1470年代
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1470年代(せんよんひゃくななじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1470年から1479年までの10年間を指す十年紀。
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1470年代
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詳細は「1470年代」を参照 1470年ウォリック伯とクラレンス公によりヘンリー6世がイングランド王に復位。しかし1年ももたずに政権は崩壊し、翌1471年にヘンリー6世は殺害される。 1471年応仁の乱で後南朝皇胤の西陣南帝が西軍に擁立され入洛。 黎聖宗がチャンパ王国のヴィジャヤ王朝(英語版)を滅ぼし領土を併合する。 チャンパ王国の王子シャー・パウ・リン(後のアリ・ムハヤット・シャー)が亡命しスマトラ島にアチェ王国を建国。 1472年モスクワ大公イヴァン3世が東ローマ帝国の皇女ソフィヤと結婚。東ローマ帝国を継ぐ「モスクワ・第三のローマ説」の起源となる。 ワッタース朝フェズ王国が成立する。 1473年山名宗全と細川勝元が相次いで死去。足利義尚が室町幕府第9代将軍となる。 1474年越前一向一揆。 ポルトガル王アフォンソ5世が北アフリカのタンジェとアシラーを征服。 1475年オスマン帝国がクリム・ハン国を従属させ、クリミア半島のジェノヴァ系植民地を編入する。 1476年太田道灌が江戸貝塚青松寺を開創。 北小路室町の足利将軍邸「花の御所」が全焼する。 1477年ナンシーの戦いでブルゴーニュ公シャルル(突進公)がロレーヌ公ルネ2世に敗北し戦死。ブルゴーニュ公国のうちネーデルラントは娘のマリー女公とその夫君であるマクシミリアン1世(のちの神聖ローマ皇帝)が継承。 マムルーク朝君主アシュラフ・カーイトバーイによりアレクサンドリアにカーイト・ベイの要塞が建設される。 明で宦官による特務警察の西廠が設置される。 大内政弘が京から撤収して西軍が解体され、応仁の乱が終わる。 1478年パッツィ家の陰謀事件。 スペイン異端審問の始まり。 モスクワ大公イヴァン3世がノヴゴロド公国を併合。 1479年スペイン王国成立。 アルカソヴァス条約(英語版)。 モスクワのウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)が完成する。 オロモウツの和約でハプスブルク家はオーストリアの支配権を失う( - 1490年)。 アステカ皇帝アシャヤカトルが「太陽の石」をテノチティトラン(現メキシコシティ)に奉献する。
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