鉄道院基本形客車とは? わかりやすく解説

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鉄道院基本形客車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/01 15:19 UTC 版)

鉄道院基本形客車(てつどういんきほんがたきゃくしゃ)は、日本国有鉄道の前身である鉄道院1910年から1917年にかけて製造した、鉄道国有化後最初の制式木造ボギー式客車形式群である。


  1. ^ この仕様書の制定に当たっては、実際に原案に従って設計された車両の製造が同年春より新橋工場や神戸工場などで実施されており、それらでの現車確認を経て正式仕様が確定している。
  2. ^ 鉄道国有化後はこれらも雑形客車として取り扱われた。なお、「雑形客車」は木造車の場合、車体幅2,590mm以下の車両を指す。
  3. ^ 9010(9010・9011)・9145(9145 - 9149・10050・10051)・9155(9155 - 9157)・9170(9170 - 9172)・9382(9382)・10000(10000 - 10004)・10100(10100 - 10103)の各形式よりなる。九州鉄道によって台車とセットでアメリカから輸入された、九州鉄道ブリル客車と共通設計のJ.G.ブリル社製19m級台枠を流用して製造された。このためこのグループに限り、全長が19,347mmと標準仕様の基本3AB車と比較して636mm短くなっている。
  4. ^ いずれも1929年の称号改正後の形式。なお、後期のグループでは過渡的に次世代の大形客車と同様のUF12・42を使用しているものも存在する。
  5. ^ 鉄道作業局時代の3軸ボギー客車は台車の側受が第1・2軸間と第2・3軸間の各揺れ枕ごとに2か所ずつ計4か所に設置されており、この関係で台枠の構造が2軸ボギー台車装着車とは大きく異なっていた。このため初年度である1910年に製造され、作業局時代の明治39年式6輪ボギーをそのまま採用した基本3AB車については、側受が各台車4ヶ所となるため、作業局時代の台枠設計を踏襲している。
  6. ^ ロングシート配置のいわゆるツーリスト式寝台の場合、側窓上部の幕板最下部付近に上段が配されるが、この上段を側板幕板下部に関節を設け、ここを支点として跳ね上げると、二重屋根の場合明かり取り部分がこれに干渉することになる。丸屋根の採用はこの対策であり、国有化前からのツーリスト式寝台車における定石の設計手法であった。ただし、車種や製造時期によってはツーリスト式寝台でも丸屋根とはせず、そのまま二重屋根を採用した車両も存在する。なお、この種の丸屋根寝台車では小窓を幕板部に設置することで上段寝台の明かり取りとしている。
  7. ^ 神戸工場製と新橋工場製の2種が存在した。共に軸距2,143mm(7フィート)で一見同様の形状であったが、関西鉄道の基本大型台車の設計をほぼそのまま流用した前者と、新橋工場が新規に設計した後者では軸箱守周辺の構造が異なっていた。なお、神戸工場製は同工場が製造した最後の台車である。国有化後はいずれも雑形台車として取り扱われた。
  8. ^ 車軸として輸入品のエルハルト9t軸または国産の基本10t軸を使用。一部でエルハルト車輪と称する一体圧延車輪が試験的に併用されたという。
  9. ^ 主な変更点は心皿荷重上限の拡大に伴う車軸の変更とばねの変更で、車軸は制式化された国産の基本10t軸が本格採用された。
  10. ^ この時期の決定版となった台車で、軸箱守などの一部の小改良が行われた以外は基本設計を変更せずに1912年から大形客車への移行が始まる1918年までの7年間にわたって量産された。なお、球山形鋼を用いるグループは大正6年式、つまり後のTR11の原型となっている。
  11. ^ 1929年に制式台車に対してTRで始まる一連の形式番号が付与された際には、短軸を備えるこれらは一括して2軸ボギー台車の初号形式となるTR10と付番されている。なお、各形式の項で後述するように、1910年の最初期製造グループには明治41年式4輪ボギーを装着している車両が存在する。
  12. ^ 1,448mm+1,448mm→1,753mm+1,753mm。
  13. ^ 明治39年式では第1・3軸を外側から押さえつける片押し式を採用していた。
  14. ^ 側枠は球山形鋼を使用した御料車用の一部を除き、山形鋼を終始一貫して使用した。
  15. ^ TR10となった2軸の各台車と同様、こちらも制式3軸ボギー台車の初号形式となるTR70と付番されている。
