーンマスターズ清水公式サイト. 2016年1月11日閲覧。
- ^ 新スタジアムを検討 委員会発足へ(静岡新聞2013年4月26日付け 2014年7月11日閲覧)
- ^ 清水新スタジアム建設へ市長に要望書提出(日刊スポーツ2014年7月3日 同7月11日閲覧)
- ^ 東静岡駅地区にサッカー場構想 エスパルス本拠地に(エスパルス遅報に転載された中日新聞の記事 2014年11月7日閲覧)
- ^ 知事「サッカースタジアム造るべき」東静岡地区の再開発に一石(YouTube・静岡放送公式)
- ^ 進まない新スタジアム建設問題 県と市のコミュニケーションが絶望的で進まず(エスパルスインフォ2016年3月5日 5月28日閲覧)
- ^ “清水エスパルスに新スタジアム 駅に隣接、26年めど完成”. 日本経済新聞 (2022年3月4日). 2022年3月15日閲覧。
- ^ a b 静岡市サッカースタジアム、ENEOS製油所跡地など2案に(日本経済新聞)
- ^ a b c 静岡市のサッカースタジアム新設 有力候補地にエネオス遊休地 有識者ら検討委、既存施設改修案も残す 政治部 池谷遥子(静岡新聞)
- ^ 静岡市 新サッカースタジアム構想 候補地2つに絞られる “清水駅東口案”と“アイスタ改修案”に(静岡県)(静岡だいいちテレビ・ニュースエブリーしずおか)
- ^ 清水6年ぶり「地図柄」復活 クラブW杯出場見据え - スポーツニッポン、2011.11.18
- ^ 『株式会社タイカ オフィシャルクラブパートナー契約締結(増額)のお知らせ』(プレスリリース)公式サイト、2018年8月17日 。2018年9月18日閲覧。
- ^ 『株式会社アイ・テック オフィシャルクラブパートナー契約締結(新規)のお知らせ』(プレスリリース)公式サイト、2018年4月20日 。2018年5月14日閲覧。
- ^ 田中孝一著 清水エスパルス Jリーグへの挑戦 第5章 情熱のゼッケンスポンサー「日本航空です。胸のスポンサードに興味があります」
- ^ “【清水】元社員、6700万円着服で懲戒解雇”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2018年8月3日). 2018年8月3日閲覧。
- ^ “統一協会主催「2007ピースカップ」に清水エスパルス出場”. クリスチャントゥデイ. 2022年8月19日閲覧。
- ^ Jリーグ公式サイト 2019年7月15日 2019年7月21日閲覧。
- ^ 「eJリーグ」賞金500万円獲得の清水、20日のFC東京戦に報告会を実施 『ゲキサカ』2019年7月19日 2019年7月21日閲覧。
清水エスパルス (2004)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 15:32 UTC 版)
「石﨑信弘」の記事における「清水エスパルス (2004)」の解説
2004年、清水エスパルスのヘッドコーチとして初めてJ1に関わることとなった。第3節ガンバ大阪戦に0-4で敗れた後、クラブ側から石崎に対してもっと自分の色を出してほしいという要望があり、それ以降は監督のアントニーニョに代わって石崎がチームの戦術面を担うようになった。選手起用や試合中の指揮権についてはなおアントニーニョ側にあり、事実上の両頭体制となったが、アントニーニョとプレッシングサッカーを志向する石崎のあいだにはサッカー観に隔たりがあり、チーム運営はちぐはぐなものになった。 同年7月にはアントニーニョの辞任に伴って監督に昇任。J1で初采配を振ることになったが、アラウージョやチョ・ジェジンという強力なFWを擁しながらもセカンドステージは守備が崩壊し16位中14位に終わった。石崎は翌シーズンも引き続き指揮を執ることが内々に決まっていたが、それが地元紙にスクープされるとサポーターたちから不満が噴出し、結局クラブOBの長谷川健太を新監督に据えるために、石崎は身を引くことになった。
※この「清水エスパルス (2004)」の解説は、「石﨑信弘」の解説の一部です。
「清水エスパルス (2004)」を含む「石﨑信弘」の記事については、「石﨑信弘」の概要を参照ください。
「清水エスパルス」の例文・使い方・用例・文例
固有名詞の分類
- 清水エスパルスのページへのリンク