物象化論の形成
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マルクスは1845年から1846年にかけてエンゲルスとともに書いた『ドイツ・イデオロギー』という草稿で社会的分業について考察し、『資本論』の物象化論につながる視点を示した。 分業は次のことについて最初の例を、早速われわれに提供してくれる。すなわち、人間たちが自然発生的な社会の内にある限り、したがって特殊な利害と共通の利害との分裂が実存する限り、したがって活動が自由意志的にではなく自然発生的に分掌されている限り、人間自身の行為が人間にとって疎遠な、対抗的な威力となり、人間がそれを支配するのではなく、この威力の方が人間を圧服する、ということである。 — カール・マルクス/フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』、 社会的活動のこうした自己膠着、われわれ自身の生産物がわれわれを制御する一つの物象的な強制力と化すこうした凝固ーーそれはわれわれの統制をはみだし、われわれの期待を裏切り、われわれの目算を無に帰さしめるーー、これが、従来の歴史的発展においては主要契機の一つをなしている。社会的威力、すなわち幾重にも倍化された生産力ーーそれはさまざまな諸個人の分業の内に条件づけられた協働によって生じるーーは、協働そのものが自由意志的でなく自然発生的であるために、当の諸個人には、彼ら自身の連合した力としてではなく、疎遠な、彼らの外部に自存する強制力として現れる。 — カール・マルクス/フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』、 『資本論』の物象化論が商品経済における社会的分業のあり方の分析によって商品の物神崇拝を解明するための枠組だったのに対し、この『ドイツ・イデオロギー』の物象化論は社会的分業の発展を軸にした歴史観を提示することが目指されている。物象化は商品経済に固有な現象としてではなく自然発生的分業から生じる現象とされている。「人間自身の行為が人間にとって疎遠な、対抗的な威力と」なる、という視点は『経済学・哲学草稿』の疎外論の延長線上にあるものと見なすこともできる。 商品経済においては労働の社会的性格が商品の交換価値として現れる、という観点が現れるのは1859年発行の『経済学批判』においてである。マルクスは商品の交換価値を分析し、社会的分業の一環であるにもかかわらず直接的には私的な労働が交換価値を生み出す労働であることを指摘した。 一商品の交換価値が現実に表現されている諸等式の総和、たとえば 1エレのリンネル=2ポンドのコーヒー 1エレのリンネル=1/2ポンドの茶 1エレのリンネル=8ポンドのパン、等々。 を考察してみると、これらの等式は、たしかに等しい大きさの一般的社会的労働時間が、1エレのリンネル、2ポンドのコーヒー、2分の1ポンドの茶等々に対象化されていることを意味するにすぎない。しかし実際には、これらの特殊な使用価値であらわされている個人的労働が一般的な、そしてこの形態で社会的な労働になるのは、もっぱらこれらの使用価値が、それらのなかにふくまれている労働の継続時間に比例して、現実に互いに交換されることによってである。社会的労働時間は、これらの商品のなかにいわばただ潜在的に実在しているのであって、それらの商品の交換過程ではじめてその姿をあらわすのである。出発点となるのは、共同労働としての個人の労働ではなくて、逆に私的個人の特殊な労働、交換過程ではじめてそれらの本来の性格を揚棄することによって、一般的社会的労働という実を示す労働である。 — カール・マルクス『経済学批判』、 この指摘をマルクスは「経済学の理解にとって決定的な跳躍点」と自賛した。従来の経済学は商品経済の歴史的特殊性を考慮することができず、したがって商品経済において労働が受け取る特殊な性格を理解することもできなかった、という認識による。
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