打ちこわしの標的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 15:30 UTC 版)
「天明の打ちこわし」の記事における「打ちこわしの標的」の解説
天明の江戸打ちこわしで打ちこわしの被害に遭った商家は、一橋家の調査によれば500件軒余り、うち400軒以上が米屋、搗米屋、酒屋などの食料品関連の商家であり、打ちこわしは基本的に米を中心とした食糧不足に抗議して発生した食糧暴動であることがわかる。天明の江戸打ちこわしでは、米価が高騰する中でも米を売り続けた米屋や、かねてから近隣の困窮者たちに援助を行っていた商家は打ちこわしの標的から外されており、米屋が町内にきちんと米を売ったかどうかと、商人として社会的責任を果たしたかどうかが打ちこわしの標的となるか否かの判断基準となったと考えられる。米価が異常な高騰をする中、搗米屋間では米の小売価格、販売量そして販売時間、更には大坂でも行われた掛売り中止、現銀のみの販売とするとの取り決めがなされており、かつて安く仕入れた米を高騰後の高値で販売を行い、販売量や時間も制限し、その上掛売りを中止して現銀のみでの販売が、取り決めに従った多くの搗米屋で行われ、その結果江戸全域で多くの搗米屋が打ちこわされ、取り決めに従わず庶民に配慮を見せた店は打ちこわしを免れることになった。 つまり天明の江戸打ちこわしでは米価高騰に苦しむ庶民を省みようとはせず、米を買いあさり売り惜しんだ商人たちが主に打ちこわしの標的とされた。当時、米が全国各地で設けられるようなった市場で盛んに取引がなされるようになり、米の投機の解説書が出版されるなど、米を投機目的で売買し利益を上げる動きが強まっていた。打ちこわし勢からすれば、地域に住む人々に米を売って生計を成り立たせている米屋が、消費者である庶民の苦しみを理解しようせず自らの利益のみを追求すれば、道徳的な規範を破ったものとして社会的な制裁を受けるべきであると判断した。 打ちこわしをされた商家の中でも、打ちこわし勢からとりわけ激しい攻撃を受けたのが幕府や諸藩と結託していた御用商人たちであった。数十人の足軽に守られた堀田相模守御用の米屋が、大勢の打ちこわし勢を前にあっけなく打ちこわされてしまったり、数年前に江戸城で消費する油を運上する代わりに江戸中の油の総元締めとなることを願い出て、いったんは認められたものの多くの批判を浴びて撤回となった丸屋又兵衛の商家が、江戸城の油運上を餌に江戸中の油の総元締めとなることを企んだ姦商であるとして、ひどく打ちこわされた。また京橋付近にあった米屋、万屋作兵衛は、米を大量に買い占め高値で売って暴利を挙げている上に、田沼意次の米を預かっているとされ激しい打ちこわしの標的となった。万屋作兵衛の打ちこわしは万作打ちこわしと呼ばれ、打ちこわし勢は万屋作兵衛の商家を組織的に激しく打ちこわし、町奉行が手勢を引き連れ打ちこわし阻止を図ったものの激しい攻撃に曝されて退却を余儀なくされ、全く打ちこわしを止めることが出来ずに最後には店ががらんどうになるほどであった。この万作打ちこわしは「やれ出たそれ出た亀子出世」という黄表紙の題材ともなった。そして打ちこわし勢は護持院にある田沼意次の三千俵の囲米襲撃も試みた。これらのことから打ちこわし勢は暴利を貪る米屋のみならず、幕府役人らと癒着した御用商人、更にはこのような事態を招いた最高責任者と目された田沼意次に対する攻撃も敢行した。
※この「打ちこわしの標的」の解説は、「天明の打ちこわし」の解説の一部です。
「打ちこわしの標的」を含む「天明の打ちこわし」の記事については、「天明の打ちこわし」の概要を参照ください。
- 打ちこわしの標的のページへのリンク