生神女就寝大聖堂とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 施設 > 教会 > 大聖堂 > 生神女就寝大聖堂の意味・解説 

生神女就寝大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 01:23 UTC 版)

生神女就寝大聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう、Dormition Cathedral)は、生神女就寝祭[1][2]を記憶する正教会大聖堂ロシア語 Успенский Собор (ウスピェーンスキー・サボール) の前半部のカタカナによる転写からウスペンスキー大聖堂あるいはウスペンスキー寺院とも呼ばれる。これは「永眠」を意味するロシア語 успение, Успение (ウスピェーニエ) に由来する。従って、ロシア語に代表されるスラヴ語圏とは別の言語系統圏に属する正教会であるグルジア正教会ルーマニア正教会ギリシャ正教会などでは生神女就寝大聖堂のことを「ウスペンスキー大聖堂」とは呼ばす「生神女就寝」を表す各々の国語での表記を用いる。


  1. ^ 生神女(しょうしんじょ)とは「ギリシャ語「テオトコス」の訳語で、「ハリストス神を生んだ女性」であるマリヤのこと。」(正教会の手引 全国宣教企画委員会、215頁)
  2. ^ 生神女就寝祭とは生神女の永眠を記憶する祭であり、生神女就寝聖堂はこの祭を記憶する。聖母被昇天教義カトリック教会特有のものであり、正教会には存在しない教理であるため「被昇天」の語は用いられず、あくまで「就寝」との語を用いる。従って当記事で扱う正教会の聖堂に「聖母被昇天聖堂」等の訳を当てるのは誤りである。


「生神女就寝大聖堂」の続きの解説一覧

生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 02:27 UTC 版)

クレムリン」の記事における「生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)」の解説

1475年から1479年にかけて建立設計イタリア建築家アリストートル・フィオラヴァンティによる。大聖堂広場北側・グラノヴィータヤ宮の北隣に位置する5つドームを持つ。全高38メートル内陣フレスコイコンによって飾られる帝政時代には皇帝戴冠式挙行された。現在でもロシア連邦大統領就任式ロシア正教会による祝福が行われる場所である。

※この「生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)」の解説は、「クレムリン」の解説の一部です。
「生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)」を含む「クレムリン」の記事については、「クレムリン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「生神女就寝大聖堂」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「生神女就寝大聖堂」の関連用語

生神女就寝大聖堂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



生神女就寝大聖堂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの生神女就寝大聖堂 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのクレムリン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS