白人によるオーストラリア大陸の認識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:55 UTC 版)
「オーストラリア大陸」の記事における「白人によるオーストラリア大陸の認識」の解説
オーストラリア大陸が現在のように、他の大陸や島々から孤立した状況になって以降は、ヨーロッパ人の到来まで、オーストラリアは外界から隔絶された場所だったという認識が強い。しかし、近年はこれを覆す研究結果がいくつかある。約4000年前にはオーストラリア大陸へと渡った古代のインド人とアボリジニとが混血していたという研究結果がある。アボリジニの伝承には、ヨーロッパ人の来訪以前からも、どこからかやってきた黒人や白人たちと交流があったとの話が伝わっており、中東やアフリカからオーストラリア北部を訪れる船乗りがいたと推測する者もいる。決定的証拠は無いが、山田長政が白人よりも先にオーストラリア大陸を発見していたという説がある。 ヨーロッパにおいてオーストラリア大陸が知られるようになったのは、大航海時代の後にウィレム・ジャズ(オランダ人)やジェームズ・クック(イギリス人)などが到達した17世紀から18世紀頃である。それまでは、現在南極大陸がある南極地域までを含めた、巨大な伝説上の大陸「メガラニカ」の存在が多く信じられていた。そのため、オーストラリア大陸も発見当初、その一部ではないかとされた事があった。後の航海により「メガラニカ」の存在は否定されたが、「オーストラリア」という名前は「メガラニカ」の別名、「テラ・アウストラリス・インコグニタ(未知の南方大陸)」に由来しており、名残をとどめている。
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