東武クハ101形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/10/26 23:30 UTC 版)
東武クハ101形電車(とうぶクハ101がたでんしゃ)は、かつて東武鉄道に在籍した電車。木造客車の台枠を流用して1941年(昭和16年)および1943年(昭和18年)の二度にわたって新製されたものであり、その出自から「第一次鋼体化形」とも称される。
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- ^ 東武に在籍した最古の客車は1910年(明治43年)製であったが、これら通称「明治43年形」の客車については、関東大震災で被災焼失し、車体新製によって復旧された2両以外は電車化改造の対象外となっていた。
- ^ ただし、これら48両はその後戦災や事故によって廃車となったものも存在するため、客車改造サハが全車鋼体化の対象となったわけではない。
- ^ a b クハ108はトク500形を種車とするが、当然のことながらこれは名義上のものに過ぎない。また、クハ101, 102, 109はいずれも1920年(大正9年)以降に新製された「大正後期形」を種車とするため、同3両のみUF12台枠を使用した。なお「大正後期形」は、最大幅は地方鉄道建設規定に従って鉄道院基本形客車相当の8フィート10 1/2インチ(≒2,705mm)として設計されていたが、台枠については同時期製造の鉄道省大形2AB車に準じて基本形客車標準のUF11ではなく、より新しいUF12を採用していた。
- ^ デハ10系各形式においても、一形式あたりの最大両数は8両であったためである。
- ^ クハ(サハ)101形およびサハ80形は800mm.
- ^ 日本車輌製造W-2-18D、住友金属工業FS7、汽車製造KS-103の三種類が存在する。いずれも軸距や軸箱支持機構の方式は同一であったが、その設計は全く異なり、形鋼を溶接して組み立てた直線的かつ明快な外観のW-2-18D、独自設計のシンプルな一体鋳鋼製台車枠を備えるFS7、そして国鉄TR47そのものと言ってよいKS-103、とそれぞれ特徴的な外観を備える。なお、これらはいずれも枕ばねとして複列の重ね板ばねを搭載しているが、その枚数や列数はそれぞれ異なっていた。
- ^ 主幹制御器の相違から、先頭車としての運用は不可能であったためである。
- ^ クハ550形(初代)はクハ500形を設計の基本として全長を1,600mm延長したものであり、側窓の枚数が異なること以外は外観上全く同一であった。
- ^ 端子電圧750V時定格出力112.5kW、定格回転数1,188rpm(全界磁)
- ^ クハ500形のウィングばね式台車が構造上吊り掛け式の主電動機を搭載することが不可能であったためである。なお、モハ3264は3000系への更新に際して予備品の台車と振り替え、捻出した台車をクハ512へ転用する形で台車交換が実施されている。
- 1 東武クハ101形電車とは
- 2 東武クハ101形電車の概要
- 3 晩年
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