1480年代
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1480年代(せんよんひゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1480年から1489年までの10年間を指す十年紀。
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1480年代
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詳細は「1480年代」を参照 1480年ウグラ河畔の対峙により、モスクワ大公国のイヴァン3世がジョチ・ウルスから自立(ロシア帝国のおこり)。 フィレンツェがナポリと平和協定を締結し、ローマ教皇の反メディチ包囲網は崩壊。 オスマン帝国軍がイタリア半島東南端オトラントを占領(オトラントの戦い)。 越中一向一揆。 1481年プロヴァンス伯領をフランス王ルイ11世が相続する。 1482年足利義政が東山山荘(その一部が現在の慈照寺銀閣)の造営を始める。 1483年イングランド王エドワード4世が急死。息子のエドワード5世が即位するも、叔父グロスター公により退位させられる。 グロスター公がリチャード3世として即位する。 スペイン人がカナリア諸島のグラン・カナリア島を征服し、先住民グアンチェ族を支配下に置く。 古河公方成氏と両上杉家との間で和議が成立し、享徳の乱が終わる(都鄙合体)。 1484年バニョーロの和議。 教皇インノケンティウス8世の回勅「スンミス・デジデランテス(英語版)」 が出される。 1485年ボズワースの戦いでヘンリー・テューダーがリチャード3世を倒す。ヘンリー・テューダーがイングランド王ヘンリー7世として即位。テューダー朝始まる。 ハンガリー王マーチャーシュのウィーン占領( - 1490年)。 山城国一揆。 1486年ドミニコ会士ハインリヒ・クラーマーの『魔女に与える鉄槌(Malleus Maleficarum)』が出版される。 1487年明の弘治帝が第10代皇帝に即位。 六角征伐の鈎の陣( - 1489年)。山内・扇谷両上杉家をめぐる長享の乱が起こる。 トマス・デ・トルケマダがスペイン異端審問所長官となる。 1488年ポルトガル人バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達する。 加賀一向一揆。 1489年メジナデルカンポ条約。 キプロス女王カタリーナ・コルナーロが退位し、支配権をヴェネツィアに譲渡する。
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