1001 - 1048
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 07:59 UTC 版)
「京急1000形電車 (初代)」の記事における「1001 - 1048」の解説
1959年から1960年(昭和35年)にかけて製造された4両編成12本が該当する。車体幅が80 mm拡大されて2,780 mm(最大幅2,798 mm)となり、連結面後退角の縮小により扉配置が前後対称となった。製造当初より前照灯はシールドビームである。試作車の試験結果から、主電動機を低回転、補償巻線付き仕様に変更した。定格速度は試作車の47 km/hから43 km/hとさらに低くなった。2両1ユニットを背中合わせに組み合わせたM2U-M1U-M1S-M2Sの編成を組み、両先頭車がM2系車とされたため、2両編成とすることができない。 試作車と同様に非貫通・2枚窓で製造されたが、1969年(昭和44年)から1972年(昭和47年)にかけて朝ラッシュ時の10両編成運転拡大による2両編成の需要増加に対応するため、1131 - 1242の6両編成を2両編成化して中間車を本グループに組み込み、本グループ先頭車を正面貫通扉付きに改造した上、6両編成化して地下鉄乗り入れ運用に充当する工事が行われた。先頭部形状は当時製造されていた車両と同様とされたがアンチクライマーは位置をずらした上で流用していたため最下段が半分切り欠かれていた。 この工事に合わせ、室内電装系の交流電源化、ファンデリアの撤去と首振り扇風機化、客室蛍光灯カバーの撤去、側面種別表示器の設置が行われた。初期に改造された4編成は種別表示器が他車よりも低い位置にあった。屋上のモニタールーフは撤去され、1207 - 1242と同様に狭幅のFRP製カバーが設置された。 最後に改造された4編成は内装の張り替えも行われ、この4編成のみ久里浜工場の更新銘板が取り付けられていた。 その後1979年(昭和54年)から1984年(昭和59年)にかけて冷房改造が施工された。冷房改造は別項を参照。本グループでは1001編成を除く三菱製電装車は冷房改造に際して主抵抗器を車両中央部から海側に移設している。 1017編成は台車の枕ばねに空気ばねを試験採用(東急TS-313形・川車OK-22形)しており、空気ばね採用による空気使用量増加のため、空気圧縮機がBグループ他車のA-2形に対しA-3形を搭載していた。後に1131以降と同じAR-2形に載せ換えられている。 1988年から廃車が始まり、一部は高松琴平電気鉄道(12両)と北総開発鉄道(現・北総鉄道、1962年製の12両を含む16両)に譲渡されたが後者は廃車となった。京成電鉄には8両がリースされ、後に4両が返却・廃車され、残りの4両が千葉急行電鉄(現・京成千原線)へもリースされたが廃車となった。
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