至聖三者大聖堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 03:06 UTC 版)
至聖三者大聖堂(しせいさんしゃだいせいどう、英語:Holy Trinity Cathedral、ロシア語:Троицкий собор トローイツキイ・サボール)とは、至聖三者を記憶する正教会の大聖堂。当記事では非カルケドン派のものも含めた世界各地に存在する至聖三者大聖堂の一覧を掲載する(下方)。大聖堂のみならず、修道院や通常の聖堂にも至聖三者を記憶する「至聖三者修道院」「至聖三者聖堂」「至聖三者教会」は数多くあり、当記事の一覧でも若干扱う。
- 1 至聖三者大聖堂とは
- 2 至聖三者大聖堂の概要
- 3 関連項目
至聖三者大聖堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 18:34 UTC 版)
イリア2世の祝福を受けて、トビリシ中心部を流れるクラ川の東側の丘の上に至聖三者大聖堂が建設された。 1988年8月24日、イリア2世はトビリシ市議会の議長イラクリ・アンドリアゼ(グルジア語版)に対して、聖三位一体大聖堂の建設のための適切な敷地を確保を要請した。だが当時の有力者たちはこの構想を支持せず、街の景観の中ではあまり目立たないような場所を確保しようとした。この流れの中で、いくつか候補が上がった。ツクネティ(グルジア語版)の道路沿いも候補の一つであったが、その場所はトビリシの景色がほとんど見えない森の中であった。その後、市議会の実行委員会の指示によりニコロズ・バラタシヴィリの坂(グルジア語版)の近郊が選定され、最終的にエリアの丘に決定した。教会の建設は「ジョージアの民族的および精神的復興の象徴」として宣言され、複数の実業家や一般市民からの匿名の寄付によって支援された。イリア2世は至聖三者大聖堂の建設を主導し、建設にあたっての国際コンテストには100件を超えるプランが提出された。 建設はアルチル・ミンディアシヴィリ(グルジア語版)の設計で1995年に着工し、2004年11月23日(聖ゲオルギオスの日)に奉献された。
※この「至聖三者大聖堂」の解説は、「イリア2世」の解説の一部です。
「至聖三者大聖堂」を含む「イリア2世」の記事については、「イリア2世」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 至聖三者大聖堂のページへのリンク