  16. ^ ただし車軸は作業局制式のウ4号、あるいは鉄道院制式の基本10t短軸、と新橋・神戸の両工場の標準品を使用している。
  17. ^ 車掌台付きの車両のみ設置。
  18. ^ 機関車側の整備が完了するまでは両方のブレーキ装置を併設しておく必要があった。
  19. ^ 当初の形式がホハヤ5030で、定員が職員15人(寝台定員3人)・3等32人となっていたことから、当初進行方向側の区画は3等座席となっていたと考えられる。RML 200, p. 66参照。
  20. ^ RML 200, p. 66。同頁に試験車として使用中の写真あり
  21. ^ RML 200, p. 65 には廃車直前、旧番号が併記されたまま高砂工場に留置されている写真が確認できる。
  22. ^ RP 54, p. 24。RP 55, p. 30に写真あり。
  23. ^ 中央廊下の座席室から側廊下の寝台室への移行部分のために1席減となる。
  24. ^ 時期から戦時改造と考えられ、1948年の公報での通達は事実の追認と見られる。
  25. ^ この改造では、旧喫煙室と両端のデッキを除く全ての諸設備を撤去し、旧喫煙室に車掌弁を設置して車掌室に転用、残りの車内を荷重9tの荷物室として片側面に各1ヶ所ずつ1,829mmと1,220mmの荷物扉が設置されている。
  26. ^ 順番は5150・5151・7436が5150 - 5152となった以外はやや錯綜しており、7453は一旦5169となった後、5181に改番されている。なお、空番の5180は5535形ホロ5555(1912年新橋工場製)が改造の上で充てられている。
  27. ^ 5615形と同じく軸距からの推測。
  28. ^ 厳密には、これら10両については後年の改造時に作成された形式図で車軸種類は明らかとなっているものの、台車そのものについては記載がなく正確な形式名は定かではない。ただし形式図掲載の軸距(2,134mm≒7フィート)から、これは明治41年式台車である可能性が高い。
  29. ^ 残る5618については1920年以前に喪われたと見られる。
  30. ^ ただしオトク9005では展望台は無く、非貫通の妻面に3枚の窓を並べた、密閉型の出入台となっていた。
  31. ^ 隣の便所へ通路を通らずに移動可能なよう、専用の出入り口が仕切り壁に設けられていた。
  32. ^ 本来の使用目的から、西洋式便器のみ設置された。これは9005・9010・9011全てに共通である。
  33. ^ こうした定期的な政府高官の移動に供されるようになった結果、1912年には急行5・6列車用一等寝台車に特別室が常設され、その後も特急「富士」用一等寝台車や特急「燕」用展望車などへの特別室設置が第二次世界大戦中まで継続した。
  34. ^ RP 58 では1939年改造、RML 200 では1942年改造とする。
  35. ^ RP 58および RML 200
  36. ^ a b c d e f RP 399 p.58以下。(1・2レの食堂車、一等寝台車、展望車の図面あり)。『百年史』6 p.315-316。
  37. ^ 特に1927年8月の「シベリア経由欧亜旅客及手荷物連絡運輸規則及同取扱細則」の施行で展望車が1・2列車の東京神戸間と各等急行第7・8列車の京都-下関間にも連結されるようになってからは、予備車としての重要性が増した。
  38. ^ RML 200, p. 18
  39. ^ 客車形式図下巻(大正14年版)での「1910年12月製、20m級3AB車、神戸工場製」という条件での消去法の推定による。関東大震災で鉄道省が焼失した際に記録が喪われたのか、本形式の経歴については詳細は判然としない。
  40. ^ 湯口徹『レイル No.25 私鉄紀行 南の空,小さな列車(上)』、エリエイ出版部 プレスアイゼンバーン、1989年、pp90,91。また、同書p109には特徴的なJ.G.ブリル社製3軸ボギー台車を装着したスハフ100の写真が掲載されている。
  41. ^ 『鉄道旅行案内. 大正5年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  42. ^ 小熊米雄「木製寝台車について」『鉄道史料』No.21、38−39頁
  43. ^ 「展望車連結の特別急行列車」『工業之大日本.』9巻7号、1912年7月


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