1969年-1975年: 進捗
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「プログラム・フォー・アクション」の記事における「1969年-1975年: 進捗」の解説
1969年11月24日、63丁目線のトンネルが、クイーンズから西へ、ルーズベルト島から両方へ掘削開始され、着工した。この2層構造のトンネルは、上層階に地下鉄が、下層階にロングアイランド鉄道が通ることになっていた。この路線をIND6番街線およびBMTブロードウェイ線へとつなぐセントラル・パークの下を走る区間は、1971年夏に着工された。2番街線の起工式は1972年10月27日に挙行され、それから間もなく2番街・103丁目において工事が始まった。2番街線の建設費は10億ドルに固定されていたが、翌年13億ドルへと上昇した。3本のトンネルと6本の立坑が2番街線と63丁目線のために12億3000万ドルを投じて建設された。事前に組み立てられていた4つの2層構造のセグメントでできた、3,140フィート(約960メートル)の63丁目トンネルは、1972年10月10日に連結された。63丁目線とブロードウェイ線および6番街線をつなぐ区間は、1973年10月11日に貫通した。5番街とパーク・アベニューの間の区間の63丁目線は、1974年8月に着工された。 INDクイーンズ・ブールバード線に対するバイパス急行線となる単線路線の計画は、1972年に複線へと拡大された。BMTジャマイカ線の121丁目駅から168丁目駅(英語版)までの区間は、東へジャマイカ・センター-パーソンズ/アーチャー駅へと延長するアーチャー・アベニュー線の下層階へと接続する余地を作るために、取り壊されることになっていた。翌年、北東クイーンズロングアイランド高速道路線の最終設計が公開され、一方南東クイーンズ線に関する最終的な設計も差し迫っていた。1972年夏に、アーチャー・アベニューから147丁目に沿って、南東クイーンズ線が起工された。ブルックリン南東の2本のIRT路線、IRTノストランド・アベニュー線のアベニューWまでの延伸と、IRTイースタン・パークウェイ線のユーティカ・アベニュー下のアベニューUまでの支線も設計中であった。MTAと改称されたMCTAは、提案されていたIRTペラム線の支線をコープ・シティまで延長する案について、ニューヘイブン鉄道線経由にルート変更をした。 1973年にMTAは、プログラム・フォー・アクションの進捗報告書を発表した。報告書は全体として、「ほとんどすべてのプロジェクトは、5年前に提案されていたゴールよりも進捗している。技術的な障害、法的な障害、管理的な不満、限られた資金にもかかわらず、本質的に進捗している」とした。合計すると、8路線について設計中であり、3路線は実際の建設工事が進んでいた。またMTAは、42丁目、48丁目、57丁目の新交通システムについても検討していた。2番街線、63丁目線、北東クイーンズ線、バイパス急行線は高く優先度を付けられたグループAの一環とされ、1980年から1983年の間には開通するとされた。優先度の低いグループBは、それ以外のプロジェクトであった。一方不利な面としては、これらのプロジェクトは非常に高価になっており、1973年にこれらの延伸線の推定費用を25億ドルと発表した後は、MTAは費用推定の発表を止めてしまった:243。 MTAの通勤鉄道網における車両更新計画も大きく進捗していた:240。1970年に、MTAはペン・セントラル鉄道ニューヘイブン線向けに、144両の高速「コスモポリタン」電車(M2型電車(英語版))を発注し、そして翌年にはさらに200両をハドソン線とハーレム線向けに発注した。最初の新車は1971年9月に納入された。地下鉄とロングアイランド鉄道も、どちらも600両以上の新車を納入された:240。地下鉄については、R40(英語版)とR42(英語版)が800両、1968年から1973年の間に配置され、ニューヨーク市地下鉄で更新の必要のある車両の数は、1,883両から956両へと、ほぼ半減した。R44の最初の車両は1971年に納入されたが、これは2番街線での使用を予定したものであった。 計画されていた、カナーシー線の延伸と線路付け替えは、線路と一緒に建設するはずであった提案されていた高速道路に対して、地域が反対したことから、1973年に中止された。この年の後半には、ニューヨーク州民の投票により、ロングアイランド高速線を含めた5本の地下鉄延伸の費用を賄うはずであった35億ドルの地方債を削減したことから、ロングアイランド高速道路線が中止された。1971年11月2日に25億ドルを削減したのに続いて、投票により債券発行が減らされた2回目のものであった:238。これによりロウアー・イースト・サイドループ、ユーティカ・アベニュー線、ノストランド・アベニュー線延伸、ジャマイカ・アベニュー線と北東クイーンズ線の建設プロジェクトが遅れることになった:238。1973年の債券発行は、ロングアイランド高速道路線の費用を賄うことに加え、IRTダイアー・アベニュー線のコープ・シティ延伸、INDクイーンズ・ブールバード線のヒルサイド・アベニューおよびスプリングフィールド・ブールバードへの延伸、アトランティック・アベニューのロングアイランド鉄道ターミナルからロングアイランド鉄道と地下鉄双方のロウアー・マンハッタンへの延伸、クイーンズ・ブールバード線を63番ドライブで分岐させて、廃止となっていたロッカウェイ・ビーチ支線(英語版)を経由してロッカウェイまで延伸といった費用も賄うはずであった。この債券発行と直接関係はないが、一部支線に適用されていた2倍運賃制度は1975年9月1日に廃止された。 MTAは依然として、他の多くのプロジェクトは実現可能であると考えていた。1974年11月には、MTAはアーチャー・アベニュー線のスプリングフィールド・ブールバードまでの区間の開通予定を1981年、63丁目線と2番街線の34丁目から125丁目までの区間の開通予定を1982年と見込んでいた。1983年には、クイーンズのバイパス急行線が開通し、同年には2番街線のブロンクス延伸とBMTジャマイカ線のアーチャー・アベニュー線への付け替えも開通する予定であった。また2番街線の南側へホワイトホール・ストリートまでの延伸は1988年までに、そしてユーティカ・アベニュー線、ノストランド・アベニュー線、ロングアイランド高速道路線とロングアイランド鉄道のイースト・サイド・アクセスのすべてが1993年までには開通すると考えていた。この時点で何本かの延伸案は中止され、計画は40マイル(約64キロメートル)の新しい線路を敷設することになった:244。メトロポリタン・トランスポーテーション・センターに関する予備計画は1975年1月に完了した:17 (PDF p. 20)。トランスポーテーション・センターに対して引き続き反対があったことから、1976年9月に「グランド・セントラル駅代替案」が発表された。この案ではロングアイランド鉄道がグランド・セントラル駅の下層階を代わりに利用することになっていた:18 (PDF p. 21)。
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