自己との対話
『第四間氷期』(安部公房) 現在の「私(勝見博士)」の諸データを電子計算機に入力し、そこから「未来の私」の人格が構成された。水棲人に人類の未来を託す秘密計画(*→〔人間〕4a)に対し、「私」が古い陸棲人の立場から反対することが、「未来の私」には既定のこととしてわかっていた。「未来の私」は「私」に警告の電話をかけ、「私」の考えが変わるのを期待するが、結局「私」の存在が水棲人養成計画の障害になるので、「未来の私」は殺し屋を雇って「私」を抹殺する。
『詩と真実』(ゲーテ)第3部第11章 恋人フリーデリーケと別れた「私」が、ドゥルーゼンハイムに向けて馬を進めていた時、同じ道を、もう1人の私が、これまで着たことのない金色をおびた灰青色の服装で、馬に乗ってやって来た。「私」は肉眼でなく心の眼でそれを見た〔*8年後、「私」はその時見たのと同じ服装で、同じ道を、もう1度フリーデリーケに会うために通った〕。
*夢の中で、未来の自分と対面する→〔自己視〕1dの『現代民話考』(松谷みよ子)4「夢の知らせほか」第1章の1。
*少女が、将来自分の産む息子と対面・対話する→〔時間旅行〕3aの『キャプテンKEN』(手塚治虫)・〔竹〕6の『百物語』(杉浦日向子)其ノ71。
『他者』(ボルヘス) 1969年、ほとんど視力を失った70歳の「わたし(ボルヘス)」は、ある朝ボストン郊外でベンチに座っていて、1人の若者に出会った。彼は若き日の「わたし」で、彼はジュネーブに住み、時は1918年だった。「わたし」は彼と会話をし、彼の将来に起こる出来事のいくつかを教えた。彼は夢の中で「わたし」と会話し、「わたし」は目覚めた状態で彼と会話したのだった。
*過去へ送った自分自身と対面する→〔円環構造〕6aの『ネオ・ファウスト』(手塚治虫)。
『哲学者の小径(フィロソファーズ・レーン)』(小松左京) ある年の4月1日。30代半ばの「私」は、学生時代からの友人、遠藤、高木(=高橋和巳がモデル)と一緒に、哲学者の小径を歩いた。疎水べりで3人連れの大学生と出会い、何となく不快を感じた。夜、「私」たちは飲み屋で再び彼らと出くわす。彼らは「私」たちを「理想を失い堕落した中年男」と批判して、殴り合いになった。深夜、帰宅した「私」は、学生時代の日記を押入れから捜し出す。日記には、「堕落した中年男3人と殴り合った」と記されていた。
*1970年の「わたし(男)」と1963年の「わたし(女)」の性交→〔ウロボロス〕6の『輪廻の蛇』(ハインライン)。
『広異記』28「自分を占う」 「寿命を知りたい」と言って訪れた客のために、柳少遊が卦を立てると、「今日の暮れまでの命」と出る。客は悲しんで辞去し、門を出て数歩で姿が消える。見送った童が「今の客は御主人様と瓜二つでした」と告げるので、柳少遊は「あれは自分の魂だったのだ」と悟る。占いどおり、日暮れに柳少遊は死んだ。
『黒衣の僧』(チェーホフ) 神経を病んだ青年学者コヴリンのもとを、黒衣の僧が訪れる。それはコヴリンの心が生み出した幻覚で、コヴリンもそのことを知っている。黒衣の僧はコヴリンに「お前は天才だ」と告げ、「思想と健康は両立し難い」と説く。コヴリンは次第に健康を損ね、喀血して倒れる。黒衣の僧が「お前の身体は、天才を包む外皮の役割をもはや果たせない」とささやくのを聞きながら、コヴリンは息絶える。
『日本書紀』巻1・第8段一書第6 オホアナムチ(=大国主命)は葦原中国を平定し、出雲国まで来て、「私と一緒に天下を治める者がいるだろうか?」と自問した。その時、海に発光体が浮かび、「私がいたからこそ、国を平定できたのだ。私はお前の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)だ」と告げた。オホアナムチは自らの幸魂・奇魂を、大和国の三諸山の宮殿に住まわせた。これが大三輪の神である。
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