日中戦争と死とは? わかりやすく解説

日中戦争と死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 01:05 UTC 版)

山中貞雄」の記事における「日中戦争と死」の解説

1937年7月、『人情紙風船』の撮影中に盧溝橋事件勃発し日中戦争始まった山中スタッフたちと召集の心配をしていたが、同年8月25日の『人情紙風船』の封切り当日撮影所完成試写終え芝生雑談をしていた山中のもとにも召集令状届いたその場居合わせた岸松雄によると、召集令状受け取った山中タバコに火がつけられないほど手を震わせていたという。その翌日山中小津自宅訪れて祝盃をあげたが、一向に気分晴れず沈黙続き小津励まし冗談言っても話は弾まなかった。8月27日平安神宮出征壮行会が行われ、8月31日には伏見第16師団歩兵第9連隊陸軍歩兵伍長として入隊し補充部隊第3中隊編入された。その10日後には小津召集され山中よりも先に中国出征した10月8日山中前進座の人たちに見送られながら、神戸港から運送船に乗って出帆し10月17日中国大沽上陸したその後石家荘経て寧晋入り、そこに駐屯する北支那方面軍第2軍第16師団中島今朝吾中将歩兵第9連隊第1大隊第4中隊編入され、その中隊第3小隊第2分隊長に任命された。山中所属する第16師団第二次上海事変のため上海派遣軍編入され大連から船で上海方面進み第3小隊任務とする弾薬輸送隊援護務めた。すでに上海中国軍退却したあとであり、第16師団南京攻略戦のため南京目指し大陸内奥侵攻した山中第3小隊戦闘部隊として泥まみれになりながら悪路行軍し常熟無錫常州金壇句容経て12月9日には南京城外の紫金山到達し山頂突撃するため最前線立った12月15日南京陥落したあと、山中第3小隊句容駐屯し、そこで新年迎えた1938年1月12日山中のもとを小津訪ねて来た。2人はわずか30分の面会時間でたくさん語り合い日本映画監督協会宛てに「南京会ってお互いの無事を喜んでおります 小津安二郎」「悪運の強いのが生き残っています 山中貞雄」と寄書きをした。2人は「今度会う時は東京だ」と手を握りあって別れたが、これが2人最後対面となった2月19日第16師団北支那方面軍第一軍編入されたことで、山中部隊とともに句容出発して河北省向かい3月から4月にかけて河北裁定作戦占領地粛正作戦参加しその間4月1日には軍曹昇進した4月18日には戦地持ち込んでいた『従軍記』と題したノート遺書したためている。そこには次のようなことが書かれていた。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}〇陸軍歩兵伍長としてはこれ男子の本懐申し置くナシ。〇日本映画監督協会一員として一言。『人情紙風船』が山中貞雄遺作ではチトサビシイ。負け惜しみ非ず。(中略保険金借金返済について)〇最後に先輩友人諸氏一言 よい映画をこさえて下さい。以上 4月24日からは徐州会戦参加し5月19日徐州占領後隴海線沿いを西進し追撃戦参加した6月12日には中国軍黄河決壊事件起こしたことで、河南省大部分黄河濁水流れ出し山中たちは約1ヶ月間、褌一丁の裸になって洪水地帯戦闘従事した。しかし、その時濁水飲み込んだのが原因急性腸炎発病し7月19日開封市内の第16師団第2野戦病院入院し8月には同市内第5師団第2野戦病院転送された。病状一向に良くならず、8月15日付の井上の手紙には「下痢が酷い」と書いていた。9月2日には開封野戦予備病院移り、第28患者療養所収容された。収容時の山中食欲不振栄養足らずるいそう甚だしく重体とされた。9月7日頃には病状落ち着いて経過良好となりつつあったが、9月17日午前6時半頃に突如病状悪化し同日午前7時死亡した。満28歳だった。

※この「日中戦争と死」の解説は、「山中貞雄」の解説の一部です。
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