準備不足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 08:36 UTC 版)
「吾妻連峰雪山遭難事故」の記事における「準備不足」の解説
メンバー7人全員が「出発前日までそれぞれの本業に追われ冬山登山の事前準備期間を十分確保できなかったこと」が悲劇の引き金となった。それでも、リーダーは今回の吾妻連峰登山計画を半年ほど前から立てていたが、逆に言えば、それに依存する形となり、その結果、冬山登山に必携のラジオやツェルトの有無の確認やその必要性を認識しないなど、メンバー間での情報の共有も行われなかった。これにより、「余裕の無い計画かつ冬山対応装備が一部欠品した状態」で本番に臨む形となった。 その一例がラジオの携帯である。設備の違いはあれど慶応吾妻山荘では天気予報などの情報を受信しており、7人はラジオが無かったため、そうした情報を得る手段を有さない状況に陥ってしまった。また、リーダーは以前から山行時における天候にはほぼいつも無頓着だったという。 上記の理由に加え事前の登山計画書提出がなく、更に現地・吾妻高湯スキー場の登山者カード提出場所でもあった4本目リフト搭乗口を経由をしなかった上、独身者もいたが、身内などに対し詳しい登山経路を告げていなかった。 新幹線に乗った時点で仮眠をとるメンバーがいたという話もあり、その場合、出発の時点で仕事の疲労が蓄積していた可能性があったにもかかわらず、登頂を決行してしまった。この時期は年度末を控えており、メンバーの中には看護師、区役所職員、専門学校講師などがいたが、多忙の中で登山に参加した。
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準備不足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 02:05 UTC 版)
アバークロンビーの戦略への批判のまず最初は、総体的に、お粗末な頭脳を当てにしすぎたことである。彼のもとに届いた報告では、フランスのカリヨンでの戦力は6,000人である、そして援軍が3,000人来るとなっているが、この情報の出処は、脱走兵もしくは捕虜であった。アバークロンビーは、自ら斥候なり軽歩兵なりを送り込んで事実を調べるべきだった。仮に脱走兵や捕虜の情報が正確なものであったとしても、アバークロンビーの軍は数の上でモンカルム軍にまさっていたのである。アバークロンビーが頼りにした、その同じ報告には、カリヨン砦では物資が足りないともあり、これだと包囲戦で即座に戦いを終わらせることができたのである。 アバークロンビーの次なる戦略上のミスは、マシュー・クラークの分析を、明らかに過信したことだった。クラークは技師としての経験に乏しく、これが、フランスの防御を何度も読み違える事態を招いた。ここで明らかなのは、アバークロンビーがとにかく事を急いだこと、クラークの提案通りに、ガラガラヘビの丘に砦を築くこともしようとせず、なのに彼を非難することに努め、クラークの言う通りにしただけだと言い張った。クラークは戦闘での戦死傷者の一人であり、そのため、自らに対する非難から身を守ることができなかった。第44歩兵隊の大尉チャールズ・リーは、ガラガラヘビの丘で大砲を使う見込みについて、こう書いている。「ある丘は、特に我々の味方になりそうだった。その丘は命令した、即座に、この場所からの防衛線に、2台の小さな大砲をしっかりと据えるように、そうすればフランス軍は、自分たちの砦の胸堡からすぐに退散する(…)こんなことは想像さえしなかった、何かが(想像されたし)誰か一人の愚かな人物に何かがあったに違いない、その人物は、よだれかけをつけられ、鈴を持たされるほどにはたわけた人間ではなかっただろうが」 前線に大砲を持ちこまない決断は、アバークロンビーの最も重大な失策の一つであろう。大砲を使えば、逆茂木を巡らせた小道もひとっ飛びで、胸堡にも穴を開けられたのだ。 アバークロンビーは、更に、包囲戦の代わりとしての激戦もやろうとはしなかった。彼の軍は十分に数が足りていて、フランスの陣地を包囲に持ち込めたし、フランスの援軍が来てもやり過ごせたのである。
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