白人による虐殺とは? わかりやすく解説

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白人による虐殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 10:26 UTC 版)

ポウハタン」の記事における「白人による虐殺」の解説

1609年11月、ジョン・ラトクリフ船長ポウハタン連邦新しオラパケスに招かれた。ラトクリフがそこで交易するためにパムンキー川を遡っていくと、入植白人ポウハタン族との間に戦闘始まった。岸に上がっていたイギリス人全て殺されたが、この中には部族女性拷問されラトクリフ入っていた。ピンネース船にのっていた者達が脱出し、その話をジェームズタウン伝えた次の年の間に、ポウハタン族はジェームズタウン住人襲い多く殺した住民反撃した20人を殺したに過ぎなかった。しかし、1610年6月ジェームズタウン新し総督第3デ・ラ・ウェア男爵トマス・ウェスト(現代ではデラウェア卿として知られる)が到着し、「第一次アングロ・ポウハタン戦争」を始めた白人たちは、ポウハタン酋長の娘ポカホンタスを、交渉人質として拉致し、一年にわたり監禁した白人たちはポウハタン酋長部族支配者だと思い込んでいるから、その娘を人質とし、脅迫すればインディアンたちは従うだろう白人流儀考えたのである侵略者たちはポウハタン族とポウハタン酋長に対して捕虜返還武装解除食糧トウモロコシ)を要求した白人本当に彼らと和平結びたいなら、「ロングハウス」の「会議の火」の周りで「大いなる神秘」のもと「聖なるパイプ」で煙草回し飲みし贈り物交換し合議のもとでこれを行うのが筋である。武力脅迫してインディアン反発するだけである。 拉致監禁されたポカホンタスキリスト教洗礼を受けさせられタバコ農園主のジョン・ロルフと、釈放引き換え条件1614年結婚した調停者であるポウハタン酋長白人縁組したことで、ほんのわずかな間、インディアン白人平和な時期生まれた。 しかし、数年のうちにワフンスナコック酋長ポカホンタス病気死んだ酋長バージニア死んだが、ポカホンタス植民地プロパガンダのためにロンドン連行され向こう死んだ一方イギリス人入植者達は再びポウハタン領地侵略続けていた。 1618年ワフンスナコック死んだ後、弟であるオペチャンカナウ酋長以前スミスに銃で脅迫されている)は入植者敵対姿勢強めた。オペチャンカナウたちは白人追い出そう1622年1636年に「ジェームズタウンの虐殺」を行った。これらの試みイギリス人からの強力な反撃遭い結局は部族自体虐殺されることとなったポウハタン連邦1646年までに大半破壊された。イギリス植民地拡大続きそれまで白人加えて黒人奴隷の数も増加し、特に17世紀半ばまでの期間には、彼らの中で年季奉公としての期間を経て自由を獲得した解放奴隷たちによって、さらにポウハタン土地侵されていった1644年の「第二次アングロ・ポウハタン戦争」で、バージニア総督ウィリアム・バークリーの軍隊が、齢90ないし100と見られる老オペチャンカナウを捕えた。オペチャンカナウは捕虜となり、護衛役の白人兵士から背中撃たれ殺された。 白人たちは酋長を「反乱指導者」だと思い込んでいるから、この老調停者捉え、命まで奪ったのである。 オペチャンカナウの死後はネクトワンスが酋長調停者)を継ぎその後トトポトモイ、さらに後にはその娘のコッカコースケが継いだ1665年までに、ポウハタン族はその年に法制化された白人厳格な法律に従わせられることとなり、総督指名される酋長受け入れることを強いられたインディアン酋長誰か指名されたり選ばれる類のものではない。侵略者たちは、インディアン酋長首長だと勘違いしているのである白人から「この者を酋長ピースメーカー)に選んだから、この者に従えと言われても、インディアン納得できるはずがなかった。 1676年ベイコンの反乱の間に、ナサニエル・ベイコンによって捕獲したインディアン奴隷化された。インディアン奴隷制はそのわずか15年後にあたる1691年バージニア植民地議会によって公式に廃止された。しかし、多くポウハタン族は18世紀に入るまで奴隷状態におかれた。残るポウハタン族は白人黒人入植者同化する者もいた。1684年オールバニ条約後では、ポウハタン連邦全て消滅したポウハタン連邦存在しなくなってから長年経過して、その地域の西数マイルの地は、ポカホンタスの父ワフンスナコック酋長栄誉称えてバージニア植民地の中のポウハタン郡と命名された。 民主主義社会であるポウハタン族は、君主制社会であるイギリス白人破壊され征服された。 ポカホンタスイギリス人入植者ジョン・ロルフ結婚し息子トーマス・ロルフを生んだが、トーマスロルフ実の子供ではない。実際父親は、ロルフの上司のトーマス・デール卿と見られている。バージニア入植者の子孫の多くが、インディアンヨーロッパ人双方にそのルーツを辿ることができる。

※この「白人による虐殺」の解説は、「ポウハタン」の解説の一部です。
「白人による虐殺」を含む「ポウハタン」の記事については、「ポウハタン」の概要を参照ください。

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