題名と構図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 02:07 UTC 版)
エイキンズは、この作品のことを1885年には『Swimming』(水泳)、1886年には『The Swimmers』(水泳者ら)と呼んだ。題名『The Swimming Hole』(『深みの水泳』(原義は「川の泳ぐことが出来るくらい深い所」の意味))は、1917年(エイキンズが死去した翌年)に設定されているが、その時、この作品は美術家の未亡人スーザン・マクダウェル・エイキンズ (Susan Macdowell Eakins) が所有しており、彼女によってそう記述された。 4年後、彼女は1882年のジェームズ・ウィットコーム・ライリー (James Whitcomb Riley) による詩『The Old Swimmin'-Hole』に関して、作品に『The Old Swimming Hole』と題名を付けた。エーモン・カーター美術館はそれ以来、エイキンズの原題『Swimming』に戻している。 この作品は、エイキンズと5人の友人あるいは学生が、フィラデルフィア郊外に位置するミル・クリーク (Mill Creek) の人造湖であるダヴ湖 (Dove Lake) で水浴している様子を表現している。描かれている人物たちは、マーティン・A・バーガーの言葉によれば、「見たところ観想的な瞬間にふけっているらしく」 ("apparently lost in a contemplative moment") 、水面を見ている。エイキンズの諸人物の正確な表現は、後に学者らが全ての登場人物 の身元を確認することを可能にした。彼らは(左から右に)、タルコット・ウィリアムズ (Talcott Williams) (1849年 - 1928年)、ベンジャミン・フォックス (Benjamin Fox) (1865年頃 - 1900年頃)、ジョン・ローリー・ウォーレス (John Laurie Wallace) (1864年 - 1953年)、ジェシー・ゴッドリー (Jesse Godley) (1862年 - 1889年)、 イヌのハリー (Harry) (エイキンズのアイリッシュ・セッター(1880年頃 - 1890年)、ジョージ・レーノルズ (George Reynolds) (1839年頃 - 1889年)、そしてエイキンズ (Eakins) 自身である。男らのうち数人が休んでいる岩の岬は、ミル・クリークのミル (mill) の基部で、1873年に破壊された。これが、作品のなかで文明の唯一の兆しである - 靴や服、更衣場が見えない。 背景における葉群は、泳ぎ手らの肌の色合いが対照を成すよう、黒っぽい背景を提供している。 構図は、ピラミッド状である。 左で横になっている人物は、見る者の眼を座っている人物に導き、その人物のジェスチャーが今度は構図的ピラミッドの頂点のゴッドリーを指し示している。右で跳び込んでいる人物は、エイキンズの泳いでいる体形に導き、彼は自分を場面の中に描き、そしてその左への運動は注意を絵のなかに戻している。 エイキンズは、絵の焦点を操作することによってこのピラミッド構造を強化している:泳ぎ手らを含んでいる中央部は極めて正確であり、その一方で外周部は冗漫で、「中間には穏やかにする区域はないも同然である」 ("virtually no moderating zones in between") 。 絵の中の明暗は不自然である - あまりに明るいところもあり、あまりに暗いところもある - ただし、効果は、泳ぎ手の身体の線にアクセントをつけ、全般に巧妙である。 構図は、学校的な伝統(目的そのものとしての人物の描写の熟達)と、男のヌードを屋外の設定に置き換えることにおける独特さとの両者で有名である。水の中へ跳び込んでいる無名の男の描写は、西洋美術の歴史において極めて稀であった。 残りの人物は、運動の連続的な物語を含意するように巧妙に配置されていて、これらの姿勢は「横になっているところから、座っているところ、立っているところ、跳び込んでいるところに」 ("from reclining to sitting to standing to diving") 進歩している。 同時に、それぞれの人物は生殖器が見えないように注意深く位置されている。 先立つ諸作品においてと同じく、エイキンズは下右の泳ぎ手としてここに、自画像を含むことを選んだ。 『グロス・クリニック』や『シングル・スカルのマックス・シュミット』 (Max Schmitt in a Single Scull) における出現とは異なり、ここでは美術家の存在はより曖昧である - 彼は、友人、教師あるいは窃視者と見られるかもしれない。 エイキンズに近い水のさざなみと、跳び込む者の周りの泡は、他のところでは静止している絵の中で唯一の運動の描写である。 湖の頭部の赤い人物に近い水は、静かで明確な反射像を提供するほどである。この対照は、古典的な原型と科学的な自然主義との間の絵における緊張を下線を引いて強調している。 これらの肉体およびその筋肉組織の位置どりは、ギリシア美術を喚起する肉体的美と男性どうしの友情の古典的理想に言及している。 横になっている人物は、『瀕死のガリア人』のパラフレーズであり、そして美術家による、より整然としていない自己描写と並置されている。 エイキンズが古代的なテーマをモダンな解釈と調和させようとしていたということは、あり得る。 主題は同時代的であったが、しかし諸人物のうちのすうにんのポーズは、古典的な彫像のそれらを思い出させる。 同時代の源による影響であるかもしれないものは、フレデリック・バジールによって1869年に描かれた『夏の場面』であった。 エイキンズがもしパリで研究ちゅうにサロンでこの絵を見て、そして現代の設定における男性の水浴者の描写に共感したであろうということは、ありそうになくはない。 エイキンズの全作品のなかには、『深みの水泳』にさきだって、アルカディアのテーマの、おおくの同様な作品があった。これらは、彼が古代ギリシア彫像にかんしておこなった講義に一致し、そしてエルギン・マーブルのペイディアスの汎アテナイ的な行列のペンシルヴェニア・アカデミーの塑像物によって霊感をあたえられた。一連の写真、浮彫の彫像、そして油彩スケッチは、1883年の『アルカディア』において頂点に達したが、これは、田園風景における学生、甥、そして美術家のフィアンセがポーズをとったヌードの人物が呼び物であった。
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