湖東焼とは? わかりやすく解説

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ことう‐やき【湖東焼】

読み方:ことうやき

琵琶湖東岸滋賀県彦根市付近焼成された陶磁器井伊家藩窯となったが、文久2年(1862)廃窯。広義には明治28年(1895)まで同地方で焼かれたものも含む。


湖東焼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 09:23 UTC 版)

湖東焼'(ことうやき)は、江戸時代後期に日本彦根藩で始まった陶芸および、それによって生産される陶磁器である[1]湖東とは、彦根藩が所在した琵琶湖東岸を指す広域地名である。


出典

  1. ^ a b c d e f g 谷口徹(「湖東焼を育てる会」理事長米原市柏原宿歴史館館長)よみがえれ「幻」の湖東焼◇幕末で途絶えた彦根藩の名産品 調査収集を通じ再興に尽力◇日本経済新聞』朝刊2021年10月8日(文化面)2021年11月14日閲覧
  2. ^ a b c 湖東焼の開祖 絹屋半兵衛 - 彦根のむかしばなし - こどもひこねっと
  3. ^ a b c 『近江人物伝』(臨川書店 1976年)
  4. ^ a b c d 第二十一景 絹屋半兵衛屋敷 - 井伊直弼と開国150周年祭
  5. ^ a b 湖東焼窯跡 - 彦根観光協会
  6. ^ 鳥居本と湖東焼き - サンライズ出版
  7. ^ “この人 小倉 栄一郎さん 湖東焼の復興に情熱を傾ける “幻の名器”忘れられず”. 中日新聞』朝刊 (中日新聞社): p. 7. (1986年11月19日) 
  8. ^ “クーデターが廃窯原因 彦根藩の湖東焼 定説を修正の見解 滋賀大の小倉教授”. 朝日新聞』朝刊 滋賀版 (朝日新聞社): p. [要ページ番号]. (1985年9月25日) 
  9. ^ “湖東焼一世紀ぶり再興へ 10年来の念願実現 愛好者らまず窯跡発掘や試焼き”. 『中日新聞』朝刊 (中日新聞社): p. 7. (1984年4月4日) 
  10. ^ “よみがえれ゛“幕末の名窯”復興、3日に火入れ 旧彦根藩窯の「湖東焼」 彦根の愛好家ら”. 『毎日新聞』朝刊 滋賀版 (毎日新聞社): p. [要ページ番号]. (1986年10月29日) 
  11. ^ “「湖東焼窯」火入れ式 幕末の名窯一世紀ぶり復興へ”. 産経新聞』朝刊 滋賀版 (産経新聞社): p. [要ページ番号]. (1986年11月4日) 
  12. ^ “幻の湖東焼 1世紀ぶり再現 彦根 1年半がかり試作”. 京都新聞』朝刊 (京都新聞社): p. 26. (1987年3月22日) 
  13. ^ “湖東焼窯跡まとめ 彦根城博物館 報告書を刊行”. 『京都新聞』朝刊 滋賀版 (京都新聞社): p. [要ページ番号]. (1990年5月30日) 
  14. ^ “御用窯の遺構確認 焚き口や房の床面 彦根・湖東焼窯場跡”. 『朝日新聞』朝刊 滋賀版 (朝日新聞社): p. [要ページ番号]. (1994年4月6日) 
  15. ^ “登り窯の4室新たに出土 彦根の「湖東焼窯場跡」調査 廃止直前まで使用 全体像知る手掛かりに”. 『京都新聞』朝刊 滋賀版 (京都新聞社): p. [要ページ番号]. (1995年4月27日) 
  16. ^ “湖東焼の窯は 全長30㍍幅5㍍ 彦根市教委が規模確認 新たに4房判明 階段状で1段に2房”. 『産経新聞』朝刊 滋賀版 (産経新聞社): p. [要ページ番号]. (1995年5月3日) 
  17. ^ “湖東焼登り窯再現目指す 「育てる会」がNPO法人化 彦根の文化発展へ意欲”. 『中日新聞』朝刊 滋賀版 (中日新聞社): p. [要ページ番号]. (2005年9月29日) 
  18. ^ “湖東焼再興へ 来月20日の初窯・火入れ式が楽しみ 育てる会 登り窯建設の最終工事 彦根”. 『毎日新聞』朝刊 滋賀版 (毎日新聞社): p. [要ページ番号]. (2007年2月18日) 
  19. ^ “彦根・湖東焼 再現の窯に火入れ 市民ら式典「新たな文化に」 地区長400年記念400作品を焼く”. 『京都新聞 朝刊』滋賀版 (京都新聞社): p. [要ページ番号]. (2007年3月21日) 


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湖東焼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:49 UTC 版)

彦根市」の記事における「湖東焼」の解説

文政12年1829年)、彦根城下で呉服商古着商営んでいた絹屋半兵衛が、伊万里焼職人招き彦根油屋町古着商島屋平助彦根藩御蔵手代西村兵衛誘って共同彦根城南(芹川沿い)の晒山(晒屋地区)に「絹屋窯」を開き、湖東焼の創始者となった。ただし、晒山には何らかの問題あったらしく、場所を佐和山山麓餅木谷に移して築いた窯で成功させたのが始まりとされている。 窯はその後経営難に陥って半兵衛一人営まれることとなるが、研鑽重ねて品質高め第14代藩主井伊直亮治世下の天保13年1842年)、藩直営となった。 湖東焼は直亮と次の第15代藩主直弼治世下で最盛期迎えるが、幕府大老兼任していた直弼江戸城桜田門外で暗殺された後は彦根藩内の空気一変し政情不安の煽り職人のほとんどが離散してしまう。残った地元生まれの4名だけでは存続も叶わず、藩窯2年後閉鎖余儀なくされた。それ以降民窯として複数の窯が存続していたものの、それらも1895年明治28年)までに全て閉鎖され、湖東焼は途絶した。 湖東焼の復興を願う機運高まり見せたのは昭和末期のこと。これを図る人たちは滋賀県彦根市賛同得て「湖東焼復興推進協議会」を発足させ、1986年昭和61年)に窯を築いて試作始めた。さらに2005年平成17年7月27日には、同協議会滋賀県認証を得、新たにNPO法人湖東焼を育てる会」として発足した詳細は「湖東焼」を参照

※この「湖東焼」の解説は、「彦根市」の解説の一部です。
「湖東焼」を含む「彦根市」の記事については、「彦根市」の概要を参照ください。

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