日本での法華経の流布とは? わかりやすく解説

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日本での法華経の流布

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:05 UTC 版)

法華経」の記事における「日本での法華経の流布」の解説

日本では正倉院法華経断簡存在し日本人にとって古くからなじみのあった経典であったことが伺える。 天台宗日蓮宗系宗派には、『法華経』に対し『無量義経』開経、『観普賢菩薩行法経』を結経とする見方があり、「法華三部経」と呼ばれている。日本ではまた護国経典とされ、『金光明経』『仁王経』と併せ護国三部経」の一つとされた。 なお、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五は『観音経』として多く宗派普及している。また日蓮宗では、方便品第二如来寿量品第十六、如来神力第二十一まとめて日蓮宗三品経と呼ぶ。 606年推古14年)に聖徳太子法華経講じたとの記事日本書紀にある。 「皇太子、亦法華経岡本宮講じたまふ。天皇大きに喜びて、播磨国水田百町皇太子に施りたまふ。因りて斑鳩寺に納れたまふ。」(巻第22推古天皇14年条) 615年には聖徳太子法華経注釈書法華義疏』を著したとされる (「三経義疏参照)。聖徳太子以来法華経仏教重要な経典のひとつであると同時に鎮護国家観点から、特に日本国には縁の深い経典として一般に考えられてきた。多く天皇法華経称える歌を残しており、聖武天皇皇后ある光皇后は、全国に「法華滅罪之寺ほっけめつざいのてら)」を建て、これを「国分尼寺」と呼んで法華経」を信奉した最澄によって日本伝えられ天台宗は、明治維新まで皇室の厚い尊崇受けた。また最澄は、自らの宗派を「天台法華宗」と名づけて「法華経」を至上教えとした。 平安時代末期以降成立した『今昔物語集』では法華経利益多く描かれている。

※この「日本での法華経の流布」の解説は、「法華経」の解説の一部です。
「日本での法華経の流布」を含む「法華経」の記事については、「法華経」の概要を参照ください。

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