撃墜事件
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撃墜された機は、トルコ南部アダナのインジルリク空軍基地に展開していた臨時気象偵察飛行隊第2分遣隊(WRS(D)-2:CIAでの呼称は「分遣隊B」)所属のアーティクル360(56-6693)であったことが後に判明している。 同機は事件が起こる前年、厚木基地配置のWRS(D)-3(分遣隊C)に所属していたが、燃料切れにより藤沢飛行場へ緊急着陸するという事件を起こしていた。事件当日は飛行場でグライダー大会が行われており、多数の親子連れがU-2を目撃する事態となってしまった。U-2撃墜事件が起こる前の当時、同機は完全に秘密扱いされていたので、厚木からアメリカ軍がU-2を回収しにやって来るまでにU-2を目撃した民間人は、日本領土内に住む日本人であるにも拘らず、アメリカ軍の守秘義務誓約書に署名させられた。 「黒いジェット機事件」を参照 事故後回収された同機は、本国で修理された後、WRS(D)-2(分遣隊B)へ送られた。
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撃墜事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 21:54 UTC 版)
「ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件」の記事における「撃墜事件」の解説
現地時間午後8時20分(UTC午後6時20分)の少し前、大統領専用機は晴天の中でキガリ国際空港上空を一周してから着陸への最終アプローチに入った。本来はUNAMIRの兵士を乗せて戻ってきていたベルギーの週次便C-130ハーキュリーズが先に着陸する予定だったが、両大統領の搭乗機を優先することとなった。 地対空ミサイルがダッソー ファルコン 50の一方の主翼に命中し、続いて2発目が尾部に命中した。機体は空中で火を噴いて大統領宮殿の庭に墜落し、地表激突時に爆発した。旅客機には3人のフランス人乗務員と9人の乗客が乗っていた。 この攻撃の様子は多数の人々によって目撃された。空港が位置するカノンベ(Kanombe)地方の家の庭に居合わせたベルギー人士官2人のうちの1人は、まず1発目のミサイルが上空に昇っていく様子、続いて空中の赤い閃光と航空機のエンジンが停止する音、そして2発目のミサイルが昇って行く様子を直に見て聞いた。彼は直ちにルワンダの空挺コマンド大隊に配属されたフランス人部隊(CRAP(en))に所属するド・サン=クエンタン少佐に通報した。少佐はベルギー人の防衛を組織するよう勧めた。これと同様に、未使用の空港管制塔に居合わせた別のベルギー人士官は、進入してくる飛行機の灯、それを目掛けて地上から上昇する光、ついで飛行機の灯が消える様を目撃した。続いて地上の同じ場所から2つ目の光が上昇し、飛行機は落下する火球と化した。この士官は直ちに彼の中隊長に無線連絡し、中隊長は正規の管制塔と連絡を取って飛行機が大統領機だったことを確認した。 滑走路の外れの空港近くにはカノンベ駐屯地があった。同駐屯地に居たあるルワンダ軍人は次のように回想した。 あのエンジン音は他の飛行機とは違っていた。そう、大統領機のエンジン音だ … 我々が飛行機が来る方向を見ていたら、発射物が見えて、火か閃光の玉が見えて、そして飛行機が墜落するのが見えた。私も見た。私は隊の指揮官だったので、兵士達に「キナニ(ハビャリマナ大統領のあだ名。ルワンダ語で「有名」「無敵」などの意)が撃墜された、出るぞ」と指示した。彼らは「嘘だろう」と言った。私は「本当だ」と言った。そこで私は衣装戸棚を開けて制服を身に着け、軍隊ラッパが鳴り渡るのを聞いた。 空港で「千の丘自由ラジオテレビジョン」局(RTLM(en))の放送を聴いていたあるルワンダ人士官候補生は、アナウンサーが大統領専用機が着陸のため接近中と伝えるのを聞いた。番組はそれから突然中断し、クラシック音楽を流し始めた。
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