第5、第6の哨戒 1944年5月 - 9月
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「ヘイク (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1944年5月 - 9月」の解説
5月23日、ヘイクは5回目の哨戒でミンダナオ島方面に向かった。この哨戒ではタンカーへの攻撃と日本艦隊に対する警戒、動向の察知に重きが置かれた。6月8日未明、ヘイクは北緯06度03分 東経125度57分 / 北緯6.050度 東経125.950度 / 6.050; 125.950のサンアウグスティン岬沖でレーダーにより2つの目標を探知。これと相前後して、ビアク島救援の渾作戦の支援に向かう戦艦扶桑、重巡洋艦妙高、羽黒の護衛に就いていた駆逐艦風雲は、「潜水艦からの反響音」を探知したため扶桑らと分離して爆雷を3個投下し、扶桑らに合流しようと高速で航行中だった。ヘイクは魚雷を6本発射し、魚雷は風雲の左舷中央部と後部に命中して風雲は搭載していた魚雷が誘爆を起こして沈没していった。6月13日朝にも北緯06度29分 東経125度42分 / 北緯6.483度 東経125.700度 / 6.483; 125.700の地点で2隻の「桃型駆逐艦」を探知し、魚雷を4本発射したが回避された。6月16日、ヘイクは北緯06度13分 東経126度06分 / 北緯6.217度 東経126.100度 / 6.217; 126.100の地点でタンカーおよび3隻の駆逐艦と対峙し、魚雷を6本発射してタンカーに魚雷が2本命中したと判定される。翌6月17日、北緯06度10分 東経126度18分 / 北緯6.167度 東経126.300度 / 6.167; 126.300の地点で輸送船団を発見し、魚雷を4本発射。魚雷は輸送船錦州丸(大連汽船、5,591トン)に命中してこれを撃沈した。6月20日にも北緯05度36分 東経125度17分 / 北緯5.600度 東経125.283度 / 5.600; 125.283のミンダナオ島サランガーニ海峡でサンボアンガからダバオに向かっていた輸送船団を発見し、魚雷を4本発射。魚雷は2本が輸送船日美丸(日産汽船、5,875トン)に命中して撃沈した。6月25日にダーウィンに寄港して魚雷を補給ののち、翌8月26日に出撃してケンダリ方面を行動した。7月11日、ヘイクは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がフランク・E・ヘイラー少佐(アナポリス1936年組)に代わった。 8月5日、ヘイクは6回目の哨戒でハッド (USS Haddo, SS-255) 、ハーダー (USS Harder, SS-257) 、レイ (USS Ray, SS-271) とともにウルフパックを組んで南シナ海、ルソン島方面に向かった。計画では、マニラ湾やルソン海峡と、その周辺を哨戒する予定だった。しかしヘイクは8月9日に潜航機能のトラブルによりダーウィンに寄港し、8月13日に再出撃。ウルフパックは8月21日にミ12船団を攻撃して大なる戦果を挙げたが、ヘイクは離れたところにいたため攻撃に参加しなかった。8月23日、ハッドが搭載魚雷の使い果たしによる補給のため、前進基地のミオス・ウンディ島に戻るのと入れ替わるように、再びハーダーとともに行動することとなった。8月24日朝4時53分、ヘイクは潜航を開始し、ハーダーはヘイクの南4,000メートルにいた。ヘイクは2つの探信音を探知し、その方向に潜望鏡を向け2隻の艦艇を発見した。ヘイクは最初、2隻を「軽巡洋艦と駆逐艦」と判断したが、すぐ「掃海艇と駆逐艦プラ・ルアン(タイ海軍)」と訂正した。ヘイクが言う所の「掃海艇」は第22号海防艦であり、『プラ・ルアン』は第102号哨戒艇だった。この2隻は、前日にハッドの攻撃で駆逐艦朝風を撃沈されて「裸」になったままダソル湾の奥深くに避難していたタンカー二洋丸(浅野物産、10,022トン)をマニラに誘導するために差し向けられたものだった。6時47分、ヘイクは自己の潜望鏡の前方視野にハーダーの潜望鏡を捉えた。その距離はわずかに600メートルであり、その地点は北緯15度43分 東経149度43分 / 北緯15.717度 東経149.717度 / 15.717; 149.717であった。ヘイクは時々、日本側がソナーによって探査している様子をうかがったが、目標が複数あってどちらを攻撃するか決めかねている様子と判断した。やがて、探知されてメインターゲットにされたと感じたヘイクは、深深度潜航で西方に避退していった。一方、ハーダーは避退せず第22号海防艦に向けて魚雷3本を発射したが、全て巧みに交わされて7時28分ごろに猛烈な爆雷攻撃を受けて撃沈された。ヘイクはこの時4キロも西方に離れていたが、ハーダーのいるあたりから15発もの爆雷の爆発音を聴取し、一連の攻撃が終わった後、ヘイクはハーダーから何の応答も得られなかった。8月30日、ヘイクは北緯16度00分 東経119度43分 / 北緯16.000度 東経119.717度 / 16.000; 119.717の地点で中型輸送船を発見し、魚雷を6本発射したが命中しなかった。9月6日には北緯16度19分 東経119度44分 / 北緯16.317度 東経119.733度 / 16.317; 119.733のボリナオ(英語版)沖でミ15船団を発見し、魚雷を3本発射して「朝潮型駆逐艦」に1本命中させたと報告した。9月24日、ヘイクは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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