1969年 - 1982年
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「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」の記事における「1969年 - 1982年」の解説
モーリス・ホワイトは、初期はジャズ・ドラマーとしてラムゼイ・ルイスのバンドに参加していた。彼のバンドを離れた後、1969年にシカゴにて、ソルティ・ペパーズを結成、キャピトルからシングル"La La Time"を残す。 1970年には、活動拠点をロサンゼルスに変え、バンド名もアース・ウィンド・アンド・ファイアーと改名。占星術によると、モーリスの占星図にはEarth, Air & Fire(土と空気と火)の3つの要素があることから、Earth, Wind & Fire(土と風と火)と名づけた(当時の人気バンド、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの模倣という説もある)。ワーナーと契約、モーリスの弟のヴァーダイン・ホワイト(後にフレッド・ホワイト(英語版)も加入)を含めた10人の大所帯バンドとなる。2作リリースするがヒットはせず、バンドは一度解散する。 1972年にコロムビア・レコードに移籍、フィリップ・ベイリーとラルフ・ジョンソン(英語版)やラリー・ダン(英語版)が加入。コロムビアには、以後1990年まで在籍する。1973年に、Head To The Sky(『ヘッド・トゥ・ザ・スカイ』)をリリースし、ゴールド・ディスクを獲得する。1975年には、That's the Way of the World(『暗黒への挑戦』)を、同名の映画のサウンドトラックとしてリリースし全米アルバム・チャート第1位を獲得。この映画にはモーリスも出演しており、彼らの貴重なライヴ映像も観ることができる。75年に「シャイニング・スター」がポップ・チャートでもクロスオーバー・ヒットした頃から、アースの人気が急上昇した。76年には「ゲッタウェイ」を発表し、同曲もヒットした。この2曲はファンクの傑作曲とされている。77年から79年には「太陽の戦士」「宇宙のファンタジー」「セプテンバー」「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」などがヒットしたが、ファンク度は後退し、ポップ・ソウル色が濃くなっていった。79年にはディスコ「ブギー・ワンダーランド」やバラード曲がヒットしたが、ファンクのアースがディスコやAORをやるなんて、という失望や批判の声も少なからず聞かれた。 1976年に、モーリスは自己プロダクション、カリンバ・エンタテインメントを設立。モーリスは、"Boogie Wonderland"に参加している「エモーションズ」などをプロデュースしている。1978年には、CBS/コロムビアの元、ARCレコード(英語版)を設立。レーベルの第一弾としてベスト盤『The Best of Earth, Wind & Fire Vol.1』をリリース。ヒット曲"September"の初収録アルバムがこれになる。 1980年に、2枚組の大作Faces(『フェイセス』)を発表。しかし、このアルバムは不評で、これといったヒットも出なかった。挽回を目指し81年に発表したのがアルバムRaise!(『天空の女神』)である。このアルバムからは「レッツ・グルーブ」などのヒット曲が生まれ、アース健在を印象づけた。
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