打ちこわしの主参加者
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「天明の打ちこわし」の記事における「打ちこわしの主参加者」の解説
天明の江戸打ちこわしの参加者の実数は不明であるが、総勢5000人ほどであったとの記録が残っている。そして天明8年(1788年)2月に江戸町奉行により逮捕者の判決言い渡しがなされたが、その際の記録から逮捕者42名、逃走中とのことで指名手配者が5名いたことが判明する。江戸全体を巻き込み、町奉行の制圧作戦も功を奏しなかったほどの大騒動であった割には逮捕者が極めて少ないが、これは同時代の他記録でも打ちこわしでの逮捕者は40-50名程度の少数に留まったとされており、逮捕者42名、指名手配者5名というのはほぼ実数であると考えられている。これは庶民が参加者である打ちこわしでは多くの参加者が混乱の中逃げおおせたこと、そして町奉行所が打ちこわしに乗じて盗みを行う者を中心に取り締まったという事情の他に、実際打ちこわし時に拘束された人ははるかに多かったと考えられているが、打ちこわし勢とともに、米の買い占めや売り惜しみに走った米屋も拘束されており、打ちこわしは米屋と打ちこわし勢とのケンカであるとの処理がなされ、多くの打ちこわし参加者が放免されたためと考えられる。 北町奉行の柳生久通が判決を言い渡した逮捕者37名、指名手配者5名については、その記録から逮捕、指名手配者の出自などが研究されている。記録によれば全員が江戸在住であるが、家持ち、地主は一名もおらず、そのほとんどが借家住まいであった。しかも住所、職業から判断するといわゆる九尺二間長屋のような裏店借生活を営んでいた者がほとんどであると考えられる。また出身が判明している30名のうち、江戸生まれが23名、江戸近郊の農村から流れてきた者が7名であった。江戸に流れてきた7名について経歴を詳しく見てみると、明和から天明期にかけて江戸にやってきており、宝暦期以降、関東の農村で進行していた農村での階層分化によって農村生活が困難になり、江戸に流れてきたことが示唆される。また同時期、江戸のような都市では都市階層の分化によって下層貧民が増大しており、農村生活が困難になった農民たちが離村して流入し、都市下層貧民に新たに合流するといった事態が発生していたと見られている。 打ちこわしでの逮捕、指名手配者は基本的に自らの住む町内か、近隣の商家を打ちこわしている。つまり自らの生活圏で米の売り惜しみを行った米屋などの商家を打ちこわすといった行為の連鎖が発生したと考えられる。中でも注目されるのが打ちこわしでの逮捕、指名手配者の生活の不安定さである。逮捕、指名手配者のうち27名では現住所での居住年数が判明しているが、10年以上住んでいた者が8名に過ぎないのに対し、12名の者が居住期間1年未満であった。これは江戸の下層貧民が不安定な経済的基盤しか持ち得ないため定住性が希薄であることに起因していると考えられ、住所が定まることなく転居を繰り返す人々の増加は、幕府の後ろ盾もあって形成されてきた都市共同体秩序が緩むといった事態が発生していたことを示している。その一方で現住所での居住実績が長い人も打ちこわしに参加していることから、同一町内にある程度の期間住んでいる長屋住まいの下層民の間に結ばれていた関係性が打ちこわし勢形成の核となり、それに転居を繰り返す不安定な下層民が加わって、生活苦をもたらした商家を打ちこわすといった構図の連鎖がなされたとも推察される。そして打ちこわしでの逮捕、指名手配者のうち、無宿は1名に過ぎない点も注目される。これは貧窮のあげくに家を失った無宿ではなく、生活苦で無宿に追い詰められる一歩手前の裏店借生活者たちが打ちこわしを主導しており、無宿者は主として打ちこわし時に米を盗み取るなどといった行為に出たとされている。 打ちこわし勢を統一して組織、指導を行った指導者の存在については、これまでのところ記録上確認されていない。天明の江戸打ちこわしは主に米の売り惜しみをしていると目されていた米屋を主なターゲットとし、その地域や近隣の民衆が中心となって実行された、つまり不満が鬱積した民衆たちの間で自然発生的に発生、連鎖したものであるが、先述のように江戸町内の各所に蜂起の意図を説明した木綿旗が立てられたことや、打ちこわし開始当初は高度な統制が取れていたことなどから、打ちこわしを主導する指導者層の存在を想定する説がある。 また打ちこわしでの逮捕者の判決では、打ちこわしのみで盗みを行わなかった者たちに対する判決は比較的軽く、盗みに関与した者の判決は重くなった。しかし最も重い判決でも遠島であり、死罪となった者はいなかった。判決の罪状としては「徒党の禁止」を破ったという点とともに、将軍のお膝元である江戸で騒動を起こした点を厳しく指摘していた。
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