民間放送・テレビ放送開始以降
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「報道番組」の記事における「民間放送・テレビ放送開始以降」の解説
敗戦から暫く時間が経過した1950年5月2日に公布、6月1日より施行された放送法により、翌1951年に民放ラジオ局が相次いで開局。しかし、開局当初の民放アナウンサーのアナウンス技術は未熟で、「自殺幇助(じさつほうじょ)」を「じさつほうすけ」、「全焼(ぜんしょう)」を「まるやけ」と読むなど、巷は民放に対して「お詫び放送」と揶揄していた。 1953年のテレビ放送開始当初、NHKではラジオニュース同様のアナウンスを行いながら、あらかじめ用意された汎用の写真・図表などのトリキリをカメラで撮影する「パターンニュース」という手法だった。 映像を用いた報道は従来の「ニュース映画」を週1回テレシネで放映する形式で、開局当初は日本映画新社『日本ニュース』を放送したが、同年8月から自社制作に移行した。同年に開局した日本テレビは1日2回フィルムニュースを放送する編成をとった。いずれの放送局も、当初は自前のフィルム現像設備を持っておらず、速報に対応できなかった。自前の現像設備、カメラマンの増員、中継回線の発達などで、課題解決に近づけていった。 テレビ放送開始当初から1980年代にかけて、特にスポットニュース番組においてアナウンサーがカメラの前に出ることは少なく、字幕のパターンおよび声のみ、という構成が主流だった。 日本初のスタジオにセットを組み、ニュースキャスターがカメラの前に登場して、自らの言葉でニュースを伝える形式が導入されたのは、1962年10月1日に放送を開始した『JNNニュースコープ』(TBSテレビ)であるとされる。初代キャスターの一人である田英夫は、みずからベトナムへ出向き、ベトナム戦争の模様を伝えるなど、従来アナウンサーが原稿を読むだけだった報道番組のスタイルを大きく変えた。『JNNニュースコープ』の影響を受けて、で1974年4月1日に開始した『ニュースセンター9時』(NHK総合)は、アナウンサーでなく海外派遣経験を持った現職の報道記者をメインキャスターに据え、わかりやすい表現を貫き、これまで報道番組が扱わなかった大衆的な話題もためらわずトップニュースとするなど、従来の報道番組のイメージを刷新した。4代目キャスター出会った木村太郎の時代には、ENGおよびSNGが日本の放送現場に普及した時期であり、当時:報道番組部長であった、島桂次の方針によってキャスター自ら海外を含むニュースの現場から衛星中継で報告する「ロケーションアンカー」制を採用した。
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