書かれたものの保存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:54 UTC 版)
「古代エジプト文学」の記事における「書かれたものの保存」の解説
砂漠に築かれたエジプトの地下墓はパピルス文書の保存に最も適した保護環境であったと思われる。例えば、墓の主である故人の魂のための来世のガイドとなるべく墓に入れられた葬礼パピルスであった『死者の書』が多数、良好な保存状態で残っている。しかしながら、埋葬室に宗教的でないパピルスを入れる習慣があったのは中王国晩期から新王国の前半期にかけての時期のみであったので、保存状態の良い文学的なパピルスの大半はこの時期のものとなっている。 古代エジプトの集落の大部分はナイル川の氾濫原(英語版)の沖積層に位置していた。その湿潤な環境はパピルス文書の保存には適さなかった。氾濫原よりも高地にある砂漠の集落や、エレファンティネ、エル・ラフン(英語版)、エル・ヒバ(英語版)などのような灌漑設備のない集落から、考古学者たちはより多くのパピルス文書を発見している。 碑文のある石はしばしば建材として再利用され、片や陶器のオストラコンはその表面のインクが保たれるためには乾燥した環境が必要であった。 パピルスの巻物や束は箱に収めて保管されるのが普通であったが、オストラコンの方は日常的にゴミ捨て場に捨てられた。そうしたゴミ捨て場の1つがデイル・エル・メディーナ(英語版)のラムセス時代(フランス語版)の村から偶然発見され、現在知られているオストラコンに書かれた私的な手紙の大多数が出土した。ペネロペ・ウィルソン(英語版)は手紙、讃歌、虚構の物語、レシピ、商業的な領収書、遺言などを含むデイル・エル・メディーナで発見された幅広い文書について論じている。ウィルソンはこの考古学的発見を、現代のゴミ埋立地やゴミ箱をふるいにかけるのと同様なものと描写している。デイル・エル・メディーナの住民たちは古代エジプト人の標準からすると信じられないほど読み書き能力が高かったと指摘し、またこうした発見は「稀な状況と特殊な条件でしか」起こりえないのだと注記している。 ジョン・W・テート(英語版)は「〔……〕エジプトの資料の残存には非常に大きなむらがあり〔……〕時間と空間の双方にこの保存の不均質さがある」と強調している。例えば、ナイル川デルタからの資料は全時代において欠乏しているが、テーベ西部からの資料はその全盛期以降のものが大量にある。テートはまた、テクストの中には多数の写本が作られたものもあれば、たった1つの写本から生き残ったものもあると指摘している。例えば、『難破した水夫の物語(英語版)』には中王国時代の完全な写本が1つだけ残存している。しかしながら、『難破した水夫の物語』は新王国時代のオストラコン上の無数のテクスト片としても出現している。他の多くの文学的作品は諸断片、もしくは失われたオリジナルの不完全な写しを通じてのみ伝わっている。
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