護持院とは? わかりやすく解説

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ごじ‐いん〔ゴヂヰン〕【護持院】


護持院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 05:49 UTC 版)

護持院(ごじいん)は江戸の神田橋外(現在の東京都千代田区神田錦町)にあった真言宗の寺院[1]奈良県桜井市長谷寺の一派であった[1]


  1. ^ a b 『日本国誌資料叢書 武蔵』965頁、『東京名所図絵』119頁。
  2. ^ 『日本国誌資料叢書 武蔵』966-967頁、「近世初期の知足院」878頁。関本隆人「護国寺略史」pp10-11。
  3. ^ 『日本国誌資料叢書 武蔵』966-967頁、『東京名所図絵』119頁。関本隆人「護国寺略史」p13。
  4. ^ 関本隆人「護国寺略史」p14。
  5. ^ 『日本国誌資料叢書 武蔵』965頁、『東京名所図絵』129頁、「近世広場の成立・展開II」17頁。
  6. ^ 『東京名所図絵』129頁
  7. ^ 江戸名所図会 柳原堤.


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護持院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 14:36 UTC 版)

護国寺」の記事における「護持院」の解説

神田にあった護持院は享保2年火災焼失し跡地火除地護持院ヶ原)とされたため、護国寺の地に移転してきた。護持院は筑波知足院中禅寺江戸別院で、新義真言宗僧録であり、新義真言宗で最も格式の高い寺院であった護国寺東側の地(現在護国寺本坊のある付近)を占め、護持院住職護国寺住職兼ねるという変則的なになった。 護持院は明治時代神仏分離により打撃受けて廃寺となり、旧護持院境内護国寺のものであることが認められた。

※この「護持院」の解説は、「護国寺」の解説の一部です。
「護持院」を含む「護国寺」の記事については、「護国寺」の概要を参照ください。

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