長門国正吉郷入江塩浜絵図
主名称: | 長門国正吉郷入江塩浜絵図 |
指定番号: | 139 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1992.06.22(平成4.06.22) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 1通 |
時代区分: | 鎌倉~江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 有光家文書は、長門国正吉郷正吉八幡宮(現山口県下関市永田神社)の社家を務めた有光家に伝来した文書で、建保三年(一二一五)二月日地頭平某等連署下文案を上限として江戸時代にいたる百二十一通を存する。 有光家は正吉郷内の厳島神社大宮司であった秦氏の一族で、有光系図によれば六代武弘が暦応四年(一三一四)に正吉八幡大宮司の秦弘延より同社大宮司職を継承しており、爾来正吉八幡宮宮司職を相伝しつつ、中世を通じてこの郷域を基盤に土豪領主としてその家系の維持に努め、近世を迎えた家柄である。 本文書はかかる中世土豪有光氏の歴史を具体的に伝えたもので、大部分が中世文書である。内容は有光氏の所領に関する譲状、売券、充行状などが中心を占めるが、これらのなかには鎌倉から南北朝時代の正吉郷地頭や地頭代の発給した補任、寄進状がみえて興味深い。 また、長門国正吉郷入江塩浜絵図は、初期入浜式塩田を描いた絵図として、最も時代の遡る遺品である。図は南側の海岸を上にして永田川の東西に広がる入江干潟周辺を描いたもので、中央には「入江干潟」の墨書と、本堤をもって囲まれたその範囲が朱線をもって示されている。本堤の内側には地積等をあらわす注記があるほか、川寄りの干潟には五つの「塩塚」を描き南側の浜に向けて「大道口」がみえる。本堤の周縁には「本田今者不」などの注記があり、海岸に面した松林に「八幡宮」の建物二宇と鳥居一基が描かれている。 本図には作成の年紀などを示す墨書等はないが、竜王神社所蔵文書中の嘉暦二年(一三二七)二月十二日惣公文物部武久請文案には、正吉郷塩浜の塩未進についての忌宮供僧の訴えに対して、惣公文が塩浜経営の実態を説明するために絵図一通を作成したことが記されていて、本絵図がこの嘉暦相論時に作成されたことを明らかにしている。 以上、有光家文書は中世の「地方文書」ともいうべき性格を有しており、正吉八幡宮社家有光氏とその周辺を含む地方小領主層の具体的変遷を伝えて価値が高い。 |
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