教皇の予備交渉とは? わかりやすく解説

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教皇の予備交渉 (1245–1248)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 07:07 UTC 版)

フランクとモンゴルの同盟」の記事における「教皇の予備交渉 (1245–1248)」の解説

西欧モンゴル帝国の間の最初の公式な交流は、ローマ教皇インノケンティウス4世 (在位: 1243年1254年) と大ハーンとの間で行われ書簡文書を携えた特命全権公使陸路数年掛けて目的地であるカラコルム到達した交流は、西欧モンゴルキリスト教西方教会への改宗要請しモンゴル西欧服属要求することで応えるという西欧モンゴル間の規則的パターンとなって開始された。 1242年チンギス・カン後継者である大ハーンオゴデイ死去に伴いモンゴルヨーロッパ侵略は一旦終了したモンゴルでは大ハーン亡くなると、帝国各地から次期大ハーン選出するクリルタイ開催するため、有力モンゴル人達は首都カラコルム呼び戻された。その間モンゴル軍冷酷な西方への進軍は、ついにはエジプトアイユーブ朝イスラム教徒同盟して、自らも西へ進出していたホラズム・シャー朝をさらに西へ追いやった。続く1244年ホラズム朝キリスト教徒からエルサレム奪還したその後ラ・フォルビーの戦い喪失の後、キリスト教国の諸王新たな十字軍 (第7回十字軍) に備え始め1245年6月第1リヨン公会議インノケンティウス4世によって宣言された。エルサレム喪失は、一部西欧人に、モンゴルキリスト教西方教会改宗させることが出来たならば、キリスト教国の潜在的同盟国になりうる存在としてモンゴル人目を向けさせることとなった1245年3月インノケンティウス4世複数教皇勅書出し、その幾つかは「タタール皇帝」宛にフランシスコ会プラノ・カルピニ使節として送られた。今日この書簡Cum non solum(英語版) と呼ばれている (ラテン語文書では書物題名という概念発達していなかった時代冒頭の数語 (インキピット) を用いて題名代えるのが通例であり、この書簡インキピットから命名された) が、この中でインノケンティウス4世平和に対す欲求表明し (モンゴル語彙では「平和」と「服従」は同義語であることを知らなかった思われる) 、モンゴル統治者キリスト教徒改宗しキリスト教徒を殺すのを止めるよう依頼した。しかし、新しモンゴル大ハーンとして1246年カラコルム即位したグユクは、ローマ教皇服従モンゴル権威に対して西欧君主らの朝貢要求する内容のみで回答した。 そなた達は誠実なをもって私達あなたに服従し奉仕します」と述べねばならない。汝自身全ての封建王国君主らは例外なく参内し奉仕し付き従わねばならない! その上で私はそなた等の服従認めであろう。もしそなたが神の命令に従わないならば、そしてもし我々の命令従わないならば、私はそなた等を我が敵国とみなすであろう。 —グユク・ハーンからインノケンティウス4世への書簡; 1246年 1245年インノケンティウス4世による2通目の書簡ドミニコ修道会属すロンバルディアアンセルムス[要リンク修正]によって伝えられた。彼は1247年カスピ海近くモンゴル軍指揮官バイジュ会ったバグダード攻略計画していたバイジュは、教皇権威をかさに尊大な態度接すアンセルムス使節団激怒して面会拒否したものの、同盟可能性歓迎して彼の使節としてアイバクサーキス英語版)を通じてローマメッセージ送った。それから、彼らはインノケンティウス4世の手紙 Viam agnoscere veritatis(英語版とともに1年後ローマへ帰還した。そこにおいて、教皇は彼らの脅威をやめるよう、モンゴル人使節訴えた

※この「教皇の予備交渉 (1245–1248)」の解説は、「フランクとモンゴルの同盟」の解説の一部です。
「教皇の予備交渉 (1245–1248)」を含む「フランクとモンゴルの同盟」の記事については、「フランクとモンゴルの同盟」の概要を参照ください。

